リョーマの戦い 20

「誰?」とリョーマが訊くと、スミレからは、「昔の教え子さ」という答えが返って来た。
「――全く、こんなところで突撃レポーターの残党に会うなんて――アタシにはろくな生徒がいないよ」
「親父も?」
「アンタの親父はアタシの誇りさ。グランドスラムも夢ではなかったんだからね」
「んじゃ、俺、グランドスラムを目指すよ」
「頑張りな、少年」
「竜崎先生! 青春学園で虐めがあったって噂、本当ですか?!」
「訊かれてもあたしゃ何も答えないよ」
 そう言ってスミレはサングラスをかける。スミレの行動にはどことなくアメリカナイズされたところがある。南次郎は巨乳が好きだが、昔のスミレも巨乳美女だった。
 ――もしかしたら、親父の初恋はスミレ先生だったのかもしれない。
 それも今だったら納得できる。竜崎スミレは桜乃とは違う意味でいい女だった。
 またスマホが鳴った。親父か? まだ三十分経ってないのに。
「――リョーマくん?」
「竜崎!」
 桜乃のことをちらっと考えた瞬間、桜乃から電話が来た。テレパシーかもしれない。
 しかし、この騒ぎだ。何があったって不思議ではない。
「何だよ、竜崎」
「堀尾くんが――大変なの! 病院に大勢テレビの取材が来てて……」
「こっちにもいるよ」
「堀尾くん、取材が来ても口を噤んでいるようなの。普段だったらもっとお喋りなのにって堀尾くんの知り合いの看護師さんが――」
「竜崎、まだ病院いんの?」
「ううん。気になって病院に電話したの。――堀尾くんが泣き出したんだって」
「堀尾がぁ?」
 リョーマは思わず素っ頓狂な声を上げた。泣き出すなんてあいつらしくない。
「それでも、皆が来ると、『もういいよ! 帰ってくれよ!』って――。堀尾くん、辛いんだと思う。堀尾くんのお父さんと院長先生やスタッフさんが追い払ったようだけど――病院の外には結構野次馬もいたみたい。それから堀尾君のお母さんが急に暴れ出して……」
「野次馬か――」
 リョーマの心に怒りが湧いて来た。堀尾を守らねば。
 昨日は堀尾に守られたのだ。今度は自分が堀尾を守る番だ。母親が暴れたというのも気になる。あのしっかり者のように見えた優しく明るいお母さんが……。
「竜﨑。もう少しで親父から電話が来るはずなんだ。またな」
「うん。またね」
 さてと――。
 ツー、ツー、と鳴るスマホをじっと見る。
「今の、桜乃ちゃんから?」
 カチローが訊く。リョーマが頷く。
「堀尾が知らない人に囲まれて困ってたみたい」
 ――やがて、着信音がした。バイオリンで演奏されたユーモレスクだ。
「よぉ、リョーマ」
「親父……さっきは何で時間決めて切ったの? 今まで何してたの?」
「いろいろ。ああ、そうそう。母さんと菜々子の説得は五分で済んだぜ」
「ありがとう」
 今、するっとこの言葉が出て来た。母はともかく、父に礼を言うなんて滅多にないことだし。
「いいってことよ。お前、前より素直になったな」
「――俺のことはいいよ。堀尾が心配なんだ!」
 話が途切れた時だった。
「アタシも心配だね。病院に戻るかい?」
 会話(と言ってもリョーマ側だけだけど)を聞きつけたらしいスミレが言った。リョーマはスミレに答えた。
「うん! 氷帝のテニス部員と青学の皆が家に来るはずなんだ。あの人達は親父に任せとく」
「アンタも南次郎に頼ってんだね」
「非常事態だ、仕方ないよ! ――親父、俺ら一旦病院に戻るよ! 後は頼んだから!」
「アタシも堀尾を守るよ! あれでも可愛い生徒なんだ! オラオラ、どきな! パパラッチども!」
 スミレが派手にクラクションを鳴らす。
「そこの女! 轢かれても知らないよ!」
「リョーマくん、竜崎先生が怖い……」
 カチローが怯えている。カツオも同様だ。
「そう? あれぐらいでなきゃスミレ先生って感じしないじゃん」
「そうかな~?」
 パパラッチどもが追ってくる。いい加減煩い。リョーマはトレードマークの白い帽子を目深に被った。
「カチロー、カツオ、アンタらどうする?」
「い……家に帰りたいけど……堀尾くんが心配だ!」
 カチローより更に気が弱いと思われたカツオが断言した。
「僕も!」
 カチローは迷わず答えた。
「ようし! 皆行くよ!」
 スミレが車のスピードを飛ばした。カチローはリョーマの隣でメールを打っている。よく酔わないなぁと思う。カツオは覿面に酔っていた。
 ――再び車は病院への駐車場へ。
「僕、竜崎先生がスピード狂だなんて知らなかったよ」
「――僕も」
 リョーマだけが何となく予想していたのでカチローとカツオほどには驚かず、二人の会話をスルーした。
「はいはい。どいてどいて。教え子が待ってんだよ!」
「――竜崎さん、今は家族以外は面会禁止です!」
 院長が言った。
「ほう――じゃあ堀尾の両親に許可をつければいいんだね」
「まぁ一応……でも今の状態じゃ誰にも堀尾君に会わせたくないかと――」
「で? 堀尾の親はどこだい」
「こっちです。堀尾君の母親がちょっと錯乱状態になっています。――それでも会いますか?」
「望むところよ」
 スミレが言い切った。こちらです、と院長自らが案内した。
「あ……あなたたち……」
 堀尾の母の髪が乱れていた。堀尾の母は地を這うように喋った。
「越前君、あなたさえいなければ、聡史はこんな災難に遭わなかったのよ……!」
「…………」
「皆アンタの責任よ!」
「落ち着きなさい! 良子!」
 堀尾の母は夫に腕を掴まれながら泣き声を上げ続ける。
「アンタがいなければ聡史には輝く未来が待っていた! テニスだって上手くなってそのうちプロになったりして――聡史は自慢の私の息子だったのよ! それをアンタが壊したんだ!」
「しっかりしなさい! 良子! 聡史は死んだ訳じゃない! リハビリを重ねればテニスだってできる!」
「でも、あんなに辛そうな聡史は初めて見たわ。誰にも会いたくないと泣いて――」
「おばさん」
 リョーマが言った。そして、再び脱帽してお辞儀をした。
「堀尾君を……生んでくださってありがとうございます」
「越前……くん?」
 堀尾の父が呆けたように口を開ける。良子も暴れるのをやめた。
「おじさん、おばさん、堀尾君を育ててくださってありがとうございます」
「越前君……」
「聡史……」
 堀尾の母良子が床に頽れた。堀尾の父の力が抜けたかららしい。
「何故聡史が……あんなにいい子なのに……」
 良子は泣いている。堀尾はこんなに心配してくれる人がいる。そういえば、樺地はどうしているだろう。彼までこの騒ぎに巻き込まれなきゃいいけど――。
「越前君、水野君に勝郎君。今はこういう状態だから、また後で……良子、聡史は私達の自慢の息子だ。そうだろう?」
 慰謝料、どのぐらいいるんだろう。こんな考えを持つ俺って最低かな。――リョーマが自分の冷静さに驚いて……自分の冷血さに涙が出て来た。

次へ→

2016.7.29

BACK/HOME