光と闇
8
「お帰りなさい。父さん」
「ただいま。弟達は元気か」
「元気ですよ」
「留守中はおまえに任せきりにしてすまなかった。こっちも、戦争の事後処理とか、いろいろあったんでな」
 マジックは父のコートを受け取ると、壁のフックに掛けた。
「知ってますよ。父さんが大変なのは」
 マジックは垂らした前髪の下から柔らかな微笑みを覗かせる。そういう時の彼は、ほんの少しだけ、ルーザーを思わせる。普段は似ても似つかぬ二人だが。
「私がいない間何があったのかは訊かん。おまえのことだ。適当な形で処理してるだろうからな」
「恐れ入ります。父さん」
「当然のことだろう。『完璧』という言葉があてはまる者は、この世におまえを於いて他にない」
 マジックは聡明そうな青の双眼を瞬かせた。
「ずいぶん僕のことを買って下さるんですね」
「ああ。あながち親の欲目だけでもあるまい。他の者に訊いたとて……いや、おまえとは何の関係もない赤の他人の方が、かえっておまえの凄さがわかっているのかもしれんな。おまえのことは私も既に、ただの息子とは見ていない。おまえは王だ。生まれながらに、光の道を歩むよう、宿命づけられた……」
 マジックは何も云わず、先程と変わらない微笑みを浮かべているだけである。
 男は酒の入ったグラスを傾ける。アイス・キューブがグラスに当たり、からん、と音を立てた。
「ガンマ団も大きくなった。私の役目は……もうすぐ終わる」
 男はぐっと琥珀色の液体を半分ほど喉に流し込んだ。
「まだ引退を考える年齢でもないでしょう」
「いずれそうなるさ。私は無理にでもやめざるを得なくなる日がくる。――その時は、全ておまえが引き継いでくれるな」
 マジックは父の顔を見据え、神妙な面持ちで頷いた。父がそれを望むなら。彼にもまた、若いなりに自分の野心を持っていた。
 少し翳りを帯びた父の顔。四十代半ば。そう老け込む年ではない。だが、いろいろな憂いを心中に潜めているのだろう、急に十は年をとったように見えた。
「私は……耐えきれなかった。――運命に。だがマジック、おまえなら出来るだろう。おまえなら……運命に打ち勝ち、それを手中に収めることができるだろう」
 いつもの父らしくなく酔っていた。この父はもはや、誇り高きガンマ団の総帥でも青の一族の長でもなく、運命に弄ばれ、ひたすら押し流されてきた、ただの人間であった。
 もはや、以前のように、父を単純な憧憬の眼で眺めることが出来ない。戦闘の時、第三者には楽しそうにすら見えた父の余裕は、既に失われていた。
 父が変わったのか、己が変わったのか――ただ一つわかることは、己は父と並び、そしてあっという間に意識の上だけでも、追い抜いてしまったということだ。
 父と一緒に数々の戦場を渡り歩いた日々――たった数ヶ月前のことだが、思えばあの頃が一番父と理解し合えたような気がする。自分は父の戦友であり、参謀であった。
 だが、わかってしまった。力、統率力、行動力、カリスマ――どれをとっても既に、父を越えてしまっていることに。もう二度と、父の後は歩けない。
 弟達などは、まるで己の方が父であるかのように慕ってくれている。滅多に会えない本当の父より、共に育ってきた己の方が身近に感じられるのだろう。
 だが父を疎み、冷酷に切り捨てることは、マジックにはできない。
 一緒に戦ってきた者だからわかる。父は一生懸命戦った。
 そして、これからも戦い続けるだろう。人として、人でない者として。父として。総帥として。命の続く限り。
 今こそは、特別なのだ。この男に許された、弱音を吐けるほんの少しの時間。マジックは父の言葉を全て、受け止めようと思った。
 マジックは皆が云うようなただの情け容赦ない冷血漢ではない。もちろん、そういう部分もあるだろう。だが、本当はもっと、情動の激しい、その分冷静で懐の深い男だった。
 それこそが彼を、魔物ではなく、人々を率いる者たらしめている由縁かもしれない。
 だが―――と、マジックは思った。私がもし、一時でも弱くなりたい時が来たら、その時はいったい誰に云えばいいのか。そもそも、自分にはそんな時間は許されてはいないのか。
「聞いておくれ、マジック。私はそんなに長生きする気がしないんだ。その前に、誰かに殺されるかもしれん。まあ、殺されるようことはやってきたのだから、仕方がないと云えば仕方がない。けれど――」
 父の視線が、ひたとマジックの双眼に向けられた。
「……? ……なんです?」
「おまえに殺されるんだったら、悔いはないと云ったのだ。おまえの眼の、この世にはあるまじき色合い。海より深い藍の青だ。しかも、それが両目とも。これは、証だ。光の当たる道を歩き続ける宿命を持った者の――」
「一生―――ですか」
「そう、一生……おまえの命が尽きるまで果てることのない道……」
 どこまでも続く光の当たる道。この命が尽きるまで――マジックは満足とも自嘲ともつかぬ笑みを浮かべた。
 それは明るく、限りない祝福に満ち、そして限りなく孤独なものであろう。誰一人、その道を共に歩む者はいないだろう。
「いつか私を、殺してくれよ。マジック………」
 そう云って、男はソファに頭をもたせかけ、ゆっくりと瞼を閉じた。マジックは男が手に持ったままのグラスを受け取り、テーブルに置いた。
「おやすみなさい、父さん」
 部屋の明かりを消し、闇の帳を下ろす。マジックは扉を閉めた。廊下にいる人物の影を感じ取る。
「どうした?ルーザー」
 白い寝間着に着替えたルーザーは、少しきまり悪げに云った。
「なかなか、寝付けなくて、ちょっと……でも、もう寝ますから」
「無理しなくてもいい。私も今夜は、眠れそうにないから」 
「僕は―――」
「なんだ、もう行くのか?」
「はい。おやすみ、兄さん」
「おやすみ」
 ルーザーは足早に去ってしまった。自室へ戻ったのだろう。
 窓から、黒ビロードの空に散らばった星々が見える。マジックはキイ、と両開きの窓を開ける。
 春先の風は冷たい。夜は、永遠に明けないように思えた。


光と闇 第九話
BACK/HOME