リョーマの戦い 2

「桃先輩……」
「くっ……!」
 ノブ子は悔し気に唇を噛むと、「仕事がありますので」と、マネージャー業へ戻った。
「なぁ、越前。いろいろ噂飛び交ってるけど――」
 堀尾が遠慮深そうに言った。
「関係ないよ」
「悪い気したら、ごめんな。ただ、あいつらすっかり信じ込んじゃって――」
 堀尾の言うあいつら、とは、テニス部員以外の人間――クラスメートとか先生とかである。――今日もリョーマは先生に呼ばれた。大したことは訊かれなかったが。
「あのさぁ、堀尾。アンタ俺と離れた方がいいよ」
「やだよ! あいつら許せねぇよ!」
「堀尾くんの言う通りだよ! ボク達、リョーマくんの味方だからね!」
 と、カチロー。堀尾・カツオ・カチローはリョーマにとっては時に鬱陶しくもあった。感謝もしてるけど。それに正直なところ、堀尾達には犠牲になって欲しくない。けれど――堀尾はもう巻き込まれてしまっている。自分の責任だ。リョーマはそう思った。
「堀尾くん。熱くなるのはわかるけど、ここは――ね」
 不二がにっこりと微笑む。それだけで堀尾は何も言えなくなってしまったようである。
 サンキュー、不二先輩。リョーマが心の中で礼を言った。
「失礼する」
 元テニス部部長の手塚国光と元副部長の大石秀一郎が扉を開けた。
「あ、部長」
 カチローが立ち上がる。手塚は、俺はもう部長ではない、と訂正した。
「ノブ子が謝ってくんないんスよ~」
 堀尾が困った顔を見せる。
「別に……ほっとけば?」
「おい、越前……自分のことだろ? まぁ、そういうクールなところが素敵、と小坂田なら言うんだろうなぁ……」
 確かに朋香ならそう言うに違いない。堀尾はよくわかっている。堀尾は朋香が好きなのだろうか。
「堀尾、アンタ、小坂田のこと好きなの?」
「えー? 俺の本命はスズマリだよ~。つか、小坂田、越前のことしか目に入ってないじゃん」
「にしては仲良さそうだったけど」
 リョーマがにやりと笑う。
「カンベンしてくれよ~」
 リョーマが堀尾をからかう。堀尾もリョーマが少し元気になったのが嬉しいのか笑っている。
「リョーマくん、笑えるようになったね」
「そうだね」
 カチローの言葉にカツオが答える。
「教室でも笑えてるといいんだけど、ね……」
「それは堀尾くんに任せるしかないんじゃないかな」
「うーん。でも、堀尾くんじゃちょっと頼りないなぁ……」
「おまえらうっさいぞー」
 そう言っている堀尾も笑顔である。
 良かった。この三人がいて本当に良かった。そして――先輩達も信じてくれる。
「フシュ~」
 海堂薫も遅れて来た。プレイスタイルからマムシと呼ばれているが、本人もマムシのイメージである。緑系のバンダナがポイントだ。
「海堂先輩」
「越前……」
 海堂はリョーマの頭を一撫でした。愛情表現が下手な彼なりの元気づけ方なのだろう。リョーマは海堂の慰めにも感謝した。
「相変わらず愛想ねーな、あいつ」
 桃城が溜息を吐いた。海堂と桃城は同じ学年で同じ部で、しかも両方とも負けず嫌いだから何かにつけて張り合うのである。そんな二人が本気で仲悪いのかといえば、彼らは全力で否定するだろう。
「越前……あの、元気出して……」
 優しい大石が言葉少なに話す。さすがは青学の母と呼ばれるだけある。
「ウィッス」
 越前は被っていた帽子のつばを目深に下げる。
「越前」
 今度は手塚だ。何だって言うのだろう。
「ちょっと――見せてみろ」
「――ん」
 リョーマは手塚には素直に痣だらけの腕を見せられる。手塚国光は腕を負傷したり跡部に肩を壊されたりしている。変な話だが、何となく親近感があるのだ。
「……あいつら、容赦しなくなったな」
