明日は永遠に来ない
5
 急がなければ。
 急がなければ。
 ――悪い予感がする。
 サービスはアクセルを強く踏んで、スピードをぐんぐん上げる。
 車はタイヤが石につっかかって跳ねるが、そんなことはどうでもいい。
 さっきの夢。
 あれは――正夢ではないのだろうか。
 サービスとハーレムは、双子という宿命からか、いろいろ不思議なわざが自分たちの身に起こって、それが当然だと思っていた。――それが超常現象だと知った時は、二人ともずいぶん驚いたものだ。
 尤も、それは子供の時の頃の話で、今は、そんなことは全然起こらなくなったのだが。
 もしかして――まだ、その時の絆が残っているとしたら……。
(あった)
 確かこの辺りだと、サービスの勘が告げる。
 夢の通りの風景。崩れやすいなだらかな崖。
 サービスの車のライトが、それを映し出す。
 それ――放っておけば谷底に落ちそうな、ハーレムの車。動くに動けない、ハーレムの、車。
(ハーレム!)
 助けなければ。
 サービスは、そこで車を止めた。だが、その時、サービスに悪魔が囁いた。
(ここで見殺しにすれば、復讐は完成する)
(な……)
 サービスは身震いした。
(そんなことできるわけないだろう)
(おまえはハーレムを憎んでいた)
(でも――それは、ルーザー兄さんのことがあったからで……)
(きっかけなどどうでもいい。おまえはハーレムを憎んでいた。ずっと、ずっと前から)
(どうして?)
(何故なら――)
 悪魔の舌なめずりする顔が見えたような気がした。
(おまえはハーレムを愛していたからだ!)
(なに……?!)
(なのに、『双子の弟』としかおまえを見ないハーレムに腹を立てていた)
(違う、違う、違う――!)
 だが、そう言いきれない何かが、サービスにはあった。
 ハーレム――僕の双子の兄。
 愛憎半ばしているのは本当だ。今だって、愛しく思うことがある。
 だから――逃げたのだ。
 ジャンからも、ハーレムからも。
 高松だけは、心得顔でにやにやしている。だから、彼は或る意味同類なのだが。
(僕は――)
(僕は?)
(もう誰も死なせたくない。たとえハーレムでも)
(それは、本心か?)
(本心だ)
 サービスはきっぱりと答えた。
(このままだと、車は崖から滑り降りるだろう。そしたら、さぞかし寝ざめが悪かろう。自分にでも、やれることがあったのではないか、と後悔して)
 そうだ。
 ルーザーのことでマジックやハーレムを憎んでいたのは、実は彼らが悪いからではない。できるだけそう思い込もうとしたが。
 許せないのは、あの優しい兄を止めることのできなかった自分自身だ。
 ルーザーを戦場に送ったのは、自分だ。
 サービスが、ルーザーを、死に追いやった。
 ――サービスは、泣いていた。
(ルーザー兄さん、すみません……)
 謝っても詮ないことだが、謝らずにはいられなかった。
(僕のせいで、人が死ぬのは、もう嫌だ。見たくない。僕はこの世を捨てた人間だ。それなのに、どうしてこんな機会に出くわさなければならないのか)
 サービスは思った。
(もう、このまま手を拱いて待っている訳にはいかない)
 サービスの心を、甘酸っぱい何かが通り過ぎた。
 それは、ハーレムと仲が良かった頃の思い出。
 一緒にかまくらを作ったり、ケーキを拵えたり、秘密基地でのくすくす笑い。
 そばには、ハーレムの、太陽のような笑顔。
(ハーレム……)
 のろのろと、サービスは車から降りた。トランクを開けてみる。まだ使えるものはないだろうか。
 あった。長めのロープだ。ちなみに、これは首をくくる為に用意していたわけではないが、何かあったら、サービス、それを使うのを躊躇しないだろう。
 自分で死ぬのと、人の死を見たくないというのは、彼にとって心の中で同居している想いだから。
 サービスは、ぐい、と涙を拭う。
 崖っ淵に生えている大木に近づき、ロープを結びつける。そして、片方の端を自分の胴に。命綱が切れないように、サービスは祈った。
「ハーレム、降りろ!」
 サービスは叫んだ。
 それが聴こえたのか――ハーレムは車のドアを開けて、ひらりと車中から出てきた。
 がらん、らん……車は谷底に向かって、真っ逆さまに落ちて行った。
 ハーレムは、崖にしがみついている。
「今行く! 待ってろ!」
 サービスは声を上げた。
(いいのか、助けて――)
(いい!)
 サービスは、心の中の悪魔の声に対抗した。
(あの時、見放してしまえば良かった、と思う日が、きっと来るぞ)
(それでもいい!)
 サービスは一生懸命、声と戦った。
(今はあいつを助けたい! 明日のことは、明日が決める!)
(おやおや。明日は永遠に来ないのではなかったのか)
(僕にとって明日は意味を持たない。けれども――)
 サービス、めいっぱい大きな声で。
「ハーレムには、明日があるんだ!」
 その頃には、サービスはもう、ハーレムの近くまで来ていた。
「つかまれ!」
 ハーレムは、無言でサービスの手を取った。サービスが、ハーレムの大きな体を抱きかかえるようにする。
「――危なかったな」
 あと、ほんのもう少しで、ハーレムは落ちて行った車と運命を共にするところであった。
 サービスの気持ちは晴れやかだった。悪魔の声も、もう聴こえない。代わりに、こんな声が、心に飛び込んできた。
(それでいい――もう、じゅうぶんだ)
 二人は、はあはあと、荒い息を吐いていた。彼らは、無言で、崖の上に佇んでいた。
 どれほど時間が経っただろうか――朝日が昇ろうとしていた。荒野がオレンジ色に染まる。
「サービス。綺麗な太陽だな」
「ああ、ほんとに――」
「人は、生きている限り――明日は永遠に来ない――」
 ハーレムの言葉にサービスは、(えっ?)と思った。この男には、読心術が備わっているのだろうか。
「……などということはない。明日は必ず来るんだ。おまえが俺を助けてくれたおかげで、俺はまた、明日を待ち望むことができる」
 サービスは、ハーレムの方を見て、頷いた。
 ハーレムを助けて、良かった――。

明日は永遠に来ない 6
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