士官学校物語・春 挨拶も程々に、若い邸の主は、客を中へ通す。 この時のマジックの顔は、友人や知人を迎え入れる時のそれである。この顔だけ見ていると、彼がガンマ団の総帥だということなど、想像だにし得ないだろう。いったい彼には幾つの顔があるのだろう、とジャンは思う。 土曜日――いつもは金曜なのだが――、サービスが、寮から家に帰るついでに、ジャンも連れて来られたのだ。泊まっていっていいという。 「一旦気に入ったら、何と理由をつけてでも来てもらいたがるんだ。そりが会わない人間は頑として受け入れないけどね。気に入られたみたいで、良かったな。ジャン」 サービスが、可笑しそうに言っていたのを思い出し、ジャンは密かに苦笑する。 (気に入られた――か。良かったんだか悪かったんだか) ジャンは内心複雑である。いっそ嫌ってくれれば、話はもっと簡単かもな、とまで思ってしまう。たとえ、目的のためには、気に入られた方が有利なのだと、わかってはいても。 「飲み物でも持ってこよう」 マジックが、リビングのソファに座った三人に言った時だ。 「待って、兄さん。僕がやりますよ」 壁で仕切られていないダイニングの方から、若い長身の男がひょいと顔を出した。 ルーザー――敗北者と言う名の彼。実物は初めて見る。 知的に秀でた額。線の細い端麗な顔を彩る、真っ直ぐで柔らかい髪。殊更に落ち着いた雰囲気を目立たせている黒い服が、長身で均整のとれた体格によく似合っている。加えて優雅で美しい身のこなし。 だが、ジャンは彼に、ほんの微かにまといつく違和感を敏感に察知した。 (…………?) ふと、ジャンと目が合った相手は、普段の顔から、スムーズに笑顔に変わる。 少し首が傾げられ、さらりと髪が流れると、今にも消えてしまいそうな儚げな趣さえ生まれる。 同時に、ジャンがさっき感じた違和感は、ますます強まった。 「コーヒーがいい? それとも紅茶?」 ルーザーがジャンとサービスに訊く。 「俺は、どっちでもいいです」 「僕は紅茶がいいな」 「紅茶ね、オーケー。お茶請けにはマドレーヌがありましたよね。兄さん」 「ああ」 ルーザーが紅茶を持ってくるために一旦さがる。 あいつが淹れてくれるお茶は、私が淹れたのより旨いんだ、とマジックは自慢げに話す。 「ああ、ジャン君。君は初めて見る顔だろうね。今のは我が家の次男、ルーザーだよ」 (青の一族の四人兄弟。その四人目が、やっと姿を現したというわけか) 長男のマジック、末弟のサービス、そしてさっきの、次男のルーザー――あれ? (ハーレムがいない) リビングでは、会話を交わしながら紅茶とお茶菓子をしたためた後、ルーザーが、皆にピアノの腕を披露していた。それに感心しながらも、ジャンは疑問に思わずにはいられない。 この広い邸に、たった四人で住んでいるというのだから、別にここに姿を見せなくても、不思議がるには当たらないかもしれないが。 マジックもルーザーも、ジャンに対して精一杯歓待していたが、注意深く見ていると、どこか上の空という感じが、しないでもなかった。他に、気がかりなことでもあるようだった。 「そうそう。お茶だけでは足りんだろう。今日は御馳走を用意したから、食べて行きなさい」 マジックの笑顔に、一瞬疲れに似たようなものが走った。が、それはすぐに拭い去られた。 (気のせいだろうか) ジャンは思った。 「もう三日になるぞ。何の連絡もないとはどういうことだ。……全く、何度出ていけば気が済むんだ。あいつは」 「まだ家出と決まったわけではないですよ。何か事件に巻き込まれているのかもしれないし」 「ばかな。前にも同じようなことがあったのを忘れたか。もし本当に事件に巻き込まれているとしたら、まだ同情の余地はあるかもしれんが――いや、やはりそれはないだろう」 「今回もそうだとは、限らないじゃないですか。早く捜索隊を出動させるべきですよ」 「その直後に見つかったりしてな。以前みたく――」 口論している二人の兄を後目に、サービスはうんざりした顔で部屋を出ようとし――一つの顔にぶつかった。 「ジャン――」 とりあえず、サービスは室のドアを閉めて出た。 「聞こえてた?」 「聞きたくなかったけどね」 ジャンは聴力がいい。マジックとルーザーのやり取りも、一部だが耳に入った。 「どうしてこんな所に?」 「道に迷ったんだ」ジャンは情けなさそうに頭を掻く。「ここって、やたら広いからなぁ」 「ほとんど無意味なくらいにね」 サービスが応じる。 「おまえの家だろう?」 「僕が建てたわけじゃないんだから、構わないよ」 二人は話しながら廊下を歩いている。 しばし間が開いた後、サービスが口を開いた。 「こんなこと、君に訊いてもしようがないかもしれないけど」 「何だい?」 「ここ二、三日、ハーレムをどこかで見かけたなんてこと、なかった?」 「いいや。あ、もしかして、さっき総帥達が家出だのなんだのって話してたのって、ハーレムのこと?」 「そうだよ。――今更隠したって、しようがないな。今までにも、何度かこういうことがあってね」 前に、バイクで突っ走っているところを捕まったこともあるという。 「僕は、マジック兄さんと同じで、そんなに心配しなくていいと、思うんだけどね」 サービスが言った。 「ルーザー兄さんはすごく心配してるんだ。君も見ただろう。外見通り、神経細い人なんだ。あんないい人に心配かけて、いったい何が楽しいんだろう。本当――さっさと止めればいいのにね。あんなこと」 言っていることは批判めいていたが、その口調は、どこか双子の兄を憐れんでいるようだった。 士官学校物語・春 第十二話 BACK/HOME |