リョーマの戦い 32

「菜々子さん、ご飯は?」
「あら、リョーマさん、ご飯ならそこにあるわよ」
「サンキュー。――あ、今日は和食だ」
「私が作ったの。質素でごめんね」
「俺、菜々子さんの作るご飯大好きだよ。母さんのも美味しいけど、洋食ばかりだから」
「リョーマさんはアメリカ育ちなのに和食が好きなのねぇ」
「うん。いっただっきまーす」
 リョーマが美味しそうにご飯を頬張る。菜々子はそれを嬉しそうに見つめていた。
「どうしたの? 菜々子さん」
「リョーマさんの食べっぷりがいいのが嬉しくて」
「マスコミはどうなったの?」
「おじ様、『月刊プロテニス』にも取材に応じるって。新聞やテレビのマスコミの人達には帰ってもらったわよ。明日、おじ様が彼らに対して質問に答えるという条件でね。ただし、リョーマさんのことは『そっとしておいてやってくれ』って言ってたわ」
 結局、父は自分のことを庇っているのだと、リョーマは思った。
 そして、自分は父に守られている。
 父はともかく、どうして堀尾も跡部もこんな生意気なチビに構ってくれるのだろう。自分はよく生意気だと言われている。乾のノートにも『生意気』と書かれていた。
「それから、はい、これ」
「牛乳……」
「先輩方と約束したんでしょ? ちゃんと飲むって」
「――わかったよ」
 リョーマは牛乳を一口飲んだ。――この味、あまり好きでない。Pontaの方がいい。
「それから、おじ様とおば様ね、これから学校に行って来るって。何でも、保護者の集まりがあるみたい」
「へぇ……」
「それから、これは言いにくいことなんだけど――今日、電話がかかって来て、リョーマさんのクラスの担任の先生が辞めるって」
「羽柴先生が?」
「そう。いじめがあったのに気付かなかったのかって、いろんなところから突き上げ食らったらしくってね」
「そうなんだ――」
 羽柴先生は好きでもないけど嫌いでもなかった。これから、このようにリョーマの周りからは人が去って行くのだろう。ノブ子も去って行った。――彼女は新しい道を見つける為にだが。
 人が去って行く。それが嫌で――リョーマは今まで何も言わなかった。自分にはテニスがあるから、と。
 いつも不味い牛乳が今日は特に不味く感じられた。
「菜々子さん」
 沙織がやって来た。
「南次郎さん達、学校へ向かったわ」
「芝さん。『月刊プロテニス』も我が家の取材をするんだって?」
「そうよ。他の週刊誌にも何を書かれるかわからないけど、我慢してね」
「それは構わないけど――マスコミって言ってもいろいろあるからね。芝さんもさっき井上さんをダシに使ったしね」
「あら、わかる」
 リョーマの言葉に沙織がぺろっと舌を出す。
「『月刊プロテニス』では近いうち南次郎さんにロングインタビューするの」
「親父の売名行為だって言われそうだね」
「ええ。でも、ロングインタビューはうちだけだから――」
「ま、親父なら何言われても平気か」
 自分も何を言われても平気だ。やはり自分と父は似ているのだ。そして、多分母とも。
 沙織が牛乳瓶に目を止めた。
「あら、それ牛乳? 一本ちょうだい?」
「――どうぞ」
「リョーマさん!」
「どうせまだあるでしょ」
「ありがとう。じゃあ頂くわね」
「牛乳好きなの? アンタ」
「そうよ。だから胸もこんなに育ったのよ」
「――身長も伸びるかな」
「あったりまえよぉ。ていうか、身長のこと気にしてたの? 大丈夫よぉ、ちゃんと伸びるから。今だって『小さな巨人』って言われてるんだし」
「誰が言ったの? それ」
「誰だったかなぁ」
 沙織は記憶を手繰っていたようだったが、やがてこう言った。
「忘れた」
 ――リョーマは少し苛立った。沙織は悪い人間ではないが、自分に合わないものを感じる。
「俺、風呂入ったら寝るから」
「牛乳は?」
「風呂の後」
「夕食後すぐに入らない方がいいわよ」
「わかってる。勉強でもしてるよ」
 とんとん、と階段を上がって行く。
「ほあら~」
「カルピン――」
 自分の頬が緩むのがわかる。このヒマラヤンの猫は癒しだ。カルピンはおもちゃを持ってきて、
「ほあら~」
 と、鳴く。遊んで欲しいらしい。
「ようし、遊んでやる」
 おもちゃをカルピンの目の前で振ってやる。カルピンは夢中になって追いかける。
 可愛いな――。
 世界の中で一番可愛い猫だと思うのは、自分が猫馬鹿だからだろうか。
 いや、一番ということは流石にないだろう。二、三番くらいだろうか。
「ほあら~」
「くすぐったいな、カルピン」
 ――スマホが鳴った。
「カルピン、ちょっとごめんな」
「ほあら~」
 電話は跡部からだった。
「よぉ、リョーマ」
『跡部さん!』
 何て嬉しいサプライズだろう。でも――何だろう。
『九州の名医が東京にやって来る。掘尾は手術する線が濃厚だ。尤も、まだ本人に告げた訳ではないらしいんだが』
「それ、忍足さん情報?」
『そうだ』
 そういえば、スミレも言っていた。『手塚を直した医者がこっちに来る』とか言う。
『俺様の病院にやってくるって言ってた』
「ほ、堀尾は前と同じように動けるようになるんですか?!」
『それは堀尾の頑張り次第だ。リハビリを頑張るように応援してやれよ。――それから、医者は女なんだ。それに、美人だ』
 跡部は楽しみにしているようだ。跡部も美人女医が好きなんだろうか。男だからそれが自然だけれども。
「――ふぅん」
 リョーマの声は硬くなった。
『それでな――そのう……別の話になるけど、俺な、いつかお前と打ち合いたいと考えているんだ』
「へぇ、跡部さんと打ち合いか。いいね」
 リョーマは再び心を動かされた。それにしても、跡部も調子がいい。初対面の時は自分の誘いを断った癖に。自分がしたのは跡部に対する単なる挑発だとわかっていたにしても。
『堀尾がもし手術するとなると決まったら、場合によってはあいつにしばらくは会えないかもしれねぇぞ』
「うん」
 手術した後は、集中治療室に移される。掘尾の怪我はどのぐらい酷いのかわからないけれど、手術が必要なくらいだ、決してそう軽い方と言う訳ではないのだろう。忍足も言っていた。堀尾は一生車椅子になるかもしれない、と。
 堀尾、ごめん……。俺のせいでつまんないことに巻き込まれちゃったね。集中治療室にいる間も、俺、欠かさず病院行くから。それで、何がお前の為になるか聞いてくるから。
「跡部さん、樺地さんのことでいろいろ大変でしょうが、堀尾のことも宜しくお願いします」

次へ→

2016.9.4

BACK/HOME