士官学校物語・春
4
(まさか、あいつが青の一族だなんて――)
 浜辺に腰掛け、ジャンは物思いに耽っていた。
 闇の帳の落ちた空、濃紺に染まった海とをぼんやりと眺めながら。
 夜の海は好きだった。ここは故郷の海とは違い、暗雲のたれ込めることの多い、寒々とした海だったが、辺りが暗ければ、その違いを意識しなくても済む。
 波の音は、心を落ち着かせてくれる。前にも二、三回、寮を抜け出してはここに来ていた。
 だが、ジャンの憂鬱は晴れない。
 思い出されるのは、桜の木の下で会った彼の姿。
 寮生の前で、マジック総帥の弟だと、紹介された彼。入学式では、新入生代表として、兄であるマジック総帥への答辞を読み上げた彼。
「我々は、ガンマ団士官学校の生徒として、知恵を磨き、身心を鍛えることを怠らず、将来ガンマ団のために、総帥の期待に応えられるよう、精一杯頑張ります」
 半ば事務的に、何の感動もなく答辞を述べ上げた、淡々としたサービスの声が耳について離れない。
(あんな虫も殺さぬ顔して…あいつも将来、人殺しの手伝いをするようになるのか)
 目標は、世界征服。
 ガンマ団は中途半端なおためごかしをせず、それを全面的に打ち出している。
 士官学校に来ている者は、大抵はそれに納得しているか、或いはそうせざるを得ないような状況に置かれている者ばかりである。
 彼らは、自分らの組織が非道なものであることを隠しはしない。それどころか、自ら暗殺集団を名乗っている。それが故の危険性がジャンには、はっきりと読みとれるのである。
 赤いブレザーに身を包み、来賓席に座って、皆に笑顔を向けているマジックを見て、他の者はいざ知らず、彼だけは敵だと、ジャンは確信した。
 ジャンは、誰に対するものともつかぬ、微かな苛立ちを覚えた。それは、敵の御大将マジックに対するものであったのか、何の疑問も抱いてないふうなサービスに対するものだったのか、案外、奇妙なことだが、いつか彼らと敵対するかもしれない己自身に対するものであるかもしれなかった。
 眉間を狭め、少し面を厳しくする。その様子は、見ようによっては、どこか哀しくさえあった。


「あ、ほら、あれじゃないか?あそこにいるの、そうだろう?」
「みたいですねぇ」
「いいのか? 呼ばなくて」
「そうですねぇ。そろそろ点呼の時間ですし――あ」
 ジャンが、海岸の小高い道路の上で話し合っていた二人の姿を認め、階段を上がってきた。
「やぁ高松。こんなとこで何してんだ?」
「夜の散歩。ついでにあなたを探しに」
「そっちにいるのは?」
 ジャンはひょいと高松の隣を覗き込む。
「あなたが気にしてた、総帥の弟のサービスですよ」
「やあ、こんばんは」
 長い金髪を後ろで括った少年は、ジャンに挨拶する。
(そうだ。高松の知り合いだって聴いたっけ)
 そんなことを思い出していたジャンに、サービスが話しかける。
「今朝、桜の下で会ったよね」
「ああ、覚えてる」
 あの時はまさか、総帥の弟だなんて思わなかったが。
「その後、俺、何度かアンタの姿を見たよ。俺、ジャンてんだ。よろしく」
「知ってる。高松から聞いたよ。君、高松の友達?」
「うん。この街に来たばかりで何もわからなかったとき、助けてくれたんだ」
「へぇ」
 相手は驚いて、どうでも良さそうに歩いている高松を見て、それから再び視線をジャンに戻した。
「いい加減こいつとは長いつきあいになるけど、そんな親切な面があったなんて、初耳だな」
「親切どころの話じゃないんですよ。サービス。まぁ、なんというか、最近ではだいぶマシになってきたみたいだけどこの人、ずいぶんと物知らずでね、ひょんなことから関わり合いになっちゃって――あとはまぁ、成り行きですかね」
「物知らずなんて、ひどいなぁ」
 多少心外になったジャンは反駁する。
「だって、そうじゃありませんか。第一、私に対して、ちっとも警戒してなかったんですから。怪しいやつではないかとか、金を巻き上げるつもりではないかとか、思っても良さそうなものなのに」
「俺にだって、人並みの警戒心ぐらいはあるよ」
 ジャンは肩を竦めながら言った。
「感じでわかるんだ。そういうこと考えるやつってのは。考えてることって、表情から、口振りから、全てに表れるから。高松の場合は、そういうの全然なかったからさ。俺、人を見る目にはそれなりの自信があるんだ」
 でなけりゃ、秘石や島を外敵から守るなんて仕事、果たすことはできないさ、とジャンは心の中で付け足す。
 高松は、何を言い出すんだとばかりに目を瞠った。
「自分で言うのは、ちっともあてになりませんよ」
 早口でそう言い捨て、顔を背け、さっさと歩き出す。なんだかいつもと様子が違う。
(あれ? 顔には出していないけれど――もしかして照れてる?)
 ジャンは、態度も口調も大人びて、世の中のたいていのことは心得ているようなこの同級生に、初めて年相応の部分を見たような気がした。
 サービスがはたからその様子を面白そうに眺めている。不意に顔を向けると、視線がかち合った。
(こっちを見てる……)
 初めて見たときのような、幾分硬い表情ではない。気を許した者にしか見せないような、リラックスした顔。最初透き通ったガラス玉のようだった青い瞳が、今は生命を持って輝いている。
(なんか……普通の人間みたいだな。こうしてんの見ると。俺達と、ちっとも変わんないじゃないか)
 ジャンは、長い髪を風に靡かせながら歩いている、サービスの横顔を見やりながら思った。
 だけど、きっとこれが素なのだ。友達と一緒につるんで歩いているときが一番楽しい、どこにでもいる少年。
 最初に会ったときは、どこかこの世離れしていて、まるで桜の精霊か何かのようで、生身の人間と言われても、にわかには信じ難いものがあったが。
 満月と呼ぶには少し欠けた月が、空で輝いている。
 同じように月が出ていた一月前も、こうやって道を歩いていたことがあった。あの時は、いったいどこに出るのか、不安と期待がないまぜになりながら一人で歩いていたものだったが。
 今は、知り合ったばかりの、ちょっと騒がしい二人の同伴者がいる。
 歩きながら彼らの話に交じっていたジャンは、何も知らず、島でソネと騒ぎ合っていた頃を思い出していた。なんだか妙な、くすぐったい感じがしたが、それはけっして嫌なものではなかった。


士官学校物語・春 第五話
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