士官学校物語・秋
3
 急ぐと最初に言っておきながら、ついワーウィック家に長居してしまった。
 この、小旅行ともいえない、ランハの足跡巡りで、何となく、彼が自分と重なるようになってきた。
 ルーザーがいなかったら、自分もガンマ団と敵対していたのではないか。そんな風にも思えるのである。
 サービスがランハに済まながっているのは、わかるような気もするが、所詮は恵まれた者の気紛れ。傲慢ですらある。
 ランハの十字架が、裏庭にあった。高松達三人は、そこで手を組み、祈りを捧げた。高松は、ここが本当のランハの墓だ、と感じた。
 夜行列車の中、高松は一葉の写真を取り出した。
 グレッグとロベリアの娘、レイチェルが映っている。
 明るい、屈託のない笑顔。黒い、波打った髪が光を受けて輝いている。生きていれば、あなた方と同じくらいの年だわ、とロベリアは言っていた。
 この写真は、未亡人に頼んで、貰ってきたものであった。
 帰ってきて間もなく――三日ぐらい後――、レイチェルによく似た女を見かけて驚いた。
 白磁の肌に、背中を覆った長い波がかった髪。素晴らしい美人だが、その顔には愛嬌らしきものも混じっている。プロポーションも抜群に良い。
 だが、そんなことは問題ではなかった。彼女は、レイチェルが成長したら、そのままそうなるであろうような、そんな外見をしていたのである。
「もしもし」
 思わず声をかけてしまった。
「何?」
 レイチェルに似た女が、艶然と微笑んだ。
 やはり美人だ。顔の彫りが深い。あまり美人なのは、高松の好みではないが。
 ふわり、と花の香が匂った。
「あなた、私の知っている人に似てるのですよ」
「あなたの知っている人?」
「ええ。随分幼い頃に行方不明になったらしいですが」
「幼い頃?」
 レイチェルの表情が変わった。それは、驚きのような、不思議を見たときのような――言葉にならない思いを乗せた顔つきだった。
「その人、何ていう名前?」
「レイチェル。レイチェル・リタ・ワーウィック」
「……それ、私かもしれないわ」
「え?」
「私も幼い頃の記憶がないのねぇ教えてその子はどんな子なの?」
 一息で言ってから、女は深い呼吸をした。
「私は、今はエレーヌ、と呼ばれているわ。エレーヌ・椿よ。もっとも、それは芸名で、ほんとは、エレーヌ・ライラ・深崎というんだけど」
「へぇ~」
「私のお店、すぐそこなの? 来ない?」
「そうしたいのは山々なんですがねぇ……今は用事がありまして」
 本当は、立ち話をするだけでもじりじりするのだが、自分から話を始めてしまったのだから仕様がない。それに、彼女ともう少し会話したい、という気持ちもあった。だが、もう潮時だ。
「わかったわ。私、『大和撫子』という店で働いてるの。宜しかったらいつでも来て」
「有名な店じゃありませんか! 私ごときでは、敷居が高過ぎるから、今まで行ったことないですけど」
「そう?! じゃあ、是非来て! オーナーにも会わせてあげるから」
「ええ。時間があれば」
「ありがとう。話できて良かったわ。待ってるから、必ず来てね」
 そして、エレーヌ・椿は、投げキッスをすると、ひらりと身を翻して歩き去った。
「……あれが、幼い頃に記憶がなくなった人ですかねぇ」
 高松は彼女の明るさ無防備さに呆れて苦笑した。エレーヌという娘に、少し好感を持った。
(……浮気ではありませんからね。あやめさん。女性では貴方が一番ですよ)
と、今は遠くにいる恋人に、心の中で言い訳したが。

 学校に帰ってみると、廊下に人だかりができていた。
 何かで打ち合う音がする。竹刀だろうと見当がついた。果たしてその通りだった。
 ハーレムとジャンが、竹刀で争っていた。
 高松はカワハラに近づいて行った。眼鏡の少年は、数本の竹刀を持っている。
「カワハラさん、どうしたんですか? あれ」
「ああ、これね。あのハーレムくんとジャンくんが、一触即発の雰囲気だったから、どうせならばと決闘を進めてみたんだ。剣道で。田葛先生は、今日は風邪で休んでいるし、敢えて止めようとする人もいないと思ってね」
「あの竹刀は?」
「剣道部の部員に頼まれたんだ。竹刀を体育倉庫に片付けてくれって。ついでにこれ、残りの竹刀。僕一人じゃ重いから、手伝ってくれない?」
「嫌ですよ。それにしても、なんであの二人がいざ尋常に勝負!なんてことをしているんですか。……まぁ、訳は一杯ありそうですが」
「なに、きっかけはごくつまらないことだよ。ハーレムくんが、ジャンくんがガンを飛ばしたって言うんだ」
「あっそ」
 勝敗の行方に、興味がないわけではなかったが、あの二人のことだから、と放っておくことにした。ジャンは、まだ本気は出していないに違いない。
 賭けの胴元にもなり損ねたし、とすると、ここには用はなかった。
(フェンシングだったら、互角だったかもしれませんがねぇ)
 だが、そうでなかったら、わざわざ見物する程のものでもない。高松はその場から離れた。

 ここのところ、研究所は一息入れることさえ許されない忙しさだった。――というのはオーバーだが、忙しいのは本当だ。
 この研究所は、暇な時は暇だが、忙しいとなると滅茶苦茶忙しい。
 高松も、エレーヌどころではなくなっていた。
 正直言うと、学校の授業に出る暇さえ惜しいのだが、前にそのことを話したとき、ルーザーは渋い顔をした。
(確かに、君がいれば、鬼に金棒なんだけどね。君はまだ学生なんだ。働くのは年長者の仕事だよ)
(でも、私はルーザー様のお仕事を手伝いたいんです!)
(では、学校にもちゃんと行くんだね。研究も勉強も、中途半端は許さないからね)
(はいっ!)
「そのピペット、こっちに渡して」
 回想に耽っていた高松は、ルーザーに指図されて、我に返った。
 危ない危ない。ちょっとぼうっとしていた。危険な実験だったら、どうなっていたことか。
「はい……」
 突然。
 視界がぐるりと回転した。
 ガターン!と音がして、高松は頭部に鈍い痛みを覚えた。
「高松君!」
 ルーザーの呼ぶ声がする。
 足に力が入らない。嘔吐感が込み上げてくる。頭が熱い。
 そういえば、このところ体がだるかった。ただの風邪だろうと高をくくったのが良くなかったのかもしれなかった。
 無理せず、きりのいい処で切り上げようとしても、尊敬するルーザーに、肩に手を置かれ、
「まだ頑張れるかい?」
と言われると、張り切らない訳にはいかない。
(それにしても、いまいましい風邪ですねぇ……)
と思っていた。
 原因は田葛にあると、高松も信じていた。
「風邪をこじらせたんだね。仮眠室でお休み」
 素早くそう診断され、肩口と、曲げた脚の下にルーザーの意外と逞しい腕を感じると、高松は心の中で毒づいていたことも忘れ、思わず田葛に感謝すらしそうになった。
「……ルーザー様……ありがと……ございます」
 仮眠室に着くと、高松はルーザーが調合した薬を飲み、そのまま前後不覚に陥った。

士官学校物語・秋 第四話
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