リョーマの戦い 18

 こりゃ、話聞いてたんだな――。
 リョーマはちゃっかり自分用に買ったPontaを飲みながら思った。
 もう、テニスはできないかもしれない。堀尾もそれを知っている。その場に集っていた全員がしん、となった。
「大丈夫、大丈夫。リハビリすればできるようになるって話だったし。やっぱ俺、テニス好きだし? 今に越前追い越してやるよ――」
 堀尾は凍り付いた場を何とかしようとぺらぺら喋る。その度に場の空気の温度が下がる。堀尾はすっかり困ったらしい。
「やー……どうしようかな……」
「どうもこうもないわよ!」
 朋香が怒鳴った。
「アンタ、リハビリしなさい! テニスしなさい! それで、リョーマ様に負けないプレイヤーになりなさい!」
「それはちょっと……」
「ムリなんじゃないかなぁ……」
 カチローとカツオが顔を見合わせる。リョーマが言った。
「――待ってる」
 その台詞には万感の思いが籠っている。それに気付いたらしい堀尾は、
「おう! 負けないからな!」
 と、鼻の下を擦った。リョーマの口角が上がる。
「やっぱりこういう時はリョーマくんだよね」
「決める時は決めるよね」
 カチローとカツオが互いに言い合う。
「あー、ありがと。皆」
「俺ら、青学テニス部はいつでも堀尾聡史の帰りを待ってるぜ!」
 と、桃城が言う。不二がふっ、と笑った。
「――何スか。不二先輩」
「いや、桃がね……いつぞやと同じような台詞を言ったものだから」
 リョーマも覚えている。
(青春学園男子テニス部は全員越前リョーマの味方だぜ!)
 リョーマは顔にこそ出さなかったがかなり感動したので一字一句脳裏に焼き付いている。
 桃先輩。ありがとう。
 リョーマはひっそりと桃城に感謝した。
 そして――ああ、堀尾。
 今の彼の根性だったら、再びテニスができるようになるかもしれない。けれど、リョーマには敵わないだろう。
 リョーマはもっと上を目指すのだから――。
 手塚よりも、跡部よりも、もっと――。
「俺がいい医者を紹介してやろうか?」
「ありがとうございます。手塚部長」
「もう部長ではないのだがな……」
「よぉ、何かパーティーでもやってんのか? あーん?」
「跡部!」
 青学の皆が声を揃えた。
「よっ」
「何だよ、ノックぐらいしろよ」
 扉は確か閉めたはずだ。けれど、この傍若無人な少年には通用しない。
「昨日の樺地の見舞いの礼だぜ。越前」
「そうッスか――」
「いや、実を言うとな、青学のヤツらが見えたので院長に詳しい話聞いたんだ。おまえ……」
「俺?」
 堀尾が人差し指で自分を差す。
「俺様なら必ず再びテニスをプレイできるようにする病院知ってるぜ」
「跡部、それなら俺の知ってる病院の方が――」
「それは体験談か? 手塚よ」
「ぐっ……」
「まぁ、お前も知ってるかもしれないけどな。案外同じだったりしてな。場所は九州の――」
 跡部が続けようとしたところ、手塚が目を見開いた。
「貴様、何故そこを――」
「あーん? だから同じかもしれねぇなって思ったんだよ」
「――跡部。そこにはよく行くのか?」
「まぁ、よく行くと言えばよく行くな」
「そうか……」
 手塚はくるりと跡部に背を向けた。
「千歳ミユキという色黒の少女に会ったら宜しく言っといてくれ」
「ああ、あいつか」
「知ってんのか?!」
「何度か会ってる。根性据わってる娘だな。なかなか。つか、直接会えばいいんじゃないのか? あーん?」
「それは……」
「なーに? 手塚、ミユキちゃんという娘に惚れてんの?」
「なっ……!」
「だから自分では直接会うことができないんだ。かーわいい♪」
 菊丸の台詞に手塚は絶句した。
「そんな馬鹿なことある訳ない! ミユキはまだ小学四年生でちょっとラケット借りただけでドロボウ扱いするし――」
「こんな焦った手塚部長、初めて見るっスね」
「ロリコンか……」
 桃城が驚き、跡部が笑いを堪えている。一年組はまだショックから冷めやらない。――手塚は固まってしまった。しばらくすると、一年組も先輩達もそれを肯定と捉え大いに笑い始めた。
「手塚?」
 大石が手塚の目の前で手をぴらぴら振っている。
「まぁ、いいんじゃねぇの? 数年後にはいい女に育ってるぜ」
 跡部がくっくっと笑いながら言う。
「ま、尤も俺は嫌われてるけどな。この間は『跡部財閥の御曹司のくせにレディーの扱いがなってない!』とか言われたな」
「不二……」
 手塚が珍しく助けを求めるように不二に目を遣る。不二は珍しく眉間に皺を寄せる。
「手塚……君がロリコンだったなんてね……」
 不二は本気で怒っているようだ。
「いや、だから、こいつらが……」
「しかも人のせいにするんだ」
「不二……」
 世にも哀れな手塚の姿に桃城も大石もつい吹き出す。
 やれやれ、まだまだだね。皆。手塚部長の意中の人を知らないなんて。リョーマも笑いながら思った。跡部さん、アンタなら得意のインサイトで見抜いてるんじゃないの?
 手塚国光は不二周助が好きなのだ。
 けれど、まだ助け船は出してやらない。手塚には恩も憧れもあるけれど、とりもち役を引き受ける親切心は持ち合わせていない。それに、自分の恋も上手く行っていないのに、人の恋の応援なんてできるものか。
 不二も手塚が好きだ。つまり両片想いなのである。
 それをリョーマは先輩達の卒業式の時にでもばらすつもりだ。リョーマは知らない。それよりも早くお互いがくっついてしまうなんて。そして、それはそう遠くない話。閑話休題。
 リョーマは少しこの二人が羨ましくなった。自分は跡部に告白できるだろうか。跡部には樺地がいるし、第一彼は女好きのようだ。テニス馬鹿の為浮いた噂は何一つ聞こえて来ないが。
 跡部様は皆の物。それが跡部ファンの暗黙の掟になっている。下らないよね――。
 堀尾も傷に響かないように慎重に笑っている。笑いの発作の治まったリョーマは少し冷めてきた。跡部でさえまだ笑っているというのに、自分一人だけ斜に構えているように見えるだろう。
 リョーマは跡部に恋している。だから――本当は手塚のことも笑えないんじゃないか。そう思えてきたのだ。でも、背丈が跡部と並んだその時には、彼を夢中にさせてやる!
「何してるんだい? 帰るよ」
 スミレ先生の登場だ。皆の空気がぴりり、と張りつめる。
「医者から話は聞いてきたよ。テニスできない程痛めつけられたんじゃな、堀尾――」
「ああ、それ? 何か治るらしいっス」
 あっけらかんと堀尾が答える。スミレは驚いて目を瞠り、次の瞬間には「強い子じゃな」と涙を流した。
 だが――リョーマは言いたかった。あれは何も考えていない。ただ能天気なだけなのだと。そして、野に咲くコスモス――ノブ子が堀尾に贈った花のように強く逞しいだけなのだと。

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2016.7.25

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