リョーマの戦い 25

 足音がバタバタと響く。かなり大勢のようだ。人の行き交いが目に浮かぶようである。この狭い家に一体何人、人がいるんだろう……。
「――うるさいなぁ」
 リョーマが寝ぼけ眼で呟いた。目覚まし時計も今日は役立たずのようである。カルピンが「ほあら~」と鳴いた。
「おはよう、カルピン」
 撫でてやるとカルピンはまた、「ほあら~」と鳴いた。
 カルピンの為にほんの少し隙間を開けてやり部屋の外に出ると、跡部が壁に寄り掛かっていた。本人にしてみればポーズを決めているつもりなんだろう。
「よぉ」
「――おはよう」
「お前、昨夜忍足と一晩中語り合ったんだって?」
 そうだったっけか。途中で寝てしまったような気がする。でも、話はした。
「あいつな、『越前て、意外とかわええやんなぁ』と言ってたぞ。何話してた? 言え」
「何? 妬いてんの」
「アホ」
「アホはアンタでしょ? アホベさん」
「この野郎……言ってはならんことを……」
「あ、スマホ見んの忘れた、取ってこよっと」
 どうしよう。顔がにやけるのが止まらない。跡部が何か言おうとしたが、その前に部屋に引っ込んでしまった。
 ――ツィッターを見た。氷帝や立海大や四天宝寺、比嘉などの連中からもたくさん来てる。六角中や聖ルドルフ、不動峰からも……。
「うへ……すごい量だな」
 リョーマは正直辟易した。だが、読んでいるうちにそんな感情も吹っ飛んでしまった。カルピンがゆらゆらと尻尾を振りながらこちらの方を見てる。
『大丈夫かい? ボウヤ』
『俺の兄貴がうるさかったら俺に言えよ』
『虐めなど卑怯者のすることだ。負けるな』――などなど。
 リョーマはくすっと笑った。負けていられない。彼らの熱い思いに応える為にも。再びテニスで会いまみえる為にも。
『俺なら大丈夫』
 ――と、打ち込んで、着替えてから再び部屋を出た。跡部はもういなかった。食堂にでも行ったのだろうか。
 そう言えばお腹が空いた。空腹を感じることなど、ここ数日あまりなかったことである。行ってみようか、食堂へ。
 母も菜々子も起きているはずだ。南次郎はわからないが。
 それにしても、廊下には誰もいない。さっきは数人ぐらいの人の塊がいくつかあったのに。――リョーマは跡部しか見ていなかったが。それに静かだ。
 リョーマがトントンと階段を下りて扉を開けると。
「おはようございます! 越前リョーマくん!」
 予想を遥かに超える大人数に迎え入れられ、リョーマは目がちかちかした。取材の人々だ。芝沙織や井上守もいる。
「あ……アンタら……」
「リョーマく~ん。南次郎さんと試合して勝ったら取材させてくれるんでしょ」
 沙織は昨日の約束を忘れていなかったらしい。
「おいおい、南次郎さんと試合するのは俺だぜ」
 井上は苦笑しながら指摘した。
「その前に何か食べろよ、な」
 と、跡部。やはり彼も食堂にいたのだ。
「こんなにうるさくちゃ何も……」
 その時、ぐ~っとリョーマの腹笛が鳴った。
「越前……体は正直やで」
 忍足が無駄に色気のある声で意味深な言葉を吐く。
「今日はリョーマの好きなししゃもにしてあげたからね」
 うふふ、と母倫子は笑う。
「越前家のししゃもは本物のししゃもです! 俺、感激しました! あんなに美味しいししゃもを食べたのは初めてです」
 そう叫んだのは氷帝の鳳長太郎。
「氷帝の鳳は本物のししゃもが好き、と」
 メモを取っている輩までいる。
「数日前、親戚が大量に送って来たからなぁ。口に合って良かったぜ」
「はい! ありがとうございます、越前さん!」
 鳳が南次郎にお辞儀をしながら礼を言った。
「さぁ、これから、俺と井上の勝負だ。見に来たいヤツはついて来い」
 それを聞いて、大半の取材陣は南次郎達を一斉に注目した。尤も、南次郎と井上の勝負を観たいのではなく、南次郎のプレイが観たいのだ。何故なら、勝敗はもうわかり切っているからだ。怪我で現役を退いたとはいえ、一介の雑誌記者に後れを取る越前南次郎ではない。いや、実力の差は月とスッポンより開いていることだろう。
