士官学校物語・秋 どうにもこうにも、枕から頭を引きはがさなくてはいけない。「あと五分」などと言って、また布団にもぐりこんでは、おしまいなのだ。 そして、寮に入ってからというもの、この戦いにはいつも勝っている。負けるわけにはいかないのだ。 ねぼけまなこで、洗面所まで行く。ここまでいけば、後一歩である。 顔全体に水をかける。高松の朝の儀式、女性のお化粧と一緒である。 これが、いつもの彼に、覚醒を催すのである。 洗顔は、夢うつつだった自分に目覚めを与えると同時に、心の準備もするのである。 彼には、二つの心がある。自分がそう見られたいと願う、皮肉屋の自分と、本当の、まだまだ青臭い自分と。 そして、彼は、何事も高みから見ているような自分の方を、気に入っていて、そうありたいと願うのだった。 士官学校の制服に袖を通す。ぱりっと糊がきいている。 きゅっと、ネクタイを結ぶ。襟元まできちんと整うと、高松は、やっと自分が、自分自身になったような気がするのだった。 「おはようございます」 「あ、高松」 高松は、部屋から出てきたサービスに挨拶をした。少し遅れてジャンが、 「おはよう」 と目をこすりこすりやってきた。 階段を目指していると、後ろから、野沢武司に声をかけられた。 「元気そうやな。三人組」 ルネも一緒だった。 「おはよう、野沢さん、ルネ」 顔だけ振り返ったサービスが挨拶すると、 「あ、サービス様、おはようございます」 と、ルネがポッと顔を赤らめた。 そして、後塵を拝するように、すすす……と、サービスの背後に近づき、影の中に入った。 「何してるんですか? アンタ」 高松が尋ねる。 「い、いえ。ただ、サービス様の近くにいたくて」 「そんな近づき方じゃ、怪しまれますよ」 「いいんだ。その方がルネらしくて」 「サービス様……」 ルネは、なかなかの美少年なので、サービスの点も甘くなるのであろう。ルネの目が潤んだ。 「よーっ! ホモ軍団!」 ニールが威勢よく片手を上げた。 「僕はホモじゃない」 些かムッとして、サービスが答えた。 「ホモなんてあんまりです。僕がサービス様に対する気持ちは、もっと純粋な……」 「ホモなんて、ここじゃ珍しくもなんともないだろ。そこにいる高松だって、ルーザー博士とお熱い仲って噂だし」 ニールは、矛先を高松に向けた。 「ええ、そうですよ。私はあの方を愛しています」 笑っている、しかし、一物ありそうな表情で、高松が答えた。 「ちっ、張り合いないの」 そう言って、ニールは、近くの階段から、下へ降りて行った。 ニールが、高松を苦手としていることを、彼は知っていた。 高松はといえば── ニールより、むしろ、野沢に苦手意識があった。あの、澄んだ美しい、何でも見透かすような目を。 (私の将来の義弟なんですがねぇ……) 高松は、もしかしたら、あやめと結婚するかもしれないという未来を考えていた。それを本気に考えたことはなかったが、ないとは言い切れない。 野沢の方に目を遣りながら、そんなことを考えていると、ばちっと相手と目が合った。高松は、視線を反らさなかったが、内心、心臓が躍りあがった。 それは、断じて恋などではなく、警戒の心動だった。 その証拠に、あやめの目には、うっとりすることができるが、野沢武司に対しては、少し冷汗が出てくることも、珍しくないのである。 澄んだ目だけが、あやめと武司の共通点のような気がする。 武司の、包み込むような目は、他の者には安心感を与えるようだが、それだけに、ますます高松は警戒心を催した。どこか、達観しているように見えるのである。その態度は、高松が、そうでありたいと思う自己像に似ていた。 しかし、それは、誰にも気付かれないであろう。高松の鉄面皮は、容易なことでは破れないのである。頭の頂から足の先まで、彼は、巨大な仮面であった。 「そういえば、黒鳥館に今度ハーレムが来ることになったんですよね」 心を、他の方に移そうとして、高松は言った。 「ああ……」 憂愁の色を顔に湛えながら、サービスは答えた。 黒鳥館。ガンマ団士官学校第二寮。十月から、学生寮としてスタートをする。 ちなみに、高松達が起居しているのは、ガンマ団第一寮である。 第二寮が何故、黒鳥館と呼ばれているのかといえば、建物の外側が黒だったからである。中は、第一寮とそんなに変わりはないらしい。 なんとなく不気味だ、と思う者も、なかなかいいじゃないか、と思う者もいる。 白い壁の第一寮は、黒鳥館との対比で、白鳥館と呼ばれるようになった。というか、そう口にする者が、ぽつぽつと現われている。 「カワハラが、同じ部屋に監視人としてつくようですよ」 「へぇ、カワハラか」 サービスの声が、和らいだ。 「じゃあ、本格的に、僕の言う通り、あいつの番をすることにしたのかな」 「最初、野沢さんのところに話がいってたって話ですけどね」 サービスの独り言を高松は軽くいなした。 「そうなんやが、カワハラが、名乗りを上げたんや。で、学年が同じなら、あいつの方が適役やろ、と」 「研究をさぼる口実もできましたしね」 「高松」 野沢が厳しい声を出した。 「あいつはそんな奴ちゃう」 野沢の眉の間が険しく狭まった。そうすると、普段穏やかなだけに、異様な迫力が出てくる。 「俺も、そう思う」 ジャンが横あいから、野沢に同意を示した。 カワハラは、高松やルーザーと共に、研究所でいろいろな仕事をしている。やはり、奨学金で生活しているとのことだった。 しん、と、辺りに沈黙が降りた。 これは、このままだと、藪蛇という結果にもなりかねなかったが、 (まぁ、いいや。それならそれで) と高松が思った頃。 「なぁ。俺、さっきから腹が減って仕方ないんだ。早く食堂行かないか?」 ジャンの台詞に、緊張が一気に解け、笑い声が響いた。 さっきから黙っていたルネも、軽快な声を上げて笑った。 「そうだね。さっさと行こう」 ここは、サービス達に下駄を預けることにし、高松は、飄々と後から続いた。 士官学校物語・秋 第二話 BACK/HOME |