明日は永遠に来ない
そのうち、ハーレムの呂律が回らなくなってきた。 「くそ……酔ったのかな。あんな水みたいな酒で……」 「大丈夫かい?」 サービスは、親切めいた口調で訊いた。 「あ、ああ……水を……」 「それより、寝た方がいいんじゃないかい?」 「ああ、わかった」 サービスは、薬でダウンしそうなハーレムを支えて、階段を上った。 (重いな……くそ。少しはダイエットしろよ) サービスは密かに毒づいた。 だが、薬に強いハーレムにも、やっと効いてきたということか。 さすが、高松の調合した薬である。それが学生を実験に使った結果であるということは、この際問わない。 ベッドに寝かせると、ハーレムは寝息を立て始めた。サービスは毛布を掛けてやる。 ハーレムは、一旦寝入るとなかなか目覚めない。 だが、殺気などを感じると、すぐに臨戦態勢になるのだから、侮れない。 生まれつきの戦士といったところか。そういえば、理想の死に方は、戦死だとのたまっていた。 (ハーレム……) 憎くて憎くて、仕方のない双子の兄。殺しても飽き足りない兄。 でも、本当はそれだけではなくて―― (ルーザー兄さんのことがなければ、今でも兄弟として……) いや、それは繰言というものだ。 それに、ただでさえ、ジャンのことで、サービスは人に対して心を開かなくなっていた。 寝ているハーレムは、いつもよりあどけない顔をしている。 泣き虫で強がりだった、子供の頃の兄。そのくせ、威張っていて……。 サービスは、そんなハーレムが、嫌いで、大好きだった。 ふと、欲情めいたものが、サービスの脳裏をかすめた。 ハーレムは目を覚ます気配を見せない。 サービスは、ハーレムの肉惑的な下唇を撫でた後、その指で自分の唇をなぞった。 (僕に襲われたら、こいつの男としてのプライドはずたずたになるだろうか) なるかもしれないし、ならないかもしれない。 だが、そんなことは、今は関係なかった。 サービスはここからいなくなる。そう決めたから――。 ハーレムが知ったら、 『畜生! してやられた!』 と、罵るかもしれない。 (さよなら。いつか姿を見せる日があるかもしれないね) でも、再会するのは、いつか自分が彼らを許す日か――或いは、復讐することに決めた日かもしれない。とにかく、サービスは、自らの意思で彼らのところに戻ってきたかった。 ガァァ……と、サービスは自分の愛車を走らせていた。ハンドルが軽い。 実は飲酒運転なのだが、彼はそんなことは気にしていなかった。 (どこへ行こう。どこへ――) 今の彼はどこへでも行けるし、また、どこにも行けなかった。 精神の放浪者。ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。 ジャンの最期の姿が、今でも目に焼き付いている。 (僕は、破滅した――) これが、破滅だ。ジャンの血は、今でもサービスの罪を訴えるだろうし、考えることといったら、ジャンのことと、ルーザーの復讐のことしかない。 いつだったか、そんなことを高松に言ったら、彼は、 「いい気なもんですねぇ」 と、薄く笑った。 確かに、日々露わになっていく自分達の復讐の結果を目の当たりにして見る高松は、離れている分、目を背けていられるサービスより辛いだろう。 しかし、グンマを猫っ可愛がりに可愛がっているのはどうしたわけか。何度も自慢話をするのは何故か。 にっくきマジックの息子なのに――どうもあれは演技には思われない。 まぁ、あんな変人のことなんて、わかりっこないのだ。 今、サービスに共感できるのは、まさしくあの変人しかいないのであるが。 サービスの車は、州外へと出た。 何もない荒野が続く。 (今夜は冷えるな――) サービスは思ったが、あまり態度には出ない。もともと、感情を表すというのが少ない質だから。 ところどころにぽつんぽつんと、灌木が生えている。 サービスの車は、舗装されていない道路でも、かなり楽に運転できる。そういう車を選んだのだ。 ハーレムは、荒野を走るのが好きみたいだ。なんとなく、わかる気もした。 どこをねぐらにしようか、サービスが思いめぐらせていると―― 白い四角い建物が見えた。 ありがたい。今日はあそこで過ごそう。 サービスは建物の前で車を止めた。 中は殺風景だった。白い壁。薪ストーブ。机と椅子。誰も寝ていないベッド。 「ふぅ……」 サービスは椅子に腰かけて、額に手をやった。少し酔ったかもしれない。 (ストーブにくべる薪を調達しなければなぁ……) だが、その前に少し横になりたかった。ハーレムとの会談は、思ったより神経を使った。あらぬ妄想もしたし、酒も入っている。 サービスは走っていた。 十八歳の姿のままで。 何から逃げているのかはわからない。 ただ、振り向くと恐ろしいものが見えそうで――。 それは、何だったのか。それは、誰だったのか――! 「兄さん!」 サービスは叫んでいた。 それは、マジックかルーザーか、どちらの兄のことであったのか。サービスは、双子の兄を「兄さん」と呼んだことはあまりない。 「ジャン!」 まろびそうになりながら、サービスはまた叫んだ。 ああ、そうか……。逃げているのは、ジャンの亡霊からだったのか。 そう思うと、少し、気が楽になった。 「俺が、怖いか? サービス」 「ああ……怖いよ。自分の罪をまざまざと見せられるようで――」 「では、俺と一緒に来ないか?」 「どこへ――?」 「俺達のいるところ」 ジャンのいるところ――。 それは、あの世を意味しているのだろうか。 そうだ。構わない。自分はとっくに死んでいる人間なのだから。 己にはもう、明日はないのだから。 明日は永遠に来ない。 ずっとそう思って生きてきたのだから。 サービスは立ち止まってごくんと唾を飲み込み、ゆっくり振り向こうとした。 その時唐突に、高い、今にも崩れ落ちそうな崖に止まっている車のイメージが割り込んだ。 もしかして、あれは、ハーレムの車じゃないか! 「ハーレム!」――サービスは、夢から覚めた。 明日は永遠に来ない 5 BACK/HOME |