士官学校物語・秋
2
 放課後、高松は、図書館にいた。
(ランハ・レッテンビュー事件……)
 高松は、その事件について、新聞を調べていた。
 今、高松達の研究グループは、実験を一段落しているところで、少しなら、時間は空いていた。
(ランハ・レッテンビュー・ワーウィック……1939年、K国首都、ヴィヌロンに生まれる……父はグレッグ、母はロベリア……1960年、死亡……)
「ふぅーっ」
 過去のデータをさらってみても、何も目新しい情報は入って来なかった。
(ランハの妹の情報がない……すっぱり抜け落ちている)
 まるで、誰かが故意に消し去ったように……不気味な程にランハの妹のデータが無い。
(まさか、伊達や酔狂でグレッグが娘のことを口にした訳でもあるまい……)
 グレッグがいまわの際に吐いた台詞。グレッグの娘を探し、父親をうかうか死なせてしまったことに、一言でも詫びを入れるのが、自分のできる、決着のつけ方だと思った。散々罵られても、責められてもいい。
 それなのに――
 何も、出てこない。
(まるで、ゼロですねぇ)
 高松は、細かい字を読んでいるときに覚えた、目の痛みを和らげる為に、目頭を揉んだ。

「高松」
 サービスが、図書館の扉を開けて、入ってきた。
「何です? サービス」
「ジャンの射撃の腕、めきめき上達してるだろ? ちょっと面白い見物だから、君も来るといい」
「そうですねぇ……」
(まぁ、暇潰しくらいにはなりますか。ジャンにも話があるし)
 高松はサービスと一緒に、射撃場についていくことにした。

 ジャンの撃った銃弾が、面白いように的の真ん中に吸い込まれていく。
「おおっ! すごいじゃないですか! ノーコン、治ったんですか?」
「今は射撃の方面だけ」
「それでも、大した進歩じゃないですか」
 はっはっはっと、高松とサービスは笑い合う。
「よぉ、高松。見てたのか?」
「見てましたよ。一弾しか外さなかったじゃないですか。よくやりましたね。鬼コーチにもめげずに」
「高松。鬼コーチとは誰のことだい?」
 サービスがぎろりと睨めつける。
「まぁまぁ。喧嘩するなよ」
 ジャンが宥めにかかる。
「そうそう。私、ランハ・レッテンビュー事件について、少し調べてたんですよ。興味あります?」
「何ッ?!」
 サービスは驚いた顔をした。
「で、何か収穫はあったのか?」
「何も。強いて言えば、わからないことがわかった――というだけのことですね」
「どういう意味だい? それ」
「グレッグとランハについて、はっきりしないことだらけなんですよ。ランハが噂通り、消されたとしたなら、グレッグは、間接的にガンマ団に殺されたようなもんですね」
「そうか……偽善と言われてもいいから、お詫びに暇を見つけて彼らの墓参りでもしようかと思ってたんだが」
 サービスが手を組んだまま俯いた。高松には、この級友の気持ちが、痛いほどよくわかった。
「ランハの墓はおそらくヴィヌロンでしょう。グレッグの墓は、教会の裏手にあります。行ってみましょうか」
「その話、俺も混ぜてくれよ」
 そう言ったのは、タオルで汗を拭きながらやってきたジャンだった。
「いいですよ。あなたにも来て欲しかったし」

 高松、サービス、ジャンの三人は、グレッグの墓の前に、立っていた。
 サービスが、花を墓の前に置いた。
「グレッグも、被害者なんだよな」
 ジャンは、しみじみと言った。
「駄目だ!」
 サービスが長い自分の髪をくしゃくしゃにした。
「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ」
「何が駄目なんですか? サービス」
 高松がやんわりと訊く。
「こんな事件が、二度と起っちゃいけないんだ」
「でも、ガンマ団が殺し屋軍団でいる限り、似たようなことはまた起こりますよ」
「だから! 殺さなければいいんだよ」
「でも、幹部になって、団の経営に口を挟むことができるようになるには、その手を血に染めないといけませんよ」
「わかってる……」
 サービスは、ぎゅっと拳を握った。
「ジャン! 高松!」
 サービスは叫んだ。
「絶対に、ガンマ団を変革しような!」
「おう!」
 サービスの拳と、ジャンの拳が、ぶつかり合う。
「そしたら、誰かさんの存在は、邪魔になってしまいますねぇ」
「いいんだ。あいつは」
 何かを振り切るように、サービスは言った。
「戦いたければ、別の場所に行けばいい」
 サービスのその台詞を聞いて、高松は、
(ここにハーレムがいなくて、本当に良かったですねぇ)
と、思った。
「そうそう。墓参の土産話がもう一つ、あったんですが」
「何だい?」
とジャンが尋ねる。
「グレッグの娘さん、見つかりません」
「何だって?」
「どこにもその人の存在を示すものが見つからなかったんですよ。ガンマ団には。名前ぐらい、わかってもよさそうなものなのに。これは、誰かが消したとしか……」
「高松!」
 サービスが、びぃん!とよく通る声を発した。思わず、高松は、直立の姿勢になった。
「に……兄さん達が、グレッグの娘の存在を隠して、何の得がある?」
「或いは、初めからグレッグには娘などいなかったとか」
「K国に調べに行ってみれば、わかるんじゃないの?」
 ジャンがのんびりした口調で言った。
「幸い、すぐ近くだし、日帰りできると思うし。ほら、明日は土曜日で休みじゃん。少なくとも、翌日までには帰ってこれるよ」
「よし、行きますか。サービスはどうします? お兄様達のところへ帰って、いい子やってます?」
「おまえ、僕を馬鹿にしてるだろう」
「わかりますか」
「そこまで言われては行くしかないだろう」
「おやおや、ムキになっちゃって」
「やめとけよ」
 ジャンが、サービスを庇った。
 高松は、自分でも思わず、にやっとしたようだった。
「高松! なんだ、そのいやらしい笑いは」
「失礼ですね。地顔ですよ」
「おまえは普段もそうだが、笑うともっといやらしくなるな」
「ほっといてください」
「あのさぁ、ともかく荷物まとめようぜ」
 ジャンが、呆れ顔で尤もな意見を吐いた。