 昔テニスをかじっていたとはいえ、井上が敵う相手ではない。
 しかし、それにも関わらず、皆、南次郎の往年のプレイに幻惑されたいのだ。長髪を高く結わえた髪型がトレードマークだった、かつての『サムライプレイヤー』に。今では髪も切ったし、いいおじさんにはなっているのだが。
「あら、私はリョーマくんのプレイが観たいわ」
 沙織が言った。リョーマが答える。
「別に見せモンじゃないスよ」
「そうそう。越前南次郎さんの台詞、『別に見せモンじゃねぇ』、久々に聞いたような気がしますね。似てないように見えても、やはり親子なんですねぇ」
「あの頃、南次郎さんはマスコミ泣かせだったもんな」
「――そうそう。テニス界から姿を消した時な」
 皆は、口々に南次郎の伝説を語り合う。そんなにすごかったのか親父――と、リョーマは内心舌を巻いた。普段は洋物グラビアに目のないエロ坊主にしか見えないけれど……。
「ほれ、行くぞ」
 取材陣はこぞってわーっと南次郎の後を追った。リョーマは呆れた。
「何だあれ」
「跡部、お前は行かんの?」
 忍足が訊く。
「――ん? どうでもいい」
「えっ? 越前南次郎のこと憧れの選手だったって言うてたやろ?」
「馬鹿っ! しぃっ!」
 そうだったのか。リョーマは何となく嬉しくもあり、反面照れくさくもあった。そして――少し憎くもあった。
「――親父は今はただのエロ坊主だよ。それに、俺とは毎日対戦してるし」
「……越前南次郎仕込みのテニスか。強い訳や」
 忍足が感嘆する。
「このししゃも、美味しいね」
「そう? どんどん食べてね。お代わりいっぱいあるからね」
「リョーマさん、食欲出て来て良かったわね」
 母と菜々子が嬉しそうに笑う。
「――俺は行って来る」
 比較的目立たないところに立っていた手塚が言う。
「あらそう。行ってらっしゃい、手塚君。昨日はありがとうね」
「いいえ」
「こいつはな、ゆうべおばさんや菜々子さんの皿洗いとか手伝ってたんだ。その時も無表情だったんだぜ。きっと」
 跡部の台詞にリョーマが吹き出す。無表情で皿を洗う手塚、と言うのが容易に想像できたからだ。
「む? 世話になって食事も出してくれたのに手伝うのがそんなにおかしいことか?」
「――俺、リョーマの気持ちわかるぜ。手伝うこと自体はおかしなことじゃねぇけどな」
 笑いながら桃城が話に加わる。
「桃先輩……」
「因みに桃城は皿を一枚割った」
「すみませんて部長……ていうか、越前にそんなこと言わなくても」
「いいっスよ。皿ぐらい」
 桃城も手伝ってくれたのだ。陰になり日向になり、桃城はリョーマを支えてくれた。皿一枚ぐらい安いものだ。倫子は桃城にも礼を述べて頭を下げた。リョーマが桃城に向かってこう言う。
「桃先輩も手伝ってくれたんスね」
「あったりまえだろ。俺は越前には世話になったからな」
「世話になったのは俺の方っスよ」
 ご飯を嚥下したリョーマは、そう答えながらも、やはり桃城にとっても部長は手塚なのだとしみじみ思った。桃城が海堂のことを皮肉以外のことで『海堂部長』と呼ぶのも考えにくいから。
「俺も行くっス。じゃあ、ご馳走様。おばさん、菜々子さん、飯旨かったです」
「俺も行くで。滅多にない機会や。盗める技術は盗んだる」
 桃城と忍足はじゃれ合いながら出て行った。あの二人は急激に仲が良くなったような気がする。跡部が優しい目でこちらを見ている。視線が届くのが些か居心地が悪くもあるが、それでも満更でもないリョーマであった。

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2016.8.14

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