士官学校物語・冬 ジャンは、以前足繁く通い、また、頻繁に訪れるようになった海に、心の中で挨拶をした。 潮の匂いのする空気に包まれた体が心地よい。 (やはり、ここは、いつ来ても懐かしい。今だって……) 初めて来た時の感慨を、彼は思いだそうとしていた。 ここはちっとも変わらない。少し塩辛い味の空気も、波の音も。 ただ、変わっているのは――。 「アンタ、いいところに連れてってやるってここのことだったんですか?」 高松の、ちょっと不服そうな声に、 「いいじゃないか。高松。僕は、ここ好きだよ」 サービスのなだめる声。 高松は、いつぞや過労で倒れてしまった後、 「少し休養をとって、自分の体調をコントロールしなさい」 と、ルーザーに言われたらしく、それ以降、大抵は時間外労働を避けるようになった。 (それにしても、なんでこんなに懐かしいんだろう……) 風に髪を嬲られ、ジャンは体が浮くような感じを覚えた。 そう、これは大昔の―― (大昔?) 大昔に何があったと云うのだろう。とても気になるのだが、思い出せない。何か思い出があるのだろうか――。 たとえば、これは前世の記憶というやつか。けれども、ジャンに、前世の記憶などあり得ない。一旦肉体が死んで、生き返ったときの、蘇生する前のその記憶が、前世のものに当たるのだろうか。自分のような、永遠の命を持つ者に、前世と云うものがあれば、だが。肉体の死はただの区切りである。彼は基本的に、不老不死なのだ。 だから、大昔に、何があったとしても、不思議ではない。 ただ単に頭に浮かんでこないだけで、死せる者の魂は、ジャンの周りを漂っているのかもしれない。或いは、記憶を持たずとも、転生しているのか。 サービスも高松も、どこか懐かしい。マジックやハーレムも、「なんとなくこういう奴いたなぁ」とデジャヴを感じてしまうこともある。初対面のときは、全然そんなことは思わなかったのだが。 彼らにはどこかで会っていて、今でも縁が深いのかもしれない。 彼らがいない生活を、想像することはできない。どうして、パプワ島では、あんなに孤独に耐えられて、それを幸せだ、と想うことができたのだろう。いや。自分が幸せか不幸せかなんて、考えもしなかった。 今は――この友人達がいないとだめだ。 守りたい。この人達を。 本来、赤の秘石を護る目的で作られたこの自分。これは、マリオネットの造反ではないだろうか。 (けれど――それにしても、想うことだけは許されるはず) この感情を持たせたのも、赤の秘石に与えられたのなら。 「ジャン」 高松が声をかけた。 「何?」 「いえ。ただ、あなたが追憶の中に浸っているような顔をしていたようなので」 「追憶か。当たらずといえども遠からず……かな」 「何考えていたんですか?」 「いやいや、何にも」 「怪しいですねぇ。彼女のことでも考えていたんですか」 そして、高松は、「おっと、これは下司の勘ぐりでしたかね」と付け加えた。 「高松! そんな下らないこと言うなよ!」 サービスが声をあらげた。 「冗談ですよ。ムキになって」 しかし、高松は、にやにや笑いはやめなかった。 「この人がそんなにモテるとは思えませんしね」 「失礼だな。高松」 ジャンが言った。 「こう見えても、昔は様々な動物にモテたんだぜ」 「動物……ね」 高松は、呆れた顔で息を吐いた。 「人間もちゃんといたぞ」 「人間?」 サービスの眉がぴくりと動いた。 「へぇー、どんな人です」 「んーと……忘れた」 「隠さなくてもいいですよ」 「いや、ほんとに忘れたんだって」 高松とジャンのやり取りを聞いていたサービスの顔が、凄みを増してきた。 「うわぁ……怖い顔してますねぇ、サービス」 「本当だ。どうしたんだろう」 二人の話を、幸か不幸か、サービスはしっかり聞いていた。 「もう帰るとするか。お先に。ジャンと高松は外泊ということで」 「待ってください、サービス。アンタ、ジャンと私を置いて行って、何しろと言うんですか?」 「高松は研究所に行けばいいんじゃない?」 ジャンの思いつきに、 「そうか、その手がありましたね」 と、高松も乗り気で答えた。 「わかってないなぁ。僕が、ルーザー兄さんにどれだけ信頼されてるかってことを。『高松が病気だ』と一言いえば、研究所には足を踏み入らせないよ。寮に帰って休みなさいと注意されるのがオチさ」 「あなたは、私の行くところを、悉く狭くしますね」 「あーっ!」 ジャンがぽんと手を叩いた。 「どうしたんだ? ジャン」 サービスが特に驚きもせずに訊いた。 「俺、思い出した。確か、ものすごく綺麗な奴が、昔いたんだよ。サービスに似てたなぁ」 「野郎に綺麗と言われても嬉しくない。ほら、もう帰るよ。ジャン。高松」 「あれ? 私達のことは、置いていくつもりじゃなかったんですか」 「真に受けるなよ……ジャンじゃあるまいし」 「――どういう意味だよ」 そのとき、ジャンがくしゅんとくしゃみをした。 寒風にさらされたからだ、風邪にやられないうちに、さっさと部屋に帰ろう、とサービスが言った。 帰りしな、高松が、海辺ではつけなかったペンライトのスイッチを入れた。 黄色がかった光が、道を淡く照らし出す。 そこへ、反対方向から来た、それよりも一回り大きい光がよく見知った顔を映す。 クラスメートのニールだった。 「何やってんだよ。おまえら。点呼に出なかったろ」 「え? まだ十分ほど余裕がありますが」 高松がニールに腕時計を差し出した。 「その時計、壊れてるんじゃねぇの?」 「そうですかねぇ。しばしば遅れるんですよね。時々メンテはしているんですが」 「とにかく、さっさと戻らないと。田葛がかんかんだぜぇ」 「わかりましたよ。ジャン、サービス、急ぎましょう。怒られたくはないですからね」 「ああ。サービスにも迷惑かけるな」 「心配しなくていいよ、ジャン。ぼくは少し遅くなるって連絡入れておいたから」 あらかじめ先生に言っておけば、少しはお目溢しを頂けるのである。 ジャン達が酒場に行っていた件が公になってから、監視の目が光るようになっていたが、海辺で散歩くらいは、許してもらえるはずであった。――先に説明しておけば。 「ねぇ、サービス。私達、友達でしたよね」 「なんだよ、高松。いきなり」 「遅くなるって――伝えたのはアンタ自身のことだけですか?」 「ああ」 「どうして私達の分も許可取ってくださらなかったんですか」 「それぐらい、自分でやれよ」 「もしかして、説教されんの、俺と高松だけ?」 「そうだろうね」 ジャンと高松は、顔を見合わせてから、サービスに向かって同時に叫んだ。 「裏切り者ッ!」 士官学校物語・冬 第三話 BACK/HOME |