光の中の道 それから、ハーレムは何度か、カワハラの病室に足を運んだ。医療センターに何か用がある、というふりをして。そして、カワハラの病室を訪れることは、そのついでだ、というふりをして。といっても、健康そのものであるハーレムには、医療センターに赴く理由もなく、高松を訪ねる、という名目で行くしかなかった。高松と世間話をした後、カワハラの所へ行く。それがハーレムの、このところの日課となっていた。 だが、その手も使えなくなった。 「あなたねぇ、いい加減にしてくださいよ。もうまっぴらですよ。あなたとなんかしたくもない話をするっていうのは」 その後に、「他に行きたい所が別にあるんでしょう」とまで言われてしまっては、いつものように、「つべこべ言うな!」と強く出ることも出来ずに、引き下がらざるを得なかった。 なんでこんな、いろいろ口実をつけて、ガールフレンドの家を訪ねようとする少年のように、回りくどいことをするのか。ハーレムは認めたがらなかったが、確かに彼はカワハラの考え方に惹かれていたのかもしれなかった。カワハラの、生と死に対する考え方に。尋ねる度に、答えが返ってくる。しかも、今まで彼の知らなかった考えでもって。 カワハラとは学生時代にも、友人として――それが、カワハラからの一方的なものであったにしても――つき合っていたのだが、やはり、「あいつは変わったのだ」と思う。変化をもたらしたのが、年月であるのか、それとも、突如、病に倒れたことであるのかまではわからなかったが。 人間は成長し続けているのだ、とカワハラが言った。死ぬまでか? ――そうさ、死ぬまで。 カワハラの病室に入る前に、ハーレムはこっそり、いつも懐に入ってるはずのそれを、コートの上から触ってみた。 カワハラはベッドの上に半身を起こしていた。 「やぁ、ハーレムくん」 「おう」 ハーレムはきょろきょろと辺りを見回す。 「おまえ、退屈じゃないか? こんなところに閉じ込められて」 「どうして? 僕は、生まれたばかりのときのような目で、世界を見ているよ。ハーレムくんも、近いうちに死ぬような、そんな病気をしてごらんよ。周りは生で溢れ、生命のエネルギーで、きらきら輝いてるんだよ。僕はこのような目を持って、もう一度世界と対面できたというだけでも、はっきりと、『必ず死ぬ病気だ』と告げられてよかった、と思うよ」 それは、ハーレムにもわかるような気がした。カワハラとは違う意味でだが、ハーレムも、死と隣り合っている、と感じるときが一番、「生きている」ということを味わい尽くしている気がする。生の実感を本当に得るためには、死を背中にしていないと、駄目なのかもしれない。 だとすると、人間とは因果な生き物である。 「だが、実際に苦しい時なんか、そうは言っていられないだろう?」 「そりゃあね」 「で、今はどうなんだ? こうやって話をしているところを見ると、そんなに悪くはないようだが」 「うん。この頃調子いいんだ。高松くんも、『小康状態を保ってますね』って」 「そうか、なら――」 ハーレムは懐の中に手を入れた。 若くして死んだリカードの、S&Wの感触。ハーレムはこれをいついかなるときも、肌身離さず持っていた。 「やはり死ぬのなら、楽なときの方がいいだろう。苦しみは少ないときの方がいいだろう。好きな得物で殺してやるよ。拳銃か? ナイフか? 今はねぇけど、この次までにライフルを準備しておこうか? 人を一瞬にしてこの世とおさらばさせる秘技もある。俺はそれが仕事なんだ。誰に依頼されてるわけでもないが、ここでひとつやふたつ、死体が増えても、俺にとっちゃあどうってことない」 それは、半分脅しで半分本気だった。 口先でなら、なんとでも言える、と思うのだ。たとえ、他のことはいざ知らず、カワハラが自らの根幹に関わるようなところで嘘をつくことはない、とわかっていたとしてもだ。 