士官学校物語・春
11
「やぁ、よく来たね」
 挨拶も程々に、若い邸の主は、客を中へ通す。
 この時のマジックの顔は、友人や知人を迎え入れる時のそれである。この顔だけ見ていると、彼がガンマ団の総帥だということなど、想像だにし得ないだろう。いったい彼には幾つの顔があるのだろう、とジャンは思う。
 土曜日――いつもは金曜なのだが――、サービスが、寮から家に帰るついでに、ジャンも連れて来られたのだ。泊まっていっていいという。
「一旦気に入ったら、何と理由をつけてでも来てもらいたがるんだ。そりが会わない人間は頑として受け入れないけどね。気に入られたみたいで、良かったな。ジャン」
 サービスが、可笑しそうに言っていたのを思い出し、ジャンは密かに苦笑する。
(気に入られた――か。良かったんだか悪かったんだか)
 ジャンは内心複雑である。いっそ嫌ってくれれば、話はもっと簡単かもな、とまで思ってしまう。たとえ、目的のためには、気に入られた方が有利なのだと、わかってはいても。
「飲み物でも持ってこよう」
 マジックが、リビングのソファに座った三人に言った時だ。
「待って、兄さん。僕がやりますよ」
 壁で仕切られていないダイニングの方から、若い長身の男がひょいと顔を出した。
 ルーザー――敗北者と言う名の彼。実物は初めて見る。
 知的に秀でた額。線の細い端麗な顔を彩る、真っ直ぐで柔らかい髪。殊更に落ち着いた雰囲気を目立たせている黒い服が、長身で均整のとれた体格によく似合っている。加えて優雅で美しい身のこなし。
 だが、ジャンは彼に、ほんの微かにまといつく違和感を敏感に察知した。
(…………?)
 ふと、ジャンと目が合った相手は、普段の顔から、スムーズに笑顔に変わる。 少し首が傾げられ、さらりと髪が流れると、今にも消えてしまいそうな儚げな趣さえ生まれる。
 同時に、ジャンがさっき感じた違和感は、ますます強まった。
「コーヒーがいい? それとも紅茶?」
 ルーザーがジャンとサービスに訊く。
「俺は、どっちでもいいです」
「僕は紅茶がいいな」
「紅茶ね、オーケー。お茶請けにはマドレーヌがありましたよね。兄さん」
「ああ」
 ルーザーが紅茶を持ってくるために一旦さがる。
 あいつが淹れてくれるお茶は、私が淹れたのより旨いんだ、とマジックは自慢げに話す。
「ああ、ジャン君。君は初めて見る顔だろうね。今のは我が家の次男、ルーザーだよ」


(青の一族の四人兄弟。その四人目が、やっと姿を現したというわけか)
 長男のマジック、末弟のサービス、そしてさっきの、次男のルーザー――あれ?
(ハーレムがいない)
 リビングでは、会話を交わしながら紅茶とお茶菓子をしたためた後、ルーザーが、皆にピアノの腕を披露していた。それに感心しながらも、ジャンは疑問に思わずにはいられない。
 この広い邸に、たった四人で住んでいるというのだから、別にここに姿を見せなくても、不思議がるには当たらないかもしれないが。
 マジックもルーザーも、ジャンに対して精一杯歓待していたが、注意深く見ていると、どこか上の空という感じが、しないでもなかった。他に、気がかりなことでもあるようだった。

「そうそう。お茶だけでは足りんだろう。今日は御馳走を用意したから、食べて行きなさい」
 マジックの笑顔に、一瞬疲れに似たようなものが走った。が、それはすぐに拭い去られた。
(気のせいだろうか)
 ジャンは思った。

「もう三日になるぞ。何の連絡もないとはどういうことだ。……全く、何度出ていけば気が済むんだ。あいつは」
「まだ家出と決まったわけではないですよ。何か事件に巻き込まれているのかもしれないし」
「ばかな。前にも同じようなことがあったのを忘れたか。もし本当に事件に巻き込まれているとしたら、まだ同情の余地はあるかもしれんが――いや、やはりそれはないだろう」
「今回もそうだとは、限らないじゃないですか。早く捜索隊を出動させるべきですよ」
「その直後に見つかったりしてな。以前みたく――」
 口論している二人の兄を後目に、サービスはうんざりした顔で部屋を出ようとし――一つの顔にぶつかった。
「ジャン――」
 とりあえず、サービスは室のドアを閉めて出た。
「聞こえてた?」
「聞きたくなかったけどね」
 ジャンは聴力がいい。マジックとルーザーのやり取りも、一部だが耳に入った。
「どうしてこんな所に?」
「道に迷ったんだ」ジャンは情けなさそうに頭を掻く。「ここって、やたら広いからなぁ」
「ほとんど無意味なくらいにね」
 サービスが応じる。
「おまえの家だろう?」
「僕が建てたわけじゃないんだから、構わないよ」
 二人は話しながら廊下を歩いている。
 しばし間が開いた後、サービスが口を開いた。
「こんなこと、君に訊いてもしようがないかもしれないけど」
「何だい?」
「ここ二、三日、ハーレムをどこかで見かけたなんてこと、なかった?」
「いいや。あ、もしかして、さっき総帥達が家出だのなんだのって話してたのって、ハーレムのこと?」
「そうだよ。――今更隠したって、しようがないな。今までにも、何度かこういうことがあってね」
 前に、バイクで突っ走っているところを捕まったこともあるという。
「僕は、マジック兄さんと同じで、そんなに心配しなくていいと、思うんだけどね」
 サービスが言った。
「ルーザー兄さんはすごく心配してるんだ。君も見ただろう。外見通り、神経細い人なんだ。あんないい人に心配かけて、いったい何が楽しいんだろう。本当――さっさと止めればいいのにね。あんなこと」
 言っていることは批判めいていたが、その口調は、どこか双子の兄を憐れんでいるようだった。


士官学校物語・春 第十二話
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