リョーマの戦い 29

「越前さん……」
 リョーマに話しかけて来たのは、氷帝テニス部の新部長、日吉若であった。テニスの件で用があるのかな、と思ったリョーマは、
「何? 日吉さん」
 と、訊き返した。
「あの……菜々子さんは元気ですか?」
「うん、元気だよ」
「そうですか――元気だったなら良かったです」
 日吉の頬に紅が浮かんだ。
 ははぁん、この人、菜々子さんのこと――。
「言っとくけどキノコの親戚はいらないから」
「はあっ?!」
 そのやり取りに氷帝メンバーは一斉に吹き出した。
「き……キノコ……」
「越前、上手いこと言うぜ」
 宍戸と向日が笑いながらそう言う。
「何で? 親父も言ってたぜ。日吉さんのことキノコって」
「跡部部長……このチビ殴ってもいいですか?」
「止めとけ。そいつも怪我人だ」
 笑いを抑えようとしながら跡部が言った。
「ああ、そうでしたね、まぁ、今のは冗談です」
 と、日吉が答えた。
「ええ、まぁ――堀尾よりは全然軽いっスけどね」
「まぁ、無理はすんなよ――それにしても、キノコね……」
 跡部達はまだ笑っている。日吉は不機嫌そうにしていた。

 一通り騒ぎが治まった後――リョーマはこう訊いた。
「ねぇ、跡部さん、跡部さんも何かあげたんでしょ? 樺地さんに」
「当然だ。特注品のテディベアだ」
 テディベアね。男がそんなものもらって喜ぶのかな、とリョーマは思っていたが。
 樺地が愛しそうに銀色に青いリボンのテディベアをずっと眺めている。
 前言撤回。愛する者からもらった物は、どんなに高かったりしても、嬉しいものなのだ。
 リョーマだって、跡部から何かもらったらきっと嬉しいだろう。
 そう言えば、樺地は少し熊に似ている。気は優しくて力持ち。そんな熊だ。
 ――ノックの音がした。
「跡部」
 忍足が来た。
 氷帝のメンバーは南次郎のプレイを堪能した後、この樺地の病室にやって来たのだった。確か忍足も一緒だと思っていたはずなのだったが、いつの間にかいなくなっていたのか、元からいなかったのか――。
「おお、忍足。――樺地の様子はどうだって?」
「順調に回復してるようや。このままなら予定通り退院できるそうや」
「――堀尾は?」
「しばらく安静や」
「堀尾は昨日誕生日を迎えたんだよ。とんだ誕生日だったけど」
 リョーマが口を挟んだ。
「ああ、そうか――あいつにも何かやるか。でも、あいつの好み、わからないからな――」
「別段いいんじゃないスか? プレゼントなんて贈られ過ぎても困るし。どうしても贈りたい物があれば別だけど」
「それは俺達へのあてつけか? クソクソ越前!」
「あ、わかりました? 向日さん」
「――そう言えば、さっきの樺地さん、何か困ってるようでしたね」
「俺様は――やはり何か贈りたいぜ。越前を庇ってくれたんだもんな」
 リョーマは目を瞠った。
 自分を庇ってくれた堀尾の為に、何かプレゼントを考えている――そんな跡部にリョーマは抱き着きたくなった。
 それを止めたのは一本の電話だった。リョーマはロビーに出て行って電話を受けた。
「――リョーマ」
「何? 竜崎先生」
「これからテニス部で集まりがある。アンタ、病院だって?」
「――はい」
 リョーマの声が固くなった。
「今からそっちに車回すよ。一人だと危ないからね」
「取材陣や野次馬達のことですか?」
「そうだよ」
 VIPになったような気分を味わえて悪くないね――尤も、リョーマはそれを口には出さなかったが。
「田代は?」
「あの子は今、それどころじゃないだろう」
「わかった。待ってる」
 小坂田朋香が竜崎桜乃と共にやって来た。
「リョーマ様! 外すごい騒ぎよ!」
「みたいだね。俺はもうすぐ出るけど――」
 ――スミレはすぐ来た。
「リョーマ、早く乗りな」
「うん。じゃあね、跡部さん、小坂田、竜崎」
 見送りに来ていた跡部達にリョーマが手を振った。
「おう」
 跡部は笑っていた。リョーマだったらどんな試練も大丈夫だ。そう言ってくれてるような気がして、リョーマは嬉しかった。朋香と桜乃も笑顔で送り出してくれた。
 車に乗ったリョーマはスミレに報告した。
「竜崎先生――榊先生から、話、聞きました」
「どうせあの男のことだ。ろくな話してなかったろ」
「――その通りです」
 スミレは、ふん、と鼻を鳴らした。
「こんな騒ぎになっちゃこれからどうなるかわからんね。ああ、こう言う時、少し田代が憎たらしくなるね。彼女が全面的に悪い訳じゃないのはわかってるけど――」
 ノブ子はリョーマに直接手をかけたことはなかった。掘尾とリョーマをリンチにかけたのはクラスメートだった。
 でも、リョーマには彼らを責めることはできない。リンチなんて下らない、と思いながら傍観者の側に回っていたかもしれない。
 堀尾のように、被害者のリョーマを庇う、なんてことはできないかもしれない。
「テニス部の人達の評判は悪くはないようです――」
「当り前さね。アタシがきっちり監督してるからね。まぁ、それだけでもないようだけど」
「はい――いつもありがとうございます。竜崎先生」
「馬鹿に素直だね。まぁいいか。掘尾はどうだった?」
「心は元気そうでした」
「心は――ね」
 今は車を運転しているスミレの横顔しか見えない。何となく、これからのことを憂えているようなのはわかったが。
 これから、自分達も戦うのだ。リョーマは決意した。
 皆、テニスが好きなのだから――。
 自分が早めに対処すれば、どうにかなったかもしれない。でも、どうにもならなかったかもしれない。
 こればっかりは――自分の行動が正しかったかどうかは後になってみないとわからない。
 学校に着くなり野次馬が詰め寄った。写メを撮る者、動画を撮る者――リョーマはもう、怒る気持ちも失せてしまった。もう慣れてきている。
 人間とはそんなものだと達観している訳でもないが。
「リョーマ、アタシ達は悪くない」
「そうっスね――」
 リョーマはツィッターやLINEを見た。朝より増えている。クラスの違う人間からもメッセージが寄せられている。
 それから、おなじみ氷帝、立海、四天宝寺、比嘉――その他の中学からも続々来ているのだ。
 リョーマには好意的なメッセージばかりだった。それは、面白半分の中傷もあったけれど。そんな連中に対してはボキャブラリーの貧困なヤツ、とせせら笑った。

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2016.8.24

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