リョーマの戦い 19
「でも僕、堀尾君のこと、見直したよ」
スミレの車の中でカチローが興奮を隠し切れないとでも言った様子で話す。帰りは行きと同じメンバーではない。
リョーマはカツオとカチローと一緒に後部座席に座っていた。
「うん、今まで馬鹿にしてたけどね」
へぇ、馬鹿にしてたんだ。リョーマにもその気持ちはわからないでもない。堀尾が一気に大人になっていったような気がする。
一人だけ置いて行かれたような気がするよ、堀尾。リョーマは心の中で話した。実際、十二月生まれのリョーマは九月生まれの堀尾より遅く生まれたのだ。
堀尾にはリョーマが突っ張らかっている弟に見えたのかもしれない。クラスで一番皆のことを心配したのも堀尾だった。
(堀尾のくせに――)
そう思いながらも、リョーマは自分が緩み切った顔をしているのに気付いた。
「リョーマくん、嬉しそうだね」
カチローも嬉しそうに言う。
「うん。堀尾が――生きていてくれて良かった。生まれて来てくれて、良かった」
「堀尾くんは、リョーマくんに命をプレゼントしたんだよね」
リョーマは頷いた。そうなんだ。カツオ。
それに――今日は昨日に引き続いて跡部さんに会えたし。――因みに青学のメンバーは樺地の負担にならぬよう、少しだけ顔を出した。
「氷帝の連中はまだ樺地のところかい?」
「うん。昨日は氷帝のメンバーでは跡部さんと忍足さんだけ樺地さんに会えたみたい」
帰る前に氷帝の向日岳人が怒りながら教えてくれた情報である。
(クソクソ跡部とクソクソ侑士め! 昨日は二人だけ樺地に会いやがって!)
真っ赤なおかっぱ頭の可愛い顔の少年であるが口は悪い。リョーマなら昨日も樺地に会ったのだが、それを向日に言って更に彼の怒りをエスカレートさせることはしなかった。
「アタシもさ、びっくりだよ。リョーマが堀尾を庇ったんてんならわかるよ。でも、堀尾がねぇ……。まぁ、薄々あの子の気性の激しさには気付かざるを得ない時が来ると予想はしてたんだけどね」
だから人生はわからないものさ――そう言ってスミレはかかか、と笑った。
「アンタら、いい男だよ。カツオもカチローも――そして、リョーマ、アンタもさ」
でも、今の俺じゃ跡部さんには釣り合わないと思う。リョーマはスミレに心の中で反駁した。
一旦は勝った、と思った。でも、記憶を取り戻すのに跡部が力を貸してくれた、とわかった時――リョーマは故のない敗北感を覚えた。
テニスでも味わったことのない敗北感……。
跡部は自慢の髪を失くし、リョーマは記憶を失った。因果応報。そういう言葉が頭に浮かんだ。
今は、跡部の髪が早く元に戻ることを祈るのみである。
スミレは堀尾の両親に電話することを約束して別れた。調べたいことが膨大にあり過ぎる。――もしかして堀尾は海外に飛ぶかもしれない。場合によっては。
「堀尾くん、九州へ行っちゃうのかなぁ……」
「それとも海外?」
カチローとカツオが残念そうに話す。
「寂しいね。堀尾くんがいなくなっちゃうと」
「この辺にいいお医者さんがいればいいんだけどね」
「そのことなんだけどねぇ……手塚を治した医者がこっちに来るかもしれないって噂があるんだよ」
「本当?!」
「ああ。私も初耳だったんだけどねぇ……」
じゃ、堀尾は九州行かなくていいんだ。リョーマはほっとした。早く青学や氷帝の皆に連絡をつけたかった。
「幸い、新設した施設もあるし、カチローのテニスクラブもあるし、堀尾はかなり恵まれた環境でリハビリを受けることができるんじゃないかね」
リョーマはあることを思いついた。
「ねぇ、竜崎先生。堀尾の入院費やリハビリにかかった費用、俺の家で持つことできませんかね」
「堀尾だっていい家のボンボンだよ。そのぐらいの金は自分で出すさ」
「でも、俺のせいで怪我したんだし――」
「金でなく、リョーマはアンタ以外の誰にもできないことをしてあげるんだね」
「俺のできることって、何ですか?」
「――それは自分で考えるこったね」
