Sweet sorrow 4

「なぁ、樺地。――いつも俺の無茶な注文に付き合ってくれてありがとな」
「ウ……?」
 樺地は跡部の言葉にクエスチョンマークを飛ばした。跡部は思った。俺としちゃ万感の思いで言ったつもりの台詞なんだが、樺地にとってはどうして俺が急にそんなこと言うのかわけわからねぇ、か。まぁ、それでもいい。すっかり理解されようなんて希望してない。
「その代わり――と言っちゃなんだが、一度だけお前の言うこと聞いてやるよ」
「ウ……?」
「言っとくけど俺様がこんなに優しいのは今だけだからな。後悔したって遅いからな」
「ウス」
「ようし、じゃあ、俺様に何をさせたいか喋れ。歌えでも踊れでもいいぞ。或いはもっと大きな望みでも」
「跡部さん……」
 樺地が訥々と喋る。
「跡部さんは、何があっても、生き抜いてください」
「――それだけでいいのか?」
「ウス」
「もっと欲しいモンとかねぇのかよ。金とか物とか、自由とか――」
 自由、というところで跡部は一瞬言葉に詰まった。お前が自由を欲するなら、俺は解放してやるよ――。今まで悪かったな。
「俺は……跡部さんが生きているだけで、いいです」
「何だ。ずいぶんお手軽な頼みじゃねぇか。この俺様がそう簡単にくたばるタマと思ってんのかよ。あーん?」
「生きていてください。越前さんが生きていても、死んでいてもです」
「は……」
 手軽どころの話ではなかった。リョーマが死んでいたら跡部も後追い自殺をしたかもしれない。それを樺地は見抜いていたのだ。
「――他のにしろ」
「他には、何もありません」
「じゃあ、例えばリョーマが死んでしまって抜け殻になった俺様でも、お前は生きていて欲しいと望むのか?」
「ウス。――死んでしまったら、何もなりません。生きていれば、跡部さんの越前さんへの愛は残ります」
「はっ、その顔で愛とか薄気味悪いんだよ」
 跡部はそう言って、言い過ぎたか、と樺地の方を見た。樺地は特に気にしている風でもない。いつも通りの彼だった。
(またやっちまった――)
 跡部は樺地の外見をよく揶揄する。樺地が怒らないと知っているから――。
 でも、それは良くないことだと跡部でも知っている。これは、甘えだ。樺地だったら怒らないことをよく知っているから。
 跡部は樺地が何でできてるのか長らく謎だった。今、わかった。
 樺地は愛と優しさでできている。しかも、その愛は厳しさに裏打ちされた優しさだ。
「お前まで無理難題押し付けてくんじゃねーよ。……ばーか」
 いっそ肉体を所望された方がなんぼか気が楽だった。そういえば、樺地には性欲はあるのだろうか。この体格だ。さぞかし大変だろうとは思うが――。
 跡部はモテる。だから、本気でなくても女優やモデルなどをちゃっかりいただいてしまったりすることもあるが。
 樺地も満更モテない訳ではない。『誠実そうなところが好き!』という者が少なからずいるからだ。でも、樺地はそんな女性に手を出したことは一度もない。ないだろう、と思う。一度本気で樺地を好きになった女から泣きながら相談を持ち掛けられたこともあった。あの女とはどうなったのだろう。
 まさかホモじゃないだろうな。跡部は密かに危惧していたが、そんなケもなさそうだった。
 では、不能なのか? ――わからん。俺様にはわからん。
 樺地は樺地崇弘という謎のまま跡部の心の中に存在している。樺地が妖精だと言われても跡部は信じたであろう。随分ゴツい妖精ではあるが。
 こいつ、俺のことが好きなのか?
 そう思うことも何度かあった。そして、樺地のことを跡部も好きであった。
 そんなシーソーゲームを根底から崩したのが越前リョーマだ。緑がかった黒い髪に大きなアーモンドアイ。テニスの腕前は跡部がどうあがいても敵わなかった。
 最初に会った時は生意気なガキだと思った。お互い第一印象は最悪だった。
 跡部はリョーマに負けて坊主頭(実際にはベリーショート)になったこともあった。跡部自身は気に入っていたが騒ぎを回避する為にかつらをかぶった。それで随分リョーマにはなじられた。
(好きっスよ。跡部さん――)
 いつだったろう。リョーマが告白してきたのは。告白してきたのはリョーマの方からだった。それは、確かだ。
 生意気なガキだったリョーマは艱難辛苦を経ていい男に成長していた。偉そうなのは相変わらずだったが。
 リョーマは突然姿を消した。跡部を置いて。
 結局リョーマの心には入れなかった。跡部は少し苦い思いを抱いた。しかし、誰も越前リョーマの心に入ることのできる者はいない。それが唯一の慰めだった。
