士官学校物語・春 ぱちり。電気を点け、高松がジャンを部屋へ通す。 ここに来る度に、ジャンは思う。 (ここって、いつ見てもどっちらかってるんだよなぁ) ファイルと書類で埋め尽くされた机。書き損じの紙が盛り上がっている屑籠。 まちまちのジャンルの本と、かさばるレコードとに占領された本棚(当然そばにはレコードプレーヤーがある)。なおかつそれに収まりきらなかった本が、何冊か床に散らばっている。カバーを掛けられ、部屋の隅にひっそりと置かれているタイプライター。お世辞にも完璧に整頓されている部屋とは言えない。 「ちょっとこれを見てください」 高松が本棚から黄色い表紙のスクラップブックを引き出してきた。 最初のページに、一枚の写真が挟まれている。 芝生を背景にし、五人の人間が写っている。足元にはふさふさとした茶色と白の毛の牧羊犬。誰もかれもが、光に包まれ、幸福そうだった。 それは見事なカンバセーション・ピース。一片の欠けた所のない、家族の肖像。 「二年前、彼らと会った時に、撮った写真です」 「これ、高松?」 ジャンが素早く真ん中当たりに黒髪の少年を見つけて指さした。 基本的な雰囲気に変わりはないが、黒子のある口元と、皮肉げなものではない笑みを浮かべているさまは、今より少し幼い感じだ。 「ええ。ほら、こっちにいるのがサービスですよ」 目の大きな、肩まである金髪の持ち主が、画面に向かってにっこり笑っている。 「すげぇ。まるで女の子みたいだ」 「と、よく言われてましてね、そのたびに怒ってましたよ」 言いながら、高松がくすくす笑う。 そのサービスと、高松を挟んで立っている、いかにもやんちゃ坊主といった感じの男の子がいた。子獅子のような髪の感じからして、これはハーレムだろう。 二人とも今と違い、それぞれに背負っている、翳のようなものはまだ全くなかった。 今より少し若い、総帥とおぼしき人が、左上に映っている。まだ少年といっておかしくない年であろうが、慈愛に満ちた眼差しで弟達を眺めている姿は、兄というより父親のようである。 そして――彼の右隣にいるのは、誰だろう。 「高松、この人は?」 「ああ。ルーザー様ですね。総帥のすぐ下の弟です。当時の私の文通相手でしてね」 「ルーザー? 敗北者って意味の? ずいぶん変わった名前だなぁ」 それに、意外だ。前にいる弟達より更に無邪気な笑みを浮かべている、殆ど天使といってもいい顔は、少なくとも、そんな不吉な名前には似つかわしくない。 「この世で私が唯一尊敬している方ですよ」 高松は次のページを開いて見せた。新聞の切り抜きがスペースを埋め尽くしている。 「“青の一族”に関する記事です」 静かにいう高松から、スクラップブックを受け取る。中にたくさんの付箋が挟んである。その予想外の重さに、ジャンは呆然となった。 「これ、全部高松が集めたのか?」 「ええ。私の場合、彼らに興味を持つようになったのも、ルーザー様がきっかけでした。記事は、あの方を知るようになってから集めるようになったものですよ」 まずは目を通してください、と高松に勧められるまま、ジャンはざっと記事を流し読む。 新聞、週刊誌、ガンマ団の機関誌……ありとあらゆる所から集めたようだ。やはりマジックにまつわる記事が多い。 赤いブレザーに身を包み、鷹揚な笑みを浮かべているマジック。ガンマ団総帥就任式の時のものだ。 ガンマ団が関わっていると思しき戦争や事件の記事。小さな街が一夜にしてクレーターに変わってしまった話。学術誌に掲載された、天才少年ルーザーに関する記述……etc,etc。 一見ガンマ団とは無関係の、原因不明の爆発事故の記事もある。 「これも、青の一族がやったとでも?」 「さあ。ただ、これが起こったのは当時ガンマ団と敵対していた組織ですからねぇ」 高松は皮肉げに口元を歪める。 「……すごいもんだな」 ジャンは唸るように呟いた。彼らが世の中に与えた影響は、計り知れないだろう。 ジャンは改めて彼らの――主にマジックの――力を思い知らされていた。 「高松、ちょっと訊いていいか?」 「どうぞ」 「どうして、俺にこんなことを教えてくれるんだ?」 「さて、ね。あなたには知っていて欲しい。なんとなくそんな気がしたんですよ。これから、あなたが、サービスや彼らと、関わり合いになるのなら。それに、よしんばあなたがどこかのスパイだったとしても」 ジャンはぎくりと身を強張らせた。だが、高松はスクラップブックに目を落としていて、ジャンの様子が変わったことには気がついていないようだった。 「――私ですら知っていることを教えるのは、さして問題ではないでしょう。どうせ私も、外側しか見えてはいないんですよ。ただ、彼らの近くで彼らを見ているから、その分だけちょっとは詳しい、というぐらいのもので。ただねぇ、私にも、これだけはわかりますよ」 高松の茶色の目が、その奥底に不思議な輝きを湛えている。 青の一族をそばでずっと眺めていた高松が、彼らに寄せる感情は、ジャンなどのそれよりもっと深い。 青の一族なんかより、己と違い、彼らに関わる何の必然性もないのに、彼らを見、彼らと近しく付き合っているこの友人の方がもっと謎なのではあるまいか。ジャンはぼんやりとそう考えていた。 「彼らの抱えているものが、我々が考えているより、ずっと重いだろうことを。彼らは――人間であって、人間ではないのだから」 ジャンは、ちっとも状況は変わっていないのに、これからどうなるのかは全てわかるといったような、錯覚じみた気分に陥っていた。 ジャンはこれから、青の一族に深く関わっていかざるを得ない。多分、『ジャン』という異分子が投入されることで、周りの状況は一変するだろう。 運命は変わる。その渦に、高松までをも巻き込むかもしれない。 (俺はここに、来ない方がよかったのかもしれない) もちろん、思ってみてもどうしようもないことだ。とにもかくにも、彼はここにいる。己がここにいることの正当性を疑ってみる資格は、自分自身にもありはしなかった。 ここに来てから何度目かの、苦い気持ちを味わいながら、ジャンは床に就いた。 海に行って、波の音を聞きに行こう。全て、さっぱり洗い流そう。 気持ちとは裏腹に、ジャンはいつの間にか眠りに落ちていた。 士官学校物語・春 第十一話 BACK/HOME |