明日は永遠に来ない
急がなければ。 ――悪い予感がする。 サービスはアクセルを強く踏んで、スピードをぐんぐん上げる。 車はタイヤが石につっかかって跳ねるが、そんなことはどうでもいい。 さっきの夢。 あれは――正夢ではないのだろうか。 サービスとハーレムは、双子という宿命からか、いろいろ不思議なわざが自分たちの身に起こって、それが当然だと思っていた。――それが超常現象だと知った時は、二人ともずいぶん驚いたものだ。 尤も、それは子供の時の頃の話で、今は、そんなことは全然起こらなくなったのだが。 もしかして――まだ、その時の絆が残っているとしたら……。 (あった) 確かこの辺りだと、サービスの勘が告げる。 夢の通りの風景。崩れやすいなだらかな崖。 サービスの車のライトが、それを映し出す。 それ――放っておけば谷底に落ちそうな、ハーレムの車。動くに動けない、ハーレムの、車。 (ハーレム!) 助けなければ。 サービスは、そこで車を止めた。だが、その時、サービスに悪魔が囁いた。 (ここで見殺しにすれば、復讐は完成する) (な……) サービスは身震いした。 (そんなことできるわけないだろう) (おまえはハーレムを憎んでいた) (でも――それは、ルーザー兄さんのことがあったからで……) (きっかけなどどうでもいい。おまえはハーレムを憎んでいた。ずっと、ずっと前から) (どうして?) (何故なら――) 悪魔の舌なめずりする顔が見えたような気がした。 (おまえはハーレムを愛していたからだ!) (なに……?!) (なのに、『双子の弟』としかおまえを見ないハーレムに腹を立てていた) (違う、違う、違う――!) だが、そう言いきれない何かが、サービスにはあった。 ハーレム――僕の双子の兄。 愛憎半ばしているのは本当だ。今だって、愛しく思うことがある。 だから――逃げたのだ。 ジャンからも、ハーレムからも。 高松だけは、心得顔でにやにやしている。だから、彼は或る意味同類なのだが。 (僕は――) (僕は?) (もう誰も死なせたくない。たとえハーレムでも) (それは、本心か?) (本心だ) サービスはきっぱりと答えた。 (このままだと、車は崖から滑り降りるだろう。そしたら、さぞかし寝ざめが悪かろう。自分にでも、やれることがあったのではないか、と後悔して) そうだ。 ルーザーのことでマジックやハーレムを憎んでいたのは、実は彼らが悪いからではない。できるだけそう思い込もうとしたが。 許せないのは、あの優しい兄を止めることのできなかった自分自身だ。 ルーザーを戦場に送ったのは、自分だ。 サービスが、ルーザーを、死に追いやった。 ――サービスは、泣いていた。 (ルーザー兄さん、すみません……) 謝っても詮ないことだが、謝らずにはいられなかった。 (僕のせいで、人が死ぬのは、もう嫌だ。見たくない。僕はこの世を捨てた人間だ。それなのに、どうしてこんな機会に出くわさなければならないのか) サービスは思った。 (もう、このまま手を拱いて待っている訳にはいかない) サービスの心を、甘酸っぱい何かが通り過ぎた。 それは、ハーレムと仲が良かった頃の思い出。 一緒にかまくらを作ったり、ケーキを拵えたり、秘密基地でのくすくす笑い。 そばには、ハーレムの、太陽のような笑顔。 (ハーレム……) のろのろと、サービスは車から降りた。トランクを開けてみる。まだ使えるものはないだろうか。 あった。長めのロープだ。ちなみに、これは首をくくる為に用意していたわけではないが、何かあったら、サービス、それを使うのを躊躇しないだろう。 自分で死ぬのと、人の死を見たくないというのは、彼にとって心の中で同居している想いだから。 サービスは、ぐい、と涙を拭う。 崖っ淵に生えている大木に近づき、ロープを結びつける。そして、片方の端を自分の胴に。命綱が切れないように、サービスは祈った。 「ハーレム、降りろ!」 サービスは叫んだ。 それが聴こえたのか――ハーレムは車のドアを開けて、ひらりと車中から出てきた。 がらん、らん……車は谷底に向かって、真っ逆さまに落ちて行った。 ハーレムは、崖にしがみついている。 「今行く! 待ってろ!」 サービスは声を上げた。 (いいのか、助けて――) (いい!) サービスは、心の中の悪魔の声に対抗した。 (あの時、見放してしまえば良かった、と思う日が、きっと来るぞ) (それでもいい!) サービスは一生懸命、声と戦った。 (今はあいつを助けたい! 明日のことは、明日が決める!) (おやおや。明日は永遠に来ないのではなかったのか) (僕にとって明日は意味を持たない。けれども――) サービス、めいっぱい大きな声で。 「ハーレムには、明日があるんだ!」 その頃には、サービスはもう、ハーレムの近くまで来ていた。 「つかまれ!」 ハーレムは、無言でサービスの手を取った。サービスが、ハーレムの大きな体を抱きかかえるようにする。 「――危なかったな」 あと、ほんのもう少しで、ハーレムは落ちて行った車と運命を共にするところであった。 サービスの気持ちは晴れやかだった。悪魔の声も、もう聴こえない。代わりに、こんな声が、心に飛び込んできた。 (それでいい――もう、じゅうぶんだ) 二人は、はあはあと、荒い息を吐いていた。彼らは、無言で、崖の上に佇んでいた。 どれほど時間が経っただろうか――朝日が昇ろうとしていた。荒野がオレンジ色に染まる。 「サービス。綺麗な太陽だな」 「ああ、ほんとに――」 「人は、生きている限り――明日は永遠に来ない――」 ハーレムの言葉にサービスは、(えっ?)と思った。この男には、読心術が備わっているのだろうか。 「……などということはない。明日は必ず来るんだ。おまえが俺を助けてくれたおかげで、俺はまた、明日を待ち望むことができる」 サービスは、ハーレムの方を見て、頷いた。 ハーレムを助けて、良かった――。 明日は永遠に来ない 6 BACK/HOME |