リョーマは思った。跡部さんは、俺に、「何かできることはないか」と言った。その時俺は何と言ったっけ――。
信じてくれるだけでいいって――。
跡部は納得できないようだったが、リョーマにはわかる。堀尾だったら、
「今まで通り、友達でいてくれるだけでいいよ」
と答える。屈託なく笑いながら。そんな気がする。
跡部は金の力を信用し過ぎている。でも、彼には樺地がいる。樺地は愛情しか求めない。或いは友情か。それもやっぱり、そんな気がする。
樺地の話をする時の跡部は自慢げだった。まるで自分の所有物について話すように――。
樺地が跡部の傍からいなくなったら、跡部はどうするだろう。
その時こそ、俺の出番なんだ、とリョーマは思った。向日は忍足が好きだ。何となく、他人の恋はわかる気がする。こういうのを岡目八目と言うのだろう。
不二にはたくさんの格言や諺を教えてもらった。それが今、役に立っている。今でもまだ、日本語よりは英語の方が得意だけれど――。
スマホが鳴った。
「はい、越前です」
「――リョーマか」
父南次郎の声だ。感じがいつもより硬い。
「どうしたの?」
「跡部から電話があった。お前、堀尾に助けられたそうだな」
「うん。言いそびれてたね」
「お前ね――俺が堀尾だったら怒るぞ! 全く……。で? 入院費はどうするつもりだ?」
さすが親子。考えることが同じだ。
「俺もそれは考えた」
「俺達で出してやろうじゃないか」
「ああ――竜崎先生がね、金以外でできることを考えろって言ってた」
「竜崎先生か――。まぁ、それは置いとくとして。俺な、学生時代子供を堕ろす費用をカンパしたことがあるんだ」
「何それ。堀尾の入院費をカンパしろってこと?」
「そうは言ってない。決めるのはお前自身だ。しかし、少なくとも水子作るよりは有意義な活動だと思うぜ。――くそ。俺も子供を持って初めて自分がどんなに罪深いことしたかわかったよ」
「親父……何だか今までの親父と違うね」
「初めてしたからな。この話は。母さんに知られたら間違いなく怒るな」
「ビンタ三発は確実だね」
「それぐらいで済むなら安いもんよ。おう、リョーマ。おめぇいい友達持ったな。――堀尾のこと、ニュースでやってたぜ」
「え……?」
「『え?』じゃねぇ。こういう世の中だ。酷い事件がわんさかある。お前はその中の希望の星になれよ。堀尾ってヤツと一緒にな」
「親父……」
リョーマは胸が詰まった。俺にはテニスしかできない。
「俺、テニスしかできない……」
「充分さ。人間何かしら取り柄がある。自分の為にやってきたことが他のヤツらの力になるってこともあるもんだ。逆もまた然りだ」
「うん……」
「跡部な、後で来るって。樺地がいねぇのが残念だと言ってたなぁ」
心臓がぎょくん、と跳ねた。
跡部が、家に来る――。
「ダメ、それダメ!」
「おー、随分嫌われたもんだな。跡部も。氷帝の連中も来るって。あいつらにうちに泊まることを許してやった」
「じゃあ、青学の皆も――」
「おいおい、狭い家だぜ。勘弁してくれよ」
「母さんは張り切りそうだね」
「――ああ、目に浮かぶようだな。今から母さんに話しとく。菜々子にもな。今からきっかり三十分。三十分後に電話をかける。じゃあな。愛息子」
電話が切れた。
親父の野郎、何が愛息子だよ。父親らしいこと全然しないくせに。
リョーマは不満たらたらだった。跡部も来るなんて心臓に悪いじゃないか。
「――遅かったか」
学校には報道陣がつめかけていた。
「あ、竜崎先生!」
一人の男がマイクを持ったまま寄って来た。スミレは車窓を開けた。
「篠崎――」
こんなことやってんだねぇ、とスミレは呆れたように呟いた。
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2016.7.27
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