明日は永遠に来ない
ハーレムは暖炉に目を留めた。 「そうだよ」 サービスが答えた。 「この暖炉は飾りか?」 「違うよ。 ――まだ必要な時期じゃないからね」 「ここは寒いじゃねぇか」 「いいだろう。別に。――来月になったら火を焚こうと思ってたんだ」 「そうだな――おまえは暑さ寒さに強いからな。一年中同じような黒い服ばかり着るようになっちまって」 「人の勝手だろ」 「――まぁな」 この黒い服は喪服の代わり――というより、自分の趣味もあったのだが。 (ジャンが亡くなってから――黒い服しか着ていない……) サービスは思った。 昔はいろいろな服を着て、士官学校のベストドレッサーと呼ばれたものだ。 黒い服も似合うので、 「サービスおじさんのくろいふくはステキだね」 と、シンタローに言われるぐらいだった。 「近いうち、遊びに来いよ。グンマも――……シンタローも、待ってる」 シンタローも待ってる、のところで、ハーレムは言葉に詰まったようだった。 この人も、あの甥に対する想いは同じだ、と、サービスは、久々に、この双子の兄と心が通じ合ったような気がした。 だが、この兄とも、今日でお別れだ。 ジャンの命日には行きたかったが、今回は――独りで過ごしたい。 独りでワインを傾けながら、ジャンの冥福を祈りたい。 「ワイン、あるけど飲むかい?」 「ああ」 サービスの言葉に、ハーレムは答える。 「だけどおまえ、他には飲まないのか?」 「普段、君は何を飲むんだい?」 「バーボンとか、ウォッカとか」 「言っとくけど、ワインしかないよ」 「じゃあ、それでいい」 用意してくる、と言って、サービスが立ち上がると、 「ああ、そうそう」 と、ハーレムが呼び止めた。 「この暖炉、懐かしいな」 ハーレムは、さぞ目を細めているだろう、と、サービスは何故かそう感じ取った。 そう。この暖炉は、昔住んでいた家にあったのを再現したのだ。 父がいて、母がいて、マジックとハーレムがいて――ルーザーがいて。 (ルーザー兄さん……) ルーザーのことを思うと、サービスは、マジックとハーレムを素手で殺したくなる。 もちろん、そんなことは不可能だ。マジックもハーレムも、肉弾戦ではサービスより強い。 だから――高松に協力してもらって、マジックの子供と、ルーザーの子供をすり替えたのだ。 (シンタローが知ったら……私のことを憎むかもしれんな) グンマも良くは思わないかもしれない。だが、サービスは、シンタローに真相を知られるのが怖かった。 (本当のことを知ったら――あの無垢な瞳に、私はどう映るであろうか――) まさか、こんなことで後悔するようになるとは、思いもよらなかった。 これが、私の復讐の結果だとすれば――神はずいぶん皮肉なことをする。 あのシンタローがジャンにそっくりになっていくのを見ることになるなんて――。 シンタローは、金髪碧眼が当たり前の一族の中で、唯一の黒髪黒い瞳だ。 (義姉さんが裏切るとは考えられない) エレーヌ義姉さん――マジックの妻は、昔はともかく、今は、こっちが気恥しくなるほど、夫婦仲が良い。 (そうだ、ワイン、ワイン、と) グラスを二つ用意し、シャトー・ラトゥールの詮を開けた。今日、独りで飲もうと準備していたワインである。 (あいつには勿体ないけれど――) でも、まぁいいだろう。もう会うことはないのだから。 たとえ、シンタローにせがまれても、もうマジック邸に行くこともない。 たった今、決心した。 (私はもう、許されないことをしてしまったのだから――) ハーレムのワインには、いつか使おうと思っていた、高松から渡されていた毒を盛ろうと思った。それだけのことを彼もやっているのだし、彼みたいな人殺しが一人でもいなくなったら、世の中はもう少し平和になるだろう。 だが―― (ルーザー兄さんは、ハーレムのことを気にかけてたっけ) 死んだ次兄に免じて、毒の代わりに、強力な睡眠薬を入れた。 これも高松からもらったもので、どうしても眠れない時は、たまに服用していた。 高松は、よくこの家に来る。 (私の友達といえば――ジャンの亡くなった今、高松しかいないのかもしれない) そして、自分の理解者も――。 (今までの私は既に死んだ。ジャンと共に) そのことで、ルーザーに死なれた高松とは、気持ちを分かち合っていた。高松はルーザーの崇拝者だったのである。恋心すら抱いていたかもしれない。 高松にも年上の女性である恋人がいたが、彼女も死んでしまった。 彼らは愛する人に死なれ、世をすねている者として、共通点があるのだろう。 今は、高松が一番身近に感じられる。だから、復讐にも手を貸してもらった。 (悪いのは、私だ――シンタロー、すまん。ハーレム――私は君を許していない。だけど――まだチャンスはある) 涙が流れそうになるのをぐっとこらえる。 「待たせたね」 ワイングラスを持って、サービスは姿を現した。左手のが、ハーレムの分だ。 「おう。遅かったじゃねぇか」 ハーレムは、何が楽しいのか、上機嫌に見える。 この男はいつだって生きるのを楽しんでいるように見える。サービスにそう見えるだけかもしれないが。 その性質が、サービスにハーレムへの憎悪をますます掻きたてる。 だが、そのことはサービスは表には現さない。元々ポーカーフェイスで、あまり表情が変わらない質なのだ。 「そこに座れよ、なぁ」 「ああ……」 サービスは、ハーレムの隣に座る。薬の入れたワインをハーレムに手渡した。 「乾杯。――ジャンの野郎に」 「…………」 「シケた顔すんなよ。サービス。ジャンはあの世でよろしくやってるさ」 「だといいけどね」 ハーレムは、赤い液体を一気に飲み干した。 (勿体ない飲み方をする) サービスは眉を顰めた。だが、その方が薬の効き目も早いかもしれない。 「マジック兄貴も――心配してたぜ。おまえのこと」 「そうかい……」 「気持ちはわかるが、もっと頻繁に顔出せよ。サービス」 「…………」 「シンタローは元気だぞ。グンマもな」 サービスは、心もち目を見開いた。 「君はシンタローは好きかい?」 「ああ、ちょっと生意気だがな。おまえの方が好きらしい」 サービスの問いにそう答えてハーレムは笑った。 明日は永遠に来ない 4 BACK/HOME |