光と闇 はあ……はあ……っ。 二人は積み荷の陰からへ陰へと、韋駄天走りで駆け去った。男達は双子を見失った。 「見つかったか?!」 リカードの声が聴こえた。 「それが……」 「そう遠くへは行けないはずだ。まだその辺にいるんじゃないのか?――あそこの積み荷は調べたのか?」 「あっ」 (やばい!) 二人は倉庫の後ろへと回った。ハーレムは銃を手に追っ手の様子を見い見い、サービスを先に行かせながら進んだ。 倉庫の陰に身を潜めながら、彼らはだんだん港の大きな黒い格子の門扉に近付いていた。扉は閉まっていたが、両脇に赤く錆びた柱が突っ立っていて、向かって左側は塀につながっている。扉と柱の隙間は、人一人なら楽に通れそうだった。 「サービス、先に行くぞ。外の様子がわからないからな」 「OK!」 双子は隙間を通り抜けようとした。――その時。 「な……兄貴っ」 ハーレムが思わず声を出した。扉と柱の間から、マジックが姿を現した。 「お兄ちゃん!」 サービスも兄の元へ駆け寄る。 「……二人とも、ちょっと外れてなさい」 静かに伝えて、塀の外を指さす。眼光鋭い兄には、有無を云わせぬ圧力がある。 二人は促されるまま、塀の外へ出た。 追っ手の束が迫ってきた。 マジックが緩い足取りで近付く。地の底から這うような、掠れた声。 「………おまえらか」 「―――なっ、マジック!」 思わず男達は立ち止まった。どよめきが走る。 「おまえらの計画はその程度のものか?リカード。そう驚いた顔をするもんじゃない。取り敢えずは一番近い、心当たりの所を当たってみたら―――おまえらがそこにいた。それだけの話なのだからな」 銃を構えている者も、発砲しようとしない。みな、闇の底から浮かび上がったマジックの雰囲気に飲まれている。できることといえば、たじろぎ、そんな己に歯噛みし、悔しがることだけであったろう。 ただ、丸腰であるはずのリカードだけが、動じず、いつも通りの平静な態度で立っていた。 「おまえらは誘拐犯か」 「――まあ、そういうことになりますね」 リカードは、ふてぶてしいとすら云える態度で答えた。 「我々の計画を知っていた――と云うわけではなかったのですね」 「ああ。だいたいは想像がつくが……しかし、そんなことはどうだっていい。肝心なのはおまえ達が私の弟達をさらおうとしたことだ。そして――多分もう少し私の着くのが遅かったら、或いは別の所に行っていたら、手遅れになっていたかもしれんがな」 マジックはにやりと酷薄な笑いを浮かべた。 「だが、私は二人が死んだと云う確証を得ない限り、諦めはしない。生きている限り、何度でも取り戻しにかかる。――わかるか、リカード。そんな私を出し抜きたかったら、私を越える才覚と、力と、命を賭ける覚悟が必要だ。運の強さもな」 「肝に銘じておきましょう」 リカードは皮肉っぽい笑みを浮かべた。 「…私の負けです」 「おまえは稀に見るいい部下だった。忠実で、頭が切れて――だが」 ドォン! ――爆発音がした。 ルーザーは警官隊と共に、港へ向かおうとしている途中であった。 「――おまえは私を裏切った」 マジックの青い瞳は、港の倉庫一帯に燃え広がる鮮やかな紅蓮の炎を冷静に見つめていた。 「あ……」 柱の陰から一部始終を眺めていたハーレムは、小さく声を上げた。銃がするりと手から落ちた。 巻き起こる炎の嵐を背に、マジックはゆっくりと振り返る。青い瞳は先程の余韻で妖しく光ったままである。黄金の髪まで、燃え盛る炎の一部となったかのようだ。火の粉が降りかかってきても、一向に払う素振りさえ見せない。 恐ろしくて、目を離すことのできない、あでやかに、激しく、生ある者を飲み尽くす、地獄の業火。この世にはあり得ず、この世を生きる者には片鱗すら垣間見ることの許されない、死の世界の宴。 ハーレムはただただその光景に魅せられていた。 怖くて、綺麗で、とても美しくて――。 マジックが神に見えた。 不意に幼い頃、ルーザーに小鳥を殺された時の想い出が甦った。 