士官学校物語・春
3
噂には聞いていたけれど、大したものだなぁ)
 大地にどっしり根を下ろした桜の巨木の下、ジャンは風に捲かれてはらはらと舞い落ちる薄紅の切片を眺めていた。落ちた花びらは地面に敷き詰められている。
 春らんまん。桜も花の盛りである。
 士官学校の裏庭、ここには桜の大木が一カ所に固まっていて、春が訪れると、まるで輪を囲むように一斉に咲く。
 他の寮生たちから教えてもらった、隠れた桜の名所である。
(島のみんなに、見せてやりたいなぁ、特に、ソネに)
 自分の脚が木の根であるためか、言葉によって自己主張しない植物に、特別な感情移入するくせのある故郷の友人は、この花を見て、なんというだろう。そう思ったとき、「こんなに早く散るなんて、お前らなんて根性無しなんだ!」と桜に向かって本気で説教するソネの姿が頭に浮かんだ。
 ジャンが密かに心の中で笑い、更に奥まった場所へ歩を進めたときである。
(おやっ?)
 先客がいた。
 真っ新なブラウス、肩口が白の、灰色のベスト。無地の赤いネクタイ。折り目の整った黒いスラックス。士官学校の制服だった。ジャンとほとんど同じ格好である。ただ、違うところといえば、ジャンはネクタイを窮屈だからとだらしなく緩めているのに比べ、あちらは襟元でぴっちりと綺麗に止めているところである。
 透き通るような淡い金髪を後ろで一つにまとめている。
(なんだ、ご同類か)
 入学式までの暇な時間を利用して、桜を見に来たのに違いない。ジャンが二、三歩進み出ると、そんな彼の気配に気がついたのか、相手がちらとこっちを見る。
「綺麗だね、桜」
 ジャンは誰に言うともなく、ほとんど独り言のように、口にした。
「……そうだな」
(おお、答えが返ってきたぞ)
 嬉しくなったジャンは、さらに言った。
「初めて見たけど、俺、この花好きになったな」
「……僕は、好きでも嫌いでもないな。確かに綺麗だけど、散ってしまえばそれまでだから」
 そう言って相手は、首を傾げていたジャンの方へと向き直る。そのときジャンは相手の少年の顔を初めてまともに見た。
 成長期などというものはなく、既にかっしりした大人の体躯を有していたジャンに比べれば、小柄に見える。
 切れ長の眼に長い睫毛、高い鼻筋の白皙の美貌。真ん中から分けた長めの前髪からのぞく、どこか遠くを見ているような蒼い瞳。全体的に、どこかしら厭世観めいたものすら漂っている。
 ジャンは微かに目を見開いた。
 島で存分に太陽を浴びてきた浅黒い肌、ようやく先が肩につくくらいの黒髪、円い大きな黒い瞳を持つジャンとは、対照的である。
 やがて、金髪の少年はふいと踵を返すと、校舎に消えていった。
 ジャンは、その後ろ姿に対して、ただ黙って見送るだけだった。


士官学校物語・春 第四話
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