リョーマの戦い 28

「ちぃーす、樺地さん」
「こんにちは。越前さん」
 樺地が言った。リョーマは樺地の病室にやって来たのだ。跡部と芥川も彼を出迎えてくれた。――その時にはもう、とっくに正午を過ぎていた。南次郎も家へ帰ったことだろう。それともまだ続けているのか。いずれにせよ、リョーマには直接関係ないことだった。
「樺地の怪我はそう痛まないようだ。本人によればな」
「――ウス。跡部さんの、言う通りです」
 樺地が微笑んだ。
「もう少しで退院できるな。お前が丈夫で良かったよ。――仕事、溜まってるからな」
「ウス」
 怪我人に仕事させるのかとリョーマは呆れたが、案外それもいいのかもしれなかった。
「あのさ、樺地さん――猫、庇った時、どういう感じだったの?」
 リョーマが訊いた。
「ウ……何か、その猫に吸い寄せられるように……その猫しか見えなくなって……気がついたらはねられてました」
「気がついたらはねられてた――か」
跡部がくつくつと笑った。
「――いや、笑い事ではなかった。樺地、お前だから全治一週間で済んだんだ。普通なら死んでもおかしくはないぞ」
「ウス。運が良かった、と、思います」
「てめーも神に愛されてんだ。怪我直すの頑張れよ」
「ウス」
 樺地は頷いた。
「気がついたらはねられた、というのもすごいね……」
 リョーマは呆れながらも息を飲んだ。
「俺、ずっと樺ちゃんと一緒にいたいC~」
 ジローが言った。
「樺ちゃん、思ったよりずっと元気そうだC~」
「そうだな。良かったな。樺地、いつまでも喋っていたいが、俺様にも用事がある。わかるな」
「ウス」
「まぁ、榊先生に言ってもう少しいさせてもらうことは可能だが……」
「――跡部さんも、芥川さんもいて、良かった、です」
「俺もそれは思った。なぁ、樺地。本当は俺様は何時間でもここにいたいんだがな」
「――ウス」
「俺、眠い……休むよ、樺ちゃん」
「勝手に寝る訳にはいかんじゃねーの? あーん? ……でも。気持ちはわかるな」
 跡部始め、氷帝の人間は樺地を大事にしているのだとリョーマは思った。樺地にも取材の申し込みが出ているが、跡部が断っているようだ。
「跡部~。喉乾いたC~」
「待ってろ。今何か買ってやるから」
「Pontaだったら俺が買ってきてやるよ」
「ほんと?! うれC~。俺ね、オレンジがE~」
「わかった、じゃ」
 リョーマは樺地の病室を出て行った。

 樺地がそんなに辛そうでないのがリョーマには嬉しかった。
 樺地と掘尾。殆ど同じタイミングで入院するなんて運命すら感じる。
 ――跡部さんに会えて良かったな。
 リョーマはそう考える。例え、二人の怪我のおかげだとしても。
 樺地にもリハビリは必要だろうか。そう言えば、跡部にリハビリの施設のことについて跡部に訊くのを忘れていた。
 がこん、がこん。Pontaを二つ買う。樺地からは特にリクエストがなかったし、跡部についてはそもそも彼の為にPontaを買ってやろうという考えがリョーマにはない。――自分の分はしっかり買った。
 リョーマがPontaを飲んでいると、声をかける人物いた。
 氷帝学園テニス部の顧問、榊太郎だった。

