光の中の道 ――我々の歩く道が、いつでも、どんな時でも光の中にある、と知ったとき、――苦難すらも喜びと変わるであろう。 その日、ハーレムは何故自分がその場所へ行く気になったのか、どうしても思い出すことができない。 だが、何の為にそこへ行ったのかは、説明できる。学生時代の悪友、もしくはライバル、もしくは敵、もしくはその全てであるところのドクター高松に会いに行ったのだ。 ガンマ団附属医療センター、外科病棟、ドクター高松の専用室――。 「高松、いるか?」 滅多に顔を現さない元学友の顔を見て、高松は眼鏡をかけた顔を、不機嫌そうにしかめた。 「せめてアポイントメントをとってから来てくださいませんか? こっちも忙しいんだから」 「だが、今は暇なんだろ? こんなことやってるぐらいなんだから」 ハーレムは、ひょいとトランプを一枚取り上げた。 「戻してくださいよ。せっかく並べたんですから」 そう言ってから、不意に、新しい企みでも思いついたいたずらっ子のような顔になった。 「知ってますか? スペードの2は、急な怪我や病気に要注意ですよ」 ハーレムが手にしたのは、スペードの2だった。男はそれを確認してから、相手に向き直った。 「なんだ? それは」 「占いの本に書いてあったんです」 「…おまえ、そんな非科学的なもの、信じてるのか? 科学者のくせに。だいたい、そんなものあてになるか」 「当たるも八卦、当たらぬも八卦、ただの暇つぶしですよ。まぁ、私の占いなんて、そうそう当たることはないから安心してください。もし当たるんだったら、こんな割りに合わない仕事やめて、占い師にでもなってます」 「客から高い金とってな」 「いいですね。それも。当たるならね。客は未来の保障と安全を買う。たとえどんなにでたらめなものでもね。患者が医者である我々から、病気の治癒を買おうとするようにね。実際いい商売ですよ。人の不安に付け込むような職業はね。不安な人間からは金をいくらでも引き出すことができる。――もっとも、ここじゃ、勝手にそんなことをすることはできませんがね。ところで、急な病気や怪我と言えば――」 高松は一旦言葉を切った。 「あなたの旧友の、カワハラがここに来てますよ」 その一言は、考え事をしていて、半分上の空で話を聞いていたハーレムを現実に引き戻すのに、充分な効果があった。 「――カワハラが?」 ハーレムは顎に軽く手をあてて低く呟いた。 「そうか――あいつ、とうとう医者になったんだな」 高松はいささか困惑した顔を作った。 「いやですねぇ。やっぱりあなた、私の話を聞いてなかったんでしょう。それとも、一から十まで説明して差し上げないとわかりませんか? よろしい。あなたのその染み込みの悪い頭にも飲み込めるように教えてあげましょう。彼は患者として来てるんですよ。しかも、原因不明、治る見込みもなく、余命いくばくもありません」 「おもしろくもねぇ冗談だ」 ハーレムは言下に言い捨てた。 「嘘を言って何になるんです。今日は4月1日じゃないんですよ」 「わからんさ。貴様は嘘で塗り固めたようなやつだからな」 「まぁ、否定はしません。でも、今回は本気ですよ」 「なんで団員でもねぇあいつが、この病院に入院している?」 「特例ですよ。元士官学校生ということもあったし。――実は、彼は患者というより、サンプルケースといった意味合いの方が強いんです」 「――ひでぇやつらだ」 ハーレムは思わず言っていた。 「ひどいのはどちらです。あなた方が戦場でやっていることの方が、何倍もひどいじゃありませんか。――まぁ、よしましょうか。こんな話は。私だって、自分のやっていることぐらい、わかっているつもりです」 高松は背凭れに背中をもたせかけ、目をつぶった。 「で、そこまで言うからには、治す自信はあるんだろうな」 「ありません」 ハーレムの問いに、高松はきっぱり言い切った。 「だから、言ったでしょう。彼はサンプルケースだと。非常に珍しい症例なんですよ。しかも死亡率は100パーセント。わかっているのは、少なくともこの病気は感染性ではない、ということだけです。私もドクターの名に恥じぬよう、手は尽くします。内科の方も兼任しているので、今回特別に彼の主治医にしてもらいました。――それにしても」 高松はくすっと笑った。 「あなた、カワハラの名を聞いた途端、顔つきが変わりましたよ。あなたも本当は彼のこと、大切な友人だと思ってるんじゃありませんか?」 「冗談じゃねぇ」 カワハラの顔が、ハーレムの脳裏に浮かんだ。 毛先のはねた、裾の長い黒髪。フレームレスの眼鏡。小柄で穏やかな目の優男。あれ以上、殺し屋軍団に似合わない男はいなかった。何でも笑って済ます、おせっかいな日本人。同じ国の人間でも、高松とは正反対の――。 「高松、カワハラはどこにいる?」 「内科病棟の、514号室ですよ」 高松は同情と、哀れみと、それから何か面白がっている様子がないまぜになった表情をしていた。彼は、ルーザーが死んでから、全てを皮肉っているような、たちの良くない表情を、絶えずその顔の画布に描くようになっていた。 「――あなた、本当に、彼に惹かれていた、ということはありませんか?」 「冗談じゃねぇ」 もう一度、ハーレムは言った。 光の中の道 第二話 BACK/HOME |