 まぁ、あいつもただで死ぬタマじゃねぇよなぁ。
「――無理なことを、言ってしまって、すみません」
 物思いに浸っていた跡部は傍にいる樺地のことを一瞬忘れていた。
「謝んなよ。――謝るのは、俺の方だ」
「俺は、跡部さんに謝って欲しい訳ではありません」
 樺地はきっぱり言った。眠そうな顔に見えるが、樺地にしてみれば真摯な表情なのだ。
 じゃあどうしろと言うんだ。そう言いたかったが、どう言えばいいのか言葉を探すのが難しい。
 妖精の言うことはわからんなぁ。
 樺地はこんな都会にいるより大自然にいた方がよく似合う。いつだったかも北海道へ行きたがっていた。
 樺地の夢を壊したのは自分だ。それは自覚がある。
 だから、精一杯、生きる。誰に何と言われようと、リョーマが生きていようといまいと、生きる。
 それが樺地の頼みなのだとしたら。
「じゃあ、俺からも頼みがある。俺は――変な意味でなくお前が好きだ。リョーマがこの世からいなくなっても生きるから――お前は俺の傍にいろ」
「ウス」
 ああ、またしても樺地を縛り付けてしまった。樺地に依存しているな、俺……。
 わかっていても樺地を手放せない跡部であった。樺地を一目見た時から、運命は決まったのだ。樺地もきっと。
 俺様は傷ついても、生き抜く。そして王座に君臨し続ける。俺と、樺地の為に。
 越前リョーマは――リョーマは生まれながらの王子様であった。驕慢な台詞とそれを裏打ちする実力。子供の部分と大人の部分が混じり合っている。生まれながらの特権階級。リョーマは他の誰とも違っていた。王者と呼ばれた跡部とさえ違う存在だった。彼は言うなれば太陽だった。
 そんなリョーマに跡部は心惹かれたのだ。
 リョーマはいつだって逃げなかった。いつだって勝負を挑まれれば受けて立った。人間としてそれはどうかと思うところもあったが皆は、
「彼は王子様だから」
 と、口を揃えて言った。それで許されるのが当時は少し妬ましかった。
 そのリョーマが、初めて逃げた。しかも、栄光の真っただ中から。
 栄光の座にいるのもしんどいものなのだ。跡部にもそれはよくわかっている。跡部は――彼も王様と呼ばれる人種だから。
 でも、跡部はリョーマにはいつまでもテニスの王子様でいて欲しかった。樺地が跡部の生存を望むように。
「俺は、酷な注文をしましたか?」
「いや……ただ、あいつも相当無理してたんじゃねぇかって」
「越前さんのことですか?」
「他に誰がいる」
「跡部さん、跡部さんには、仲間がいます。一人で抱え込まないで、ください」
「わぁってるよ」
 そう言って跡部は少し苦く笑った。
 王者には王者にしかわからない苦悩がある。
 言葉数は少ないが人情の機微に聡い樺地に跡部は何度も助けられたが、樺地にはリョーマのことはわからない。
「越前さんにも、あなたという友がいます」
「友……ね」
 リョーマは頻りと跡部の恋人になりたがった。肉体が欲しいわけではない。リョーマはいつもそれを欲したけれど、本当は精神の繋がりが欲しかったのではないかと跡部は思った。
 リョーマも支えてくれる存在が欲しかったのではないか。そして、それは跡部ではなかった。それだけのことだ。
「今日も暑くなりそうだな、樺地」
「ウス」

 跡部と樺地はどうでもいいことをああだこうだと話しながら仕事場に向かった。仕事をしているうちはリョーマのことを忘れられる。
 本当は自分でリョーマを探しに行きたかった。今すぐ。
 けれど、跡部はリョーマだけのものではない。
 リョーマを探しに行く。そう言ったことはかつて一度しかなかった。その時の話相手だった忍足が急に怖い顔をしてどすのきいた声で、
「それはあかん。仕事投げ出していく気か? お前にはできひんやろ? 越前のことは俺に任せておけ」
 と、囁いた。
「高貴さが強制する義務というのも辛いものだな」
 跡部は樺地以外誰もいないのを見越してこっそり呟く。
「跡部さん……」
「フランス語ではノブレス・オブリージュとも言うな。俺がよく言ってたから知ってるだろ?」
「ウス」
 高貴さが強制する義務。あいつはそれから逃げた。もしリョーマを見つけたら忍足より先に俺がはっ倒しているぜ。跡部は苛立ちと共に心の中でそう唱えた。

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2016.4.8

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