士官学校物語・秋
1
 低血圧の高松の朝は、寝起きの悪い自分との戦いだ。
 どうにもこうにも、枕から頭を引きはがさなくてはいけない。「あと五分」などと言って、また布団にもぐりこんでは、おしまいなのだ。
 そして、寮に入ってからというもの、この戦いにはいつも勝っている。負けるわけにはいかないのだ。
 ねぼけまなこで、洗面所まで行く。ここまでいけば、後一歩である。
 顔全体に水をかける。高松の朝の儀式、女性のお化粧と一緒である。
 これが、いつもの彼に、覚醒を催すのである。
 洗顔は、夢うつつだった自分に目覚めを与えると同時に、心の準備もするのである。
 彼には、二つの心がある。自分がそう見られたいと願う、皮肉屋の自分と、本当の、まだまだ青臭い自分と。
 そして、彼は、何事も高みから見ているような自分の方を、気に入っていて、そうありたいと願うのだった。
 士官学校の制服に袖を通す。ぱりっと糊がきいている。
 きゅっと、ネクタイを結ぶ。襟元まできちんと整うと、高松は、やっと自分が、自分自身になったような気がするのだった。

「おはようございます」
「あ、高松」
 高松は、それぞれ、部屋から出てきたサービスに挨拶をかけた。少し遅れてジャンが、
「おはよう」
と目をこすりこすりやってきた。
 階段を目指していると、後ろから、野沢武司に声をかけられた。
「元気そうやな。三人組」
 ルネも一緒だった。
「おはよう、野沢さん、ルネ」
 顔だけ振り返ったサービスが挨拶すると、
「あ、サービス様、おはようございます」
と、ルネがポッと顔を赤らめた。
 そして、後塵を拝するように、すすす……と、サービスの背後に近づき、影の中に入った。
「何してるんですか? アンタ」
 高松が尋ねる。
「い、いえ。ただ、サービス様の近くにいたくて」
「そんな近づき方じゃ、怪しまれますよ」
「いいんだ。その方がルネらしくて」
「サービス様……」
 ルネは、なかなかの美少年なので、サービスの点も甘くなるのであろう。ルネの目が潤んだ。
「よーっ! ホモ軍団!」
 ニールが威勢よく片手を上げた。
「僕はホモじゃない」
 些かムッとして、サービスが答えた。
「ホモなんてあんまりです。僕がサービス様に対する気持ちは、もっと純粋な……」
「ホモなんて、ここじゃ珍しくもなんともないだろ。そこにいる高松だって、ルーザー博士とお熱い仲って噂だし」
 ニールは、矛先を高松に向けた。
「ええ、そうですよ。私はあの方を愛しています」
 笑っている、しかし、一物ありそうな表情で、高松が答えた。
「ちっ、張り合いないの」
 そう言って、ニールは、近くの階段から、下へ降りて行った。
 ニールが、高松を苦手としていることを、彼は知っていた。
 高松はといえば──
 ニールより、むしろ、野沢に苦手意識があった。あの、澄んだ美しい、何でも見透かすような目を。
(私の将来の義弟なんですがねぇ……)
 高松は、もしかしたら、あやめと結婚するかもしれないという未来を考えていた。それを本気に考えたことはなかったが、ないとは言い切れない。
 野沢の方に目を遣りながら、そんなことを考えていると、ばちっと相手と目が合った。高松は、視線を反らさなかったが、内心、心臓が躍りあがった。
 それは、断じて恋などではなく、警戒の心動だった。
 その証拠に、あやめの目には、うっとりすることができるが、野沢武司に対しては、少し冷汗が出てくることも、珍しくないのである。
 澄んだ目だけが、あやめと武司の共通点のような気がする。
 武司の、包み込むような目は、他の者には安心感を与えるようだが、それだけに、ますます高松は警戒心を催した。どこか、達観しているように見えるのである。その態度は、高松が、そうでありたいと思う自己像に似ていた。
 しかし、それは、誰にも気付かれないであろう。高松の鉄面皮は、容易なことでは破れないのである。頭の頂から足の先まで、彼は、巨大な仮面であった。
「そういえば、黒鳥館に今度ハーレムが来ることになったんですよね」
 心を、他の方に移そうとして、高松は言った。
「ああ……」
 憂愁の色を顔に湛えながら、サービスは答えた。
 黒鳥館。ガンマ団士官学校第二寮。十月から、学生寮としてスタートをする。
 ちなみに、高松達が起居しているのは、ガンマ団第一寮である。
 第二寮が何故、黒鳥館と呼ばれているのかといえば、建物の外側が黒だったからである。中は、第一寮とそんなに変わりはないらしい。
 なんとなく不気味だ、と思う者も、なかなかいいじゃないか、と思う者もいる。
 白い壁の第一寮は、黒鳥館との対比で、白鳥館と呼ばれるようになった。というか、そう口にする者が、ぽつぽつと現われている。
「カワハラが、同じ部屋に監視人としてつくようですよ」
「へぇ、カワハラか」
 サービスの声が、和らいだ。
「じゃあ、本格的に、僕の言う通り、あいつの番をすることにしたのかな」
「最初、野沢さんのところに話がいってたって話ですけどね」
 サービスの独り言を高松は軽くいなした。
「そうなんやが、カワハラが、名乗りを上げたんや。で、学年が同じなら、あいつの方が適役やろ、と」
「研究をさぼる口実もできましたしね」
「高松」
 野沢が厳しい声を出した。
「あいつはそんな奴ちゃう」
 野沢の眉の間が険しく狭まった。そうすると、普段穏やかなだけに、異様な迫力が出てくる。
「俺も、そう思う」
 ジャンが横あいから、野沢に同意を示した。
 カワハラは、高松やルーザーと共に、研究所でいろいろな仕事をしている。やはり、奨学金で生活しているとのことだった。
 しん、と、辺りに沈黙が降りた。
 これは、このままだと、藪蛇という結果にもなりかねなかったが、
(まぁ、いいや。それならそれで)
と高松が思った頃。
「なぁ。俺、さっきから腹が減って仕方ないんだ。早く食堂行かないか?」
 ジャンの台詞に、緊張が一気に解け、笑い声が響いた。
 さっきから黙っていたルネも、軽快な声を上げて笑った。
「そうだね。さっさと行こう」
 ここは、サービス達に下駄を預けることにし、高松は、飄々と後から続いた。

士官学校物語・秋 第二話
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