「でも、腕はまだマシな方なんスよ。腹なんか酷くって――」
 堀尾が説明する。手塚が「そうか」と言って続けた。
「越前、堀尾、医者へは行ってるな?」
「は、はい……」
「俺の話は聞いてるだろう。おかしいと思ったなら病院へ行く。それが俺の学んだ教訓だ」
「――俺はテニスをしたいんです!」
「そうか――まぁ、怪我は日に日に増えるばかりだろうしな……人災は元から絶たないとな」
 ノブ子がドリンクを用意している。
「え? それって――」
「わ、私ですか? 私なんにもしてません!」
「焦るな。田代、誰もお前のことを言ってない」
「あ、あの……戻っていいですか?」
「――ああ」
 本当は手塚にも言いたいことはあるのだろう。けれど、彼女はきっかけを作っただけ。彼女をマネージャーに決めたのは現部長の海堂だ。元部長として責めることもできない。
「済まないな。越前、堀尾」
「な、何で部長が謝るの……?」
「お前らに対して俺は何もできないからだ」
「そんなっ、俺は……部長を見て力もらってます! それから、みんなもっ! 俺の為に本当にありがとうございます!」
 リョーマがお辞儀をした。だから俺は既に引退して部長ではない……という指摘は手塚ももうする気にはなれないようだ。
 越前リョーマという少年は一見生意気だが、優しくて真っ直ぐな部分も心の中に持っている。テニス部の人間の大多数はそのリョーマの気性を飲み込んでいる。だから、リョーマは愛される。
「あ、そういえば乾先輩と河村先輩は?」
「乾はちょっと遅くなるそうだ。河村はすぐ来ると」
「そっか。早く会いたいな」
「越前……足も見せてみろ。堀尾も」
「いいですけど――見るモンじゃないっスよ」
「いいから見せろ」
「わかったっス」
 手塚に素直なリョーマに不二は一瞬眉を寄せたが、すぐに元に戻った。
「ふむ……足も……か。走れるか?」
「走れます!」
「越前! 無理しない方がいいぜ! 俺も病院行くからさ!」
「堀尾……俺は、病院に行くよりテニスをする方が楽しいんだ」
「って、大抵はそうだよっ! あ~あ、越前が文化部だったら楽だったろうにな~。でも、越前はテニスの王子様だからなぁ」
「何、そのテニスの王子様って」
「あれ? みんな言ってるぜ。越前はテニスの王子様だって」
「昔の話だろ」
「でも、俺は今でもそう思っているから――」
「そうだね。僕も堀尾の言う通りだと思うよ。ちょっと我儘な王子様だけどね。――越前、怪我は放っておいたら大変なことになるかもしれないんだ。だろう? 手塚」
 不二の言葉に手塚も頷いた。
 リョーマは取り敢えずテニスはやろうと思えばできるがあまり無理はしない方がいい、と医者に釘を刺された。この医者は、リョーマの怪我が純粋にテニスでできたものだけではないと勘付いてはいたようだが。
「越前。君ぐらいのプレイヤーがランニングや部室の掃除や球拾いだけなんて勿体ないけどね。練習もしたいだろうし。でもね、越前、テニスは裏切らないよ。無茶はしないで練習は怪我が今より良くなってからでもいいんじゃないかとも思うんだ」
「不二先輩……俺はテニスできるだけでいいっス」
「そうだね。まぁ、田代のことが心配だけど――ね。あの子もテニス部の一員だから」
 あの人、本当は寂しいんじゃないかな。リョーマは訳もなくそう思った。この不二先輩の声を聞かせてやりたい。このまま徒然としていてもどうしようもないのでランニングに加わった。

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2016.6.4

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