リョーマの戦い 22
「リョーマ……話は済んだかい?」
「うん」
スミレの質問にリョーマが頷いた。
「越前さん……取り乱して申し訳ありませんでした」
良子が深々と頭を下げた。内心どっちらけのリョーマが言った。
「アンタさぁ――ちょっと勝手な人だよね」
「リョーマ……!」
スミレが厳しい声を出す。彼女が尚も言い募ろうとすると――。
「返す言葉もありません……」
良子は再び頭を下げた。
「堀尾、いいヤツだよ。ちょっと理解に苦しむとこあるけど。――きっと親が良かったんだね」
そう言ってリョーマはにやりと笑った。
「これ、リョーマ! ――お前はちと生意気過ぎじゃ」
「多分血筋のせいもあると思うよ」
「お前さんは年々南次郎に似てくるな……」
青春学園の中でも最古参に近いスミレは越前南次郎のクラスも受け持ったことがある。南次郎は竹内倫子と出会い、結婚して――リョーマが生まれた。
「どでかい夢を見つけてきたもんだねぇ、南次郎も」
スミレが独り言ちた。
「ん? 何?」
「何でもないさ年寄りの独り言じゃよ」
「ふぅん。ちょっと喉乾いたな」
リョーマはスタスタと自動販売機に向かって歩く。そしてPontaを飲み始める。
「何しとるんじゃ。さっさと帰るぞ」
「待ってよ。これ飲んでから――」
「車の中で飲めばいいいじゃろうが! 全く! 家のことも親父におっつけたままにして――」
「あ、忘れてた」
「勝手なのはお前さんじゃ。ったく……」
スミレはぶつぶつと言っているが、リョーマは聞いていなかった。
「まぁ、アンタらはアタシが送るとして――どうした? リョーマ」
「いや。静かだなぁと思って」
「院長自らが出張って患者に迷惑がかからないようにしているよ」
「――俺、寄りたいところがあんだけど」
「明日にしな」
スミレの言葉には有無を言わさぬ迫力があった。リョーマはぐうの音も出なかった。
「樺地じゃろ? 氷帝の連中に気を遣って疲れてるだろうから少しは休ませてやんな」
「はーい」
――家に帰ったら跡部が待っている。勿論、他の連中もだけど。
跡部さん、俺の家に来るの初めてなんだよな――。
アトベッキンガム宮殿と呼ばれる跡部家には劣るけれど、リョーマの家も結構立派だ。
でも、失望しないだろうか。ここがあの越前南次郎の家か――と。ロサンゼルスの彼らの家はそれなりだったけど。
それよりも南次郎は皆に失礼なことをしたりしてはいないだろうか。それがちょっと気にかかるリョーマであった。
「カツオとカチローも俺んち泊まる?」
「ううん、いいよ」
「僕達、家に帰る予定だったから」
「そうだね。これ以上人口密度が増えると我が家がパンクしちゃうし」
「えー、リョーマくん家広いじゃん、ねぇ」
「うん」
「そうかな。普通の家だと思うけど」
「リョーマくんてさ、何か別世界の人って感じがするよね」
カツオが言う。――またそれか。同じ人間じゃないか。
「いつだったか堀尾君がテニスの王子様って言ってたけど、本当にそんな感じだよ」
「堀尾くん、どうだった?」
「元気だよ。あいつ、強いから」
「僕たちも会いたかったな」
「うん。前から嫌いじゃなかったけど、堀尾くんのこと、ますます好きになったな」
堀尾はヒーローだ。リョーマは思った。
誰が、たかだか中学一年生でたった一人で戦いに挑むことを予想するだろう。リョーマはずっと昔から戦ってきたが、堀尾はそうでないのだ。いつだって口先だけで済ませて来た。
その堀尾が、本気を見せた。
誰もが「あっ」と言うだろう。あの小さな少年に人を命がけで守る炎を見て驚き――そして思うに違いない。あの炎は自分にはない、と。
そうではない。誰にだって勇気の炎はあるのだ。挫折した人にも、傷つき、己の弱さに苦しんでいる人にも。
その炎はリョーマにも潜んでいた。
炎は身を焦がし、生きる糧となる。
堀尾はよく戦った。彼の人生はおそらく今までとは違ったものになるだろう。今まで戦い方を知らなかった小動物が見せた本気。
小坂田は堀尾を好きになるかもしれない。
それも当然だ、という気がした。お仕着せの王子様ではなく、本物の戦士。掘尾は自分の心の弱さに向き合う力すら持ち合わせているのだ。
堀尾は大人になったのだ。――変な意味ではなく。
周りよりほんの少し早いが、成人の儀式を終えた少年。今日が誕生日なのも何だか示唆的である。それの持つ意味は堀尾すらまだ気付いていないが、間もなくわかるだろう。
「――やるじゃん。掘尾」
リョーマはまたPontaをまた一口飲んだ。口内で炭酸の弾ける感触がした。
外では取材陣が待ち構えていた。カメラのフラッシュが次々に焚かれる。眩しい。リョーマは不快に思って目を閉じた。
「越前リョーマくんですね? 堀尾聡史くんと何か話してたんですか?」
「リョーマくんはあの越前南次郎さんの息子さんですよね。虐めに合ってたって本当ですか?」
「堀尾くんとはどう言った関係で」
――なるほど。リョーマはさっき、堀尾の母・良子を勝手な人呼ばわりしたが、これは参るに違いない。
息子の怪我、明るみに出た虐めの真実、そして、この取材攻勢。疲れて八つ当たりしたくなるのも無理はないかもしれない。リョーマは良子にほんの少し同情した。
「青春学園テニス部顧問の竜崎スミレ先生ですね、何か一言」
「一言。ほら、何度でも言ってやる。一言一言一言」
レポーターが唖然としている間にスミレは脇をすり抜け、車に向かった。
――バアさん、アンタ、かっこいいよ。
さすが曲者揃いの青学テニス部を纏めている顧問なだけのことはある。南次郎の惚れたであろう女なだけのことはある。
俺が親父だったら迷わず惚れてたな。若い頃限定だけど。
スミレの夫、竜崎桜乃の祖父という人はどんな人なのだろう。きっと、只者でないに違いない。
「おっと。遅れちゃう」
リョーマが小さな体でもがいていたその時だった。
「リョーマくん」
どこかで聞いた声がする。この声は――。
「芝さん?」
「あら、よく覚えていてくれたわね。ほら、アンタ邪魔よ!」
『月刊プロテニス』の記者、芝沙織が同業者をおしのけようとしている。南次郎とカルピンの縄張り争いを思い出してリョーマはふっ、と笑った。
「相変わらず可愛いわね。お姉さんにお話聞かせてくれるかな?」
「バーカ」
こっちは早く家に帰りたいのだ。でも――。
「井上さんにだったら話してもいい」
「あら、本当?! 井上さーん! こっちですよーぉ」
「はいはい。話聞かせてくれるって?」
「アンタさぁ、前に一度親父に負けたんだって?」
「ああ、ハンデつきなのに手も足も出なかったよ」
「親父に勝ったら取材受けてもいいよ」
「本当かい?! いやぁ、勝てる訳はないんだけどさ……また対戦したいと思ってたんだよね! 越前南次郎のテニスは『人を魅せるテニス』だよね!」
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2016.8.6
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