リョーマの戦い 8

「越前、どうだった?」
 部室から出て来たリョーマに堀尾が訊いて来た。
「……別に何も」
「田代がドリンクを自分にぶっかけて『きゃあああああ!』とかなかった?」
 堀尾に向かってリョーマはぷっ、と笑った。
「嫌われ小説読み過ぎでしょ」
「でもよぉ、これだって嫌われっぽいし――あ、桃ちゃん先輩」
「よぉ、お前ら。今日は一緒に帰らねぇか?」
「そうっスね。越前は?」
「いいっスよ。掘尾達が良ければ」
 堀尾達が桃城と一緒に帰りたいのであれば、リョーマにとって否やはない。リョーマが嬉しくなって微笑む。桃城が言った。
「どっか店に行こうぜ。俺がおごってやるから。カチローとカツオも一緒だぜ」
「えへへ……」
 桃城の大きな体に隠れていたカチローが現れてピースをした。
「カツオは?」
「まだ球拾い。真面目だよね」
「カチローも真面目だと思うけど」
「うん。――ねぇ、リョーマくん、前より優しくなったんじゃない?」
「そ、そかな」
 リョーマが帽子のつばを下げる。
「うん! そうだな! 何か人当たりが良くなった」
 虐められてわかった。友人や仲間の有り難さ。
 カチローや桃城はそれを言いたかったのだろう。――越前は人を大切にするようになった、と。
 それだったら、虐められることも案外無駄ではなかったのかもしれない。いや、何事も無駄なことはないのかもしれない。
(こりゃ――ちょっとだけ田代に感謝、かな)
 ノブ子にもいい友達ができたらいいと思う。せっかくノブ子にはあんなに人が集まってるんだから、少しは信じてみてよ、と言いたい。彼女は多分、人を――自分自身のことさえ信用できていないのだから。
「桃先輩!」
 それに堀尾もカチローもカツオも大好きだ!とリョーマは思った。それから他の部員達も。――ついでに荒井先輩も。
「もーもっ♪」
 菊丸が後ろから桃城に抱き着いた。
「おわっ。何するんですか! 菊丸先輩!」
「俺も一緒に帰っていいよね。おごってくれる?」
「菊丸先輩は自分で払ってくださいよ。底なしなんだから……」
 桃城はぶつぶつ言った。
「えへへ。いいだろ? 桃♪」
「仕方ないっスね。今回だけっスよ」
「やった!」
「菊丸先輩、抜け目ないですね」
「あれでこそ菊丸先輩だよ」
 カチローと堀尾が顔を見合わせて笑い合っている。いつもの光景。この光景はいつまで続くのだろうか。例えば、自分がテニス部にまで敵視されたら――。
 田代のことは言えないな。
 自分だって桃城達のことを心の底では信じでいないではないか――でも、今、この瞬間は信じていられる。それでいい。とリョーマは考え直す。
「越前」
「手塚部長」
「体、大丈夫か? 調子が悪かったら病院に行くんだぞ」
「――わかったっス」
「じゃあな」
 手塚は心配してわざわざ来てくれたのだ。そして、言葉をかけてくれた。
 テニス部の皆は本当に優しい。こんな生意気な自分に親切にしてくれる。自分は本当に恵まれている、とリョーマは考える。体の痛みも治っていくような気さえした。
「じゃあさ、越前と堀尾を病院に送って、帰りにマック寄ろうな」
「やった! 不二も行く?」
「――ん? 僕はいいよ」
 菊丸の誘いを不二は断った。
「越前にはまた会えるからね。桃の財布も心配だし」
「そうっスね。不二先輩なら俺から頼み込んでおごってもいいスけど」
「あ~桃、贔屓だにゃ~」
「桃、英二のことは頼んだよ」
「任せてくださいっス」
「俺の方が先輩なんだけどにゃ~。プライドがズタズタだにゃ~」
 菊丸が唇を尖らせる。今度は不二とリョーマも笑った。――不二はいつもニコニコしているのだが。それを見てカチローと堀尾も再び陽気な声を立てた。
「じゃ、桃。越前のことも頼んだよ」
「はい!」
「それから堀尾。いつも越前を守ってくれてありがとうね」
「いや……俺なんて何もしてないっスから」
「ううん。堀尾が庇ってくれるからがんばれるって、越前言ってたもんね」
「――ウィース」
「ほんとかよ……まぁ、越前は生意気だけど女を虐めるようなヤツじゃないって思ってたもんね。――それにしても、田代はどうして越前を嵌めようとするのかな~。無駄だと思うんだけど……皆そのうち真相知ってくれるだろうし」
(――幸せな堀尾。クラスメートを信じている堀尾。俺にはできない。だから虐められたのかな。俺……)
 自分には、クラスメートを信じることができない。自分のクラスメートなのに……堀尾の能天気さが羨ましくなった。
「越前、越前どうした?」
 堀尾が目の前でぴらぴらと手を振って見せる。
「ああ……いや、ちょっと考え事」
「そう? あんまり考えても仕方ないことは無視するのが一番だぜ」
「――そうだね」
「帰るぞ。越前は当分自転車は禁止な――まぁ、俺も今は徒歩通学だけど。越前いねぇとチャリ漕いでてもつまんねーもん」
「そうっスか」
 桃城の自転車の後ろに乗るのは風を感じて気持ちが良かったのだが――怪我が疼いて事故でも起こしたら大変だ。例えば、自転車から手を放してしまったり――。
 やだな。何でそんな悪いことばかり想像してしまうのだろう。自分はこんなに悲観的な見方をする人間だったろうか。
 何となくノブ子に親近感を持ってしまうリョーマであった。

「また怪我が増えてきているね。越前君」
「はい……」
「学校の先生に相談した方がいいんじゃないのかね?」
「大丈夫です」
 まだがんばれる、自分はまだやれる……。
「実は……竜崎先生とは話しました」
「スミレさんか。それで? 何と言っていた?」
 リョーマがゆっくりと首を横に振った。
「ふむ……」
 老齢の医者が手当てをしてくれる。痣は触られただけでは痛む程ではないけれど、時々、ズキン、とする。
「お前さん、テニスできない程ではないけれど――テニスは止めた方がいいんじゃないのかね?」
「え……?」
 リョーマの目の前が真っ暗になった。今のリョーマにとってはテニス部だけが心の拠り所なのに。
 テニスボールを打ち合う音。愉快な仲間達。そして――
 自分はやはりテニスが好きだ!
「俺は――テニスを止めたくないです。どんな形でもいいからテニスをやっていたいんです」
「クラスメートが君のことを虐めているそうだね。――そう言った子は『このことは内緒にして』って付け足していたが」
「そう……ですか」
 誰だろう。この医者に言ったのは。堀尾辺りだろうか。手塚もこの医者には世話になっていたようだし。
 リョーマは知らなかった。リョーマの噂が校外に流れ出していることは――。その頃、青学の岬公平も跡部景吾にその噂を伝えていた。

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2016.6.24

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