 ランハ・レッテンビューの墓は、すぐにわかった。わかりやす過ぎて、わかりづらかった。というのも――
 彼の墓は、複数あったからである。
 ひとつは、とある教会、ひとつは、野ざらしの墓、ひとつは、ある金持ちの庭にある、大理石の墓、もうひとつは、酔っ払いの男が、得意そうに見せた、粗末な墓――
「ランハ。有名人だよ、あいつ。オレは、小学校の時、彼と一緒のクラスにいたのが自慢でさぁ――青の一族とやらの悪行をあばこうとした、あいつはこの国のヒーローだよ。数年前の戦いからこっち、ここもガンマ団の属国になっちまったからなぁ。墓? いっぱいあるだろうねぇ。だって若くして死んだ伝説の人間だもん」
 酔っ払いの男は、そう教えてくれ、高松達にいろいろ奢ってくれた。
 正直言って、人一人のことを探したり、足跡を辿って行くのが、こんなにも困難だとは思わなかった。
 高松の頭が少し痛くなってきた頃――
「高松、さっきからジャンが戻って来ないけれど」
「お腹の具合でも悪いんじゃないですかぁ?」
「ちょっと、自分も探検してみたいとさ」
「……いくつもの墓の次は、失踪事件ですか? いい加減にしてくださいよ、ほんとに、全く――」
「見つけた、見つけた」
 ジャンが鼻唄を歌いながら、この古ぼけた店に戻ってきた。
「何しに行ってたんですか。心配したんですよ。一瞬だけ」
「あ、ああ……ランハの家を見つけたんだよ。そこで、奥さんに会った」
「ロベリアさんが……まだ生きてたんですか?!」
 高松は我にもあらず、素っ頓狂な声を上げた。ロベリアはもう死んだものと――そんな固定観念が頭にあったのだ。それが、高松には悔しい。
 とりあえず、男にお礼と別れを言い、三人は退出した。

 ジャンに案内された家に着くと、ぎぃ、と木製の玄関のドアが開いた。
 青褪めた顔をした美女が現われた。
「ロベリアさん……ですか?」
 高松が、些か緊張して、そう訊いた。
「ええ……あら、ノックもしないうちから開けてしまってすみません。お姿が見えたものですから……中にお入りになって」
「いいえ。急ぎますから、結構です」
 高松は断った。
 ここまで、予定より時間を食っているのだ。それに、ルーザーからの急な呼び出しの電話がかかってくるともわからない。
「ずいぶんあるんですね……息子さんの墓」
「ええ。この地域では、ランハは英雄扱いですわ。ここには、今でもガンマ団を快く思わない人達がいるから」
「もしかして、ランハさんには、妹がいませんでしたか?」
「ええ、いましたわ」
「ランハの妹って、ワーウィックさんが死ぬ間際に言ってた、娘さんのこと?」
 ジャンが訊いた途端、ロベリアの美しい顔が悲しそうに歪んだ。
 サービスが、ジャンに小声で、(馬鹿ッ)と叱りつけたのが聴こえた。不用意に口にするべきではない、との合図だったのだろう。
「グレッグも……私は、あの人にもう何年も会っていませんわ。死んだと聞かされても、ああ、やはり……と思うだけですもの。そうそう。娘の話でしたわね。娘の名はレイチェル。レイチェル・リタ・ワーウィックよ。ランハがいなくなってからあの子も……おかしいわね。グレッグが死んだことについては平気だったのに、あの子には、まだ未練があるの……」
 ロベリアは泣き出した。ハンカチを取り出し、目元にあてがう。
「俺、しばらくロベリアさんを慰めていくよ。おまえらは、先帰ってて」
 ジャンが言う。
「こんなところで、ご婦人を放っておくわけにはいきませんよ」
 高松が言うと、
「そうそう」
と、サービスも同意した。
 高松も、急用がない限り、今は貴重な休暇なのだ。いつ何が起こるかわからない研究のさなかではあるが、こんな状態のロベリアを見放すわけにはいかないだろう。
 だが、これではっきりした。
 ランハの妹は、実在していた!
「後で、息子さんの墓参りをさせてください」
 高松がロベリアに丁重に申し出ると、
「ええ。喜んで。息子も喜びますわ」
と、涙で濡れた顔が、少しだが、輝きを取り戻した。

士官学校物語・秋 第三話
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