ハーレムは、彼を試したかったのかもしれない。 実際、下手な応答をすれば、その場で撃ち殺すことも辞さなかったであろう。 二人の間に、数秒間、ぴりりと緊張が走った。それは、戦場での張りつめた空気に似ていた。 その重たい沈黙を破ったのは、カワハラの笑い声だった。 「な……なぜ笑う」 まさか笑われるとは思っていなかったハーレムは、戸惑いを覚えた。 「こんなシリアスな状況でなぜ笑えるんだ。ええ?」 「ごめんごめん。僕はこんなときだと、かえっておかしくなってしまうんだよ」 「俺がほら吹いているとでも思うのか? 現に今、銃を持っているんだぞ」 「知ってるよ。そんなことで嘘を言うハーレムくんじゃないもの」 カワハラは、咳き込んだ。水差しのジュースを喉に流し込む。落ち着くと、彼は言った。 「ハーレムくん。僕はまだ死にたくないんだ」 「おかしな奴だ」 ハーレムは脱力感を覚えながら、懐から手を外した。 「死ぬのが確実な病気なのに、それでもなおかつ生きたいというのか?」 「確かに、僕は近いうちに死ぬと思う。でも、無理矢理暴力的に生を終わらせられるのはごめんだ。どうせなら、生を全うして、死ぬべきときに死にたい。僕は何も為すことができなかったし、何も残すことができなかった。でも、自分が生きたことで何かを変えることができるなら、最後の瞬間まで生きていたい。こんな話を以前どこかで読んだよ。うろ覚えなんだけれど。もう口もきけない人がいた。その人、まばたきはできるから、それで詩を作っているという話。僕は思ったんだ。生きようとする意志、伝えようとする意志さえ捨てなければ、最後まで、生きて、伝えることができる、と」 「だが、おまえは、それでも平気なのか? 行きたい所へ行けず、言いたいものも言えず――伝えようとする意志、とおまえは言ったが、相手に受け取る気持ちがなかったら?」 「こういうときに便利な言葉があるよ。そのときはそのとき!」 カワハラは穏やかな笑みを浮かべた。 「ここのスタッフたちは、みんな努力してくれているよ。それに、今の僕は、目が見える。耳が聞こえる。口がきける。物も味わえる――僕は幸せだよ。未来のことを心配するより、今そのときを感謝した方がはるかにいいだろうね」 カワハラの病室を出た後、ハーレムの姿を認めた看護婦たちが駆け寄ってきた。 「ねぇ、あなた、カワハラさんのお友達でしょう?」 「いつも、カワハラさんのお見舞いに来てますよね」 「カワハラさんに、いつもお話はうかがってますわ」 「――なんだ。おまえら」 低く言って、ハーレムは眉をひそめた。眉間の皺が深くなる。 普通ならここで、恐ろしさのあまり引き下がるところだが、好奇心いっぱいの彼女達は怯まない。 「かっこいいですね。あなた」 「そうそう。ニヒルそうなところがまた」 (……つきあいきれん) ハーレムは、三人の看護婦たちを突っ切って歩こうとした。 「すみません。忙しいところを呼び止めてしまって」 「つまり、あなた、いいお友達を持っていますね、って、言いたかったんです」 ハーレムは足を止めた。 「カワハラが?」 「そうです。紳士的で、いつも私達に優しいんです」 「私、彼と話してると癒されるんです」 三人の中で、年長者らしい女性がこう言った。 「私、いつも患者さんのことを支えてるって思っていたけど、彼に会って気付いたんです。本当は支えられているのは、私の方だったのかもしれない、と。実は、いろいろな悩みを聞いてもらっているんですよ」 「そうか」 それでは、カワハラの『伝えたい』という思いは、まるっきり無駄ではなかったのだな。 「あら、笑うとかわいい」 その声を聞いて、ハーレムは咳払いをひとつして、顔を引き締める。 「さぁ、行きましょう」 「どうも、失礼しました」 彼女達が離れたのを汐に、ハーレムもその場を後にした。 光の中の道 第四話 BACK/HOME |