「越前遅いC~。あ、タロ先生」
 ジローが目を丸くした。
「どうかね。樺地、具合は」
「――悪く、ありません」
「そうか、良かった」
 ――リョーマはPontaのオレンジ味をジローに渡していた。
「わざわざ来てくれたんですか。榊先生。学校の様子は?」
「こっちにも取材陣が来たよ。――轢かれそうになった猫を助けてトラックにはねられた男子生徒がいるというニュースでな」
「続く時は続くもんですね」
「青学も大変なもんだ。――今度の件ではかなり評判を落とすだろう。たった一人の女生徒の讒言によってな」
 田代ノブ子のことだ。リョーマは田代ノブ子はどうしているだろうかと考えた。
「都大会や――全国大会とかは出られるんですか? 青学テニス部は」
 跡部が勢い込んで榊に訊いた。
「――こう言った騒ぎにはなったが、青学テニス部についてはそう評判は悪くない。いつも堀尾と越前、君達に優しかったのが幸いしたな。テニス部の連中は」
 榊は越前に微笑みかける。リョーマは思わずムッとした。だが、齎されたニュースは悪いものではなかった。
 ――スミレはさぞ、いろいろな対応に追われているだろう。
 リョーマは、青学テニス部の柱だ。テニス部を手塚に託されたのだ。青学の柱については、殆と力づくで奪ったと言う方が正しいかもしれないが。――その責任を果たさなくては、とリョーマは心に決めた。
「リョーマ……」
 跡部が憂いを帯びた微笑みを見せた。こんな時でも綺麗なのが跡部だが、今のリョーマにはそれどころではない。
「ただ、元々の噂を起こした女生徒が青学男子テニス部のマネージャーだったからなぁ……」
「榊先生はどこまで知ってるんですか?」
「――かなりの部分、情報が流れてるよ」
「田代は……どうなってますか?」
「それは竜崎先生に訊いた方がいいんじゃないのかね?」
 氷帝にとってはまるで他人事だという風に、榊は首を振ってから答えた。
 スミレはどこまで知っているのだろう。
「今日のニュースでもやっている。観るかい?」
「――後で」
 あまり観たいと思うようなものでもなかった。リョーマ達は自分のことで精一杯なのだった。――だが、情報を掴むのは大事なので、後で必ず観ようとは思う。
 個人的には、南次郎と井上のプレイでも観ていた方がマシなのだが。
 だが、こう囁く声もする。――真実を知りたくないかい? 例えそれがお前にとって辛い真実でも。
「越前さん、顔色、悪いです」と、樺地。
「越前君。君もクラスメート達にやられていたんだよね」
「――はい」
「確か君も怪我しているとか。近所のお医者さんに通っているんだね?」
 もうそこまで情報が洩れているのか。リョーマはちっ、と舌打ちをした。
「タロ先生~。越前機嫌悪そうだC~」
「そうだね。悪かった。――樺地の見舞いに来たんだった。余計なことばかり話したね。だが、我が氷帝学園テニス部も青学の応援はさせてもらうよ」
「ウッス。ありがとうございます。榊先生」
 榊は樺地の見舞いに来ただけで他意はないのだと、リョーマにもわかった。
「樺地!」
 向日が来た。宍戸や鳳や日吉と言った連中も一緒だ。何と、滝萩之介も来た。
「樺地、調子はどう? トラックにはねられても死ななかったなんて、やるねー」
『やるねー』が口癖の滝が訊くと、樺地は「ウス、ありがとうございます」と答えた。調子はどう? 一体樺地は何回同じようなことを聞かれたのだろう。それでも嫌な顔ひとつ見せない。元々樺地はあまり表情を変えない質だが。
「あ、これ、お土産だ。羊羹」
 宍戸が紙袋を樺地に手渡した。
「ウス。ありがとうございます」
「いっぱい買ってきたぜ。と言っても二箱だけどな。あんまりあり過ぎても困るだろ?」
「――ウス」
 氷帝の連中は金持ちなだけあって、他にもいろいろ買ってきたらしく、リョーマには樺地が少し当惑しているように見えた。お土産攻勢も大変だな、とリョーマは思った。
 自分の母倫子のホールケーキも、堀尾達には負担になっていないだろうか。せめてカットケーキの方が良かったのではあるまいか。――見舞い品は値段も量も程々の物がいい。

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2016.8.22

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