リョーマの戦い 4

 椅子は焼却炉の傍に捨ててあった。そこには呪詛の言葉を彫られていた。リョーマは先生に事情を喋って他の教室の使っていない椅子を貸してもらった。
 リョーマは特に動じなかった。相手側のテンプレ通りの行動を密かに軽く見ていた。
 だが、昼休み――。
「リョーマ」
「何? 今授業の準備してるんだけど」
「ノブ子に謝りなさいよ」
「何で。俺、田代さんには何も悪いことしてないよ」
「暴行働いたじゃない!」
「お前も田代と同じ目に合わせてやるよ!」
 このクラスの人達は正義感が強く優しい人が多い。それがリョーマには好もしくもあった。だが、こんなことになるなんて――。
 彼らは決して悪い人じゃない。ただ、方向を間違えただけなのだ。
「ぐっ!」
 腹に重い蹴りが入った。
「何してんだよ! お前ら! 昨日まで皆仲良くやってたじゃないか!」
「堀尾……!」
「お前らわかるだろ?! 越前はそういうヤツじゃないって!」
 堀尾。何で俺を庇うの?
 そう言いたかったが、次々に攻撃を加えられてろくに言葉が出てこない。
「やめろ! 越前を殴るな!」
「何だよ、堀尾! お前邪魔する気か?!」
「越前の言うことも聞いてやれよ!」
 堀尾、微かに震えている。
「越前が田代襲ったという噂は俺達も信じなかった。けれど、今度は田代への暴力――だろ?」
「俺も頭来ちまってる訳さぁ、どきな」
「退かない」
 堀尾はクラスメートの一人の腕を掴んだまま離さない。
「越前に手を出すな!」
「ああ、そうかい。お前もリョーマの味方かい。テニス部だからって庇うことないんだぜ」
「こいつは酷いヤツなんだからな。生意気だし」
「テニス部でも生意気で有名だったぜ」
「越前……」
「堀尾……」
 リョーマの口の端から血が流れている。口の中を切ったらしい。
「越前! お前は卑怯なことをするヤツじゃない! 俺ら全員知ってる」
 俺らって誰? テニス部員?
「皆……越前の代わりに俺を殴れ!」
「は? アンタ関係ないじゃん。越前の代わりなんてバカじゃないの? ヒーロー気取り?」
「越前は俺なんか想像もつかない程でっかいもん背負ってるんだ! それをここで潰す訳にはいかねぇんだよ!」
 リョーマは堀尾の燃える瞳を見た。ぞくり、とした。
 こいつは俺のことを本気で心配してるんだ。こんな俺のことを、本気で――。身代わりにすらなろうとしてるなんて。
「あー、そうかい、だったらリクエストに応えてやるよ」
 今度は攻撃の手は堀尾に向かった。
「堀尾ー!」
 リョーマは喉も避けよとばかり声を張り上げた。
「もうすぐ昼休み終わるよ。あ、先生来た!」
「ちっ」
 皆はガタガタと席に着く。五十代くらいの背の低い先生が入ってきた。
「みんなー。授業やるぞー。ん、越前、堀尾、どうした? 怪我してるじゃないか」
「あの……」
「ちょっと、いろいろありまして……」
 堀尾がお茶を濁す。
「そうか。若いから揉めることもあるだろう。喧嘩とかしたりしてな。私も昔はやんちゃをしたもんさ」
 こいつはほんとに先生か? リョーマは怒りを覚えた。何がやんちゃだ。この人は自分達の何を見ているのだろう。
 勿論、事情がわからない先生を責めるのは酷というものかもしれない。でも、仲が良かったクラスメートが豹変したことと、堀尾まで巻き込んだことで、リョーマは怒っていた。自分に対しても怒っていた。
 堀尾……。
 彼の方を見遣ると、堀尾は顔を引き攣らせながら笑った。顔が腫れてるのに――。
「おい、堀尾、越前、保健室に行った方がいいんじゃないのか?」
「はい……」
「わかりましたっス……」
 窓の外では生徒達がバレーボールをしている。おそらく体育の授業だろう。空気の中に涼しさが流れ込んでくる季節。
 堀尾が保健室のプレートを見る。
「あ、先生不在だって。仕方ねぇな。あ、扉開いてら。おい、越前。怪我の手当てしてやるよ」
「え? このくらい何とも……。堀尾の方が酷いんじゃない?」
「平気だよ、このぐらい! いっつも母ちゃんや父ちゃんにはたかれ慣れてるもん」
「堀尾、アンタ、バカだね」
「う……何だよぉ」
 リョーマは涙を堪えている。
「ほんと……バカだよ……俺のせいでこんなこと……バカだよ……」
「バカバカばっかり言うなよぉ。別に越前の為だけにやったわけじゃねぇんだぜ。ただ、いつものクラスに戻って欲しいなって。皆悪いヤツじゃないんだからな……」
「うん……」
 でも、堀尾はリョーマの将来まで思い遣っていた。――リョーマは保健室の扉を開けた。
「今日のお礼。手当ては俺にやらせて。それからもち、Ponta付き!」
「越前……!」
 堀尾は鼻水を拭った。
「じゃ、お言葉に甘えるとしますか」

 リョーマが傷薬を堀尾の頬に脱脂綿でつける。
「いてて……くそ、染みるな」
「我慢して」
「わかってるよ。越前」
「でも、痛いかもね。堀尾の方が重症じゃん」
「うん……でも、越前は悪くないもんね」
「え?」
「越前はそんなことするヤツじゃないもん。女に手を上げたりしねぇだろ?」
「そんなことをしたら母さんに即ビンタだよ」
 堀尾があはは、と笑った。
「何?」
「越前も母ちゃんは怖いんだなーと思って――いてて」
「ごめんね、堀尾」
「え? 何で越前が謝るんだよ。今回の件についてはあいつらがわりぃよ。友達だと思ってたのにさ。くそ! 佐川のヤツ、本気で蹴りやがって……」
「ごめんね、俺、アンタのこと誤解してた」
「ああ。口先ばっかりのお調子者だって?」
 わかってたんだ。リョーマは何も言えずに頷いた。
「まぁ、こればかりは仕方ねぇよ。俺、口から先に生まれて来たようなヤツだもん。でも、それでいいこともあるんだぜ。――あ、越前笑った」
「え……?」
 リョーマは自分が笑った自覚がなかった。でも、堀尾の心遣いは嬉しかった。ちょっとサルに似ている、お調子者の、でも、うちには熱いものを秘めている自慢の――友達。
「ありがとう。堀尾」
「なぁに、困った時はお互い様だって」
 でも、リョーマは自分が堀尾の立場に立った時、同じような行動を取れるだろうか――と考えた。無視して本でも読んでるんじゃないかと思う。そう思うと自分の冷血さが怖くなった。
 堀尾はリョーマの考えているよりいい男だった。早く午後の授業終わるといいな。そしたら部活なのにな。堀尾がぽつんと言った。リョーマも堀尾と全く同じ意見だった。

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2016.6.11

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