明日は永遠に来ない
3
「これ、使ってないのか?」
 ハーレムは暖炉に目を留めた。
「そうだよ」
 サービスが答えた。
「この暖炉は飾りか?」
「違うよ。 ――まだ必要な時期じゃないからね」
「ここは寒いじゃねぇか」
「いいだろう。別に。――来月になったら火を焚こうと思ってたんだ」
「そうだな――おまえは暑さ寒さに強いからな。一年中同じような黒い服ばかり着るようになっちまって」
「人の勝手だろ」
「――まぁな」
 この黒い服は喪服の代わり――というより、自分の趣味もあったのだが。
(ジャンが亡くなってから――黒い服しか着ていない……)
 サービスは思った。
 昔はいろいろな服を着て、士官学校のベストドレッサーと呼ばれたものだ。
 黒い服も似合うので、
「サービスおじさんのくろいふくはステキだね」
 と、シンタローに言われるぐらいだった。
「近いうち、遊びに来いよ。グンマも――……シンタローも、待ってる」
 シンタローも待ってる、のところで、ハーレムは言葉に詰まったようだった。
 この人も、あの甥に対する想いは同じだ、と、サービスは、久々に、この双子の兄と心が通じ合ったような気がした。
 だが、この兄とも、今日でお別れだ。
 ジャンの命日には行きたかったが、今回は――独りで過ごしたい。
 独りでワインを傾けながら、ジャンの冥福を祈りたい。
「ワイン、あるけど飲むかい?」
「ああ」
 サービスの言葉に、ハーレムは答える。
「だけどおまえ、他には飲まないのか?」
「普段、君は何を飲むんだい?」
「バーボンとか、ウォッカとか」
「言っとくけど、ワインしかないよ」
「じゃあ、それでいい」
 用意してくる、と言って、サービスが立ち上がると、
「ああ、そうそう」
 と、ハーレムが呼び止めた。
「この暖炉、懐かしいな」
 ハーレムは、さぞ目を細めているだろう、と、サービスは何故かそう感じ取った。
 そう。この暖炉は、昔住んでいた家にあったのを再現したのだ。
 父がいて、母がいて、マジックとハーレムがいて――ルーザーがいて。
(ルーザー兄さん……)
 ルーザーのことを思うと、サービスは、マジックとハーレムを素手で殺したくなる。
 もちろん、そんなことは不可能だ。マジックもハーレムも、肉弾戦ではサービスより強い。
 だから――高松に協力してもらって、マジックの子供と、ルーザーの子供をすり替えたのだ。
(シンタローが知ったら……私のことを憎むかもしれんな)
 グンマも良くは思わないかもしれない。だが、サービスは、シンタローに真相を知られるのが怖かった。
(本当のことを知ったら――あの無垢な瞳に、私はどう映るであろうか――)
 まさか、こんなことで後悔するようになるとは、思いもよらなかった。
 これが、私の復讐の結果だとすれば――神はずいぶん皮肉なことをする。
 あのシンタローがジャンにそっくりになっていくのを見ることになるなんて――。
 シンタローは、金髪碧眼が当たり前の一族の中で、唯一の黒髪黒い瞳だ。
(義姉さんが裏切るとは考えられない)
 エレーヌ義姉さん――マジックの妻は、昔はともかく、今は、こっちが気恥しくなるほど、夫婦仲が良い。
(そうだ、ワイン、ワイン、と)
 グラスを二つ用意し、シャトー・ラトゥールの詮を開けた。今日、独りで飲もうと準備していたワインである。
(あいつには勿体ないけれど――)
 でも、まぁいいだろう。もう会うことはないのだから。
 たとえ、シンタローにせがまれても、もうマジック邸に行くこともない。
 たった今、決心した。
(私はもう、許されないことをしてしまったのだから――)
 ハーレムのワインには、いつか使おうと思っていた、高松から渡されていた毒を盛ろうと思った。それだけのことを彼もやっているのだし、彼みたいな人殺しが一人でもいなくなったら、世の中はもう少し平和になるだろう。
 だが――
(ルーザー兄さんは、ハーレムのことを気にかけてたっけ)
 死んだ次兄に免じて、毒の代わりに、強力な睡眠薬を入れた。
 これも高松からもらったもので、どうしても眠れない時は、たまに服用していた。
 高松は、よくこの家に来る。
(私の友達といえば――ジャンの亡くなった今、高松しかいないのかもしれない)
 そして、自分の理解者も――。
(今までの私は既に死んだ。ジャンと共に)
 そのことで、ルーザーに死なれた高松とは、気持ちを分かち合っていた。高松はルーザーの崇拝者だったのである。恋心すら抱いていたかもしれない。
 高松にも年上の女性である恋人がいたが、彼女も死んでしまった。
 彼らは愛する人に死なれ、世をすねている者として、共通点があるのだろう。
 今は、高松が一番身近に感じられる。だから、復讐にも手を貸してもらった。
(悪いのは、私だ――シンタロー、すまん。ハーレム――私は君を許していない。だけど――まだチャンスはある)
 涙が流れそうになるのをぐっとこらえる。
「待たせたね」
 ワイングラスを持って、サービスは姿を現した。左手のが、ハーレムの分だ。
「おう。遅かったじゃねぇか」
 ハーレムは、何が楽しいのか、上機嫌に見える。
 この男はいつだって生きるのを楽しんでいるように見える。サービスにそう見えるだけかもしれないが。
 その性質が、サービスにハーレムへの憎悪をますます掻きたてる。
 だが、そのことはサービスは表には現さない。元々ポーカーフェイスで、あまり表情が変わらない質なのだ。
「そこに座れよ、なぁ」
「ああ……」
 サービスは、ハーレムの隣に座る。薬の入れたワインをハーレムに手渡した。
「乾杯。――ジャンの野郎に」
「…………」
「シケた顔すんなよ。サービス。ジャンはあの世でよろしくやってるさ」
「だといいけどね」
 ハーレムは、赤い液体を一気に飲み干した。
(勿体ない飲み方をする)
 サービスは眉を顰めた。だが、その方が薬の効き目も早いかもしれない。
「マジック兄貴も――心配してたぜ。おまえのこと」
「そうかい……」
「気持ちはわかるが、もっと頻繁に顔出せよ。サービス」
「…………」
「シンタローは元気だぞ。グンマもな」
 サービスは、心もち目を見開いた。
「君はシンタローは好きかい?」
「ああ、ちょっと生意気だがな。おまえの方が好きらしい」
 サービスの問いにそう答えてハーレムは笑った。

明日は永遠に来ない 4
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