小鳥は血を流し、二度と鳴き、飛び回ることはなかった。それは『死』だということを、おぼろげながら初めて理解した。永遠の沈黙。暗く冷たい感じがした。 だが、このように熱く激しく、人々を焼き尽くす死もあるのだとは――。 微かに震えながら、ハーレムは柱にしがみつく。見てはならぬ、この世ならぬ世界にすっかり魅了され、傍らに弟がいることも、一時忘れていた。 マジックは背を向けたまま、敢然と歩き出す。そこから一歩離れると、彼は、いつも通りの彼に戻っていた。 ようやく、ルーザーと警官隊が到着した。 「兄さん!」 ルーザーが駆け寄る。炎上した港の方をざっと見遣りながら。 「うわっ」 「なんだこりゃ」 ざわめく警官達を後目に、ルーザーは訊いた。 「双子達は」 「無事だ。あそこにいる」 マジックは二人の方を視線で指し示した。双子は、もう、柱から離れていた。 「良かった」 心配で心配でたまらなく、ここ数時間で憔悴したかに見えるルーザーは、双子の姿を認めると、ほっと胸を撫で下ろした。 マジックが双子に近付いてくる。ハーレムは、さっきの衝撃が強過ぎて気後れしたのか、上手く兄に話しかけることができない。 「お兄ちゃん」 云ったのはサービスだった。 風に捲かれてくしゃくしゃになってしまった髪に、土埃で汚れた頬。けして腕白坊主とは云えないサービスの似つかわしくない姿に、マジックは不憫に思った。 「ひどい格好になってしまったね。サービス」 そう云いながら、しゃがみ込み、弟の髪を優しく撫でる。 「うん……」 サービスは俯く。今まで必死に我慢してきた涙が、溢れ出しそうになる。 (怖かった。…怖かったんだよ。お兄ちゃん) 「すまなかったな。私が用心を怠ったばかりにこんなことになってしまって。―――縄を解いてあげよう」 ハーレムは、自分より先に兄と口をきき、かまってもらったサービスが憎くすらなった。 晴れて自由の身になったサービスは、ルーザーの元へ駈けていった。 「おまえも胴に縄をくっつけたままだぞ」 ハーレムに向き直ったマジックはくすっと笑い、今度はそっちの縄を外しにかかった。 「自力で脱出したのか?」 外しながら、マジックは訊く。 「ああ……うん」 「銃を持っていたな。あれは?」 「たぶん、あそこ」 ハーレムは柱の近くの叢を指さした。叢の中に、拳銃はあった。 「これは……リカード愛用の銃だな」 マジックは銃身をいじりながら云う。 「大した手向けでもないが、海の中に投げ入れてやるか。それとも――おまえが持ってるか」 「……持ってる」 マジックから手渡されたS&W。 リカードの苦渋に満ちた告白や、今夜のマジックの姿と共に、一生の宝物にしようと、ハーレムは思った。 「今日は大活躍だったな」 マジックがハーレムの肩を軽く叩いた。ハーレムは、誇らしいような、照れくさいような、くすぐったいような、そして何故かちょっともったいないような、変な気分になった。 「疲れたろう。お前達はルーザーと先にホテルへ戻って、休んでなさい」 やがて近隣の住人達が方々から集まってきた。マジックと警官隊は対応に追われている。 自分はもうここにいる必然性の感じなくなったハーレムは、だが、全ての毒気を抜かれたような表情で、まだそこにぽやっと突っ立っていた。―――と。 「ハーレム」 肩に手が置かれた。聞き慣れた、鼻にかかった優しげな声と共に。 「ご苦労様」 だがそれは、生憎とハーレムの嫌いなものであった。 知ってか知らずか声の主、ルーザーはにこにこ笑っている。 途端にハーレムの背筋にぴりりと電撃のようなものが走り、いつもの――いや、いつもよりもっと険しい表情に変わった。 「放せ!馴れ馴れしく触るんじゃねぇ!」 ナイフのような鋭い気迫と共に、勢いよくルーザーの手を振り払った。呆然としている次兄に背を向け、ハーレムはあの兄のように、背を伸ばしぴんと胸を張り、威厳と誇りを持って、足音高く、最初の一歩を踏み出した。 光と闇 第六話 BACK/HOME |