リョーマの戦い 17

「リョーマ様ッ!」
 小坂田朋香が手を振る。その隣には見たことがあるような夫婦が寄り添っていた。どことなく堀尾に似ている。
「堀尾さん、大勢で押しかけてすみません」
 手塚が頭を下げた。ということは、この夫婦は堀尾聡史の両親なのだ。
「いいんですよ。聡史もすっかり元気になって」
「あ、堀尾のおじさんにおばさん、昨日は無理に病室に訪れてごめんなさい」
 もう若くはない中年夫婦に朋香が謝る。
「いやいや。いいんですよ。あの時は私どもも聡史の怪我の具合を先生から聞いていたところだったし」
「かなり短時間でできた痣がいっぱいあったようです。私達も聡史が可哀想で――もうテニスはできないかもしれないと先生に言われました。聡史は、それはそれはテニスが好きで――腕前はいまいちなんですが」
「泣くお前を慰めるのに骨が折れたよ」
「あなた……」
 堀尾の母はハンカチで目元を拭いた。かなりしっかりした両親のようだ。何故堀尾みたいなお調子者が生まれて出て来たかわからない。いや、堀尾は堀尾で場を盛り上げようとしてたのだろう。滑っていたことの方が多いが――。
 それに、テニススクールに通っていたぐらいだからそれなりに裕福な家庭に育ったのだろう。
 しかし、とにかく恩人ではある。リョーマが言った。
「堀尾さん、アンタの息子は最高だよ」
「こら越前。目上の人にはそれなりのだな――」と、手塚。
「ありがとうございます。あなたは越前さんね? 昨日ちらっと見たけど」
「はい。越前リョーマっス」
「聡史と仲良くしてくださってありがとう」
「こちらこそ――俺、聡史君に庇ってもらいました。それで、俺は軽傷で済みました。――聡史君を育ててくれてありがとうございます」
 リョーマは帽子を取ってお辞儀をした。
「まぁ……!」
 誰かから話は聞いていたのだろうが、堀尾の母は感極まって咽び泣いた。
「聡史は……越前さんのことをそれはそれは楽しそうに話してくれました。先の全国大会で優勝したのも越前さんが立役者だったそうで――それを聞いて私どもも胸がスカッとしたものです」
「ご子息に会えますか?」
 手塚が堀尾の両親に訊いた。
「はい。今日はもう、元気に病院食を平らげたそうです。会ってやって頂けますか?」
「はい」
 全員が声を揃えて返事をした。
「実は――知っているかもしれませんが、聡史は今日が誕生日なんです」
「――え?」
 全員がその場で固まった。
「贈り物、持ってきたか?」
「いや……その……」
「俺なんか堀尾の誕生日忘れてたもんにゃあ~」
「あの……」
 リョーマは堀尾の母にコスモスを差し出した。
「これ、うちのマネージャーから……」
「まぁ、綺麗なコスモス……」
 堀尾の母が涙顔で破顔した。
「これ、聡史の病室に飾っておきますね。ありがとう」
「こちらこそありがとうございます。マネージャーにも堀尾君のお母さんが喜んでいたと伝えておきます」
「聡史も喜ぶわ。あの子、ああ見えて自然の花が好きだから」
「堀尾君のお母さん、私ケーキ焼いてきました」
「まぁ、本当?」
 朋香の言葉に堀尾の母がきらっと目を光らせた。
「私もケーキ焼くのが趣味なの。朋香ちゃんありがとう」
「いえいえ。これぐらいしかできることないですもん、私。チーズケーキなんだけど……」
「まぁ、あの子の大好物だわ」
「最初は失敗ばかりだったけどこの頃やっと上手く焼けるようになったんです。リョーマ様に食べてもらおうと思って――」
「まぁ、朋香ちゃんは越前君が好きなの?」
「ええ、まぁ。憧れです」
 朋香の隣で桜乃は嬉しそうに二人の会話を聞いていた。朋香と堀尾の母はすっかり仲良くなったようだった。やっぱり堀尾の母は堀尾にどっか似てんなぁ……リョーマは改めてそう思った。
「俺達からも、息子さんに『誕生日おめでとう』の言葉を伝えておきます」
 手塚が言った。
「宜しくお願いします」
 堀尾の父の目が嬉しそうに細められた。
「ところで、聡史君の病室は?」
「聡史の部屋は……」
 堀尾の病室は個室である。やはりそれなりに大事にされて育ってきたのだ。堀尾聡史という少年は。

「パンパカパーン! 堀尾! 誕生日おめでとう!」
 朋香が腕を広げた。
「おお、小坂田。何だ? いい匂いだな」
「んふふ~。私、アンタの為にチーズケーキ焼いて来たの!」
「ええっ?! 俺の大好物! ありがとう、小坂田!」
「ふふっ」
 朋香も堀尾に喜ばれ満更でもない様子だった。
「いいにゃ~、堀尾」
「菊丸先輩にもそのうち何か作ってきますって。でも本命はリョーマ様だけどね♪ あ、そっちのくたびれた花は男テニのマネージャーからよ」
「田代が?」
「朋ちゃん、ちょっと……」
「何よぉ。くたびれているものをくたびれていると言って何が悪いの?」
「――堀尾くん。リョーマくんが田代さんからのコスモス預かって来たよ。ほら、これ。私に『持ってて』だって」
 桜乃は朋香には直接応答せず、堀尾にコスモスの説明をした。朋香も別段気を悪くした様子もない。
「掘尾くん、これ、花瓶に他の花と一緒に入れとこうか?」
「頼む。――田代に会ったら礼言っとく。あんがと越前、竜崎」
 堀尾は楽しそうに己の誕生日を満喫してる。
「おチビ~。君も何かあるんじゃないかにゃ~」
 菊丸がリョーマの頬を突いた。不二はにこやかに見守っている。大石やカツオやカチローも。桃城は照れるリョーマを見てニヤニヤしている。手塚だけが何を考えているのか無表情だ。
「さぁさ」
 桃城が堀尾の方にリョーマを差し出す。帽子を被ったリョーマはそっぽを向きながら、
「たんじょうび、おめでと……っ、堀尾……」
 そういってPontaのグレープジュースの缶を差し出す。それはまだ冷たい。
「おー、それ、お前の分じゃなくて俺へのプレゼントだったのかよ。それにしてもお前……こんな時までかよ……しかもいつもと同じグレープ……それに、越前の場合は倍返しの要求が怖いよな……」
 堀尾は笑いのツボに嵌まったらしかった。しかし、その後、「いてて……」と顔を歪ませながら聞こえないようにであろう、小声で呟く。
「じゃあ返して」
「やだよ。後で飲むかんな」
 リョーマが缶ジュースをサイドテーブルに置く。――堀尾がにこりと微笑む。
「あんがとよ、越前」
「いや……」
 リョーマは堀尾が眩しくて見ていられないのだ。
「堀尾君、そのう……僕達は何も用意してないんだ」
「ええっ?! マジかよカチロー! 越前ですら忘れなかったのに!」
「どういう意味だよ」
 それに、本当はリョーマも忘れていたのだ。それをわざわざ言うリョーマではなかったが。
「掘尾君、とんだ誕生日になっちゃったけど……うちの父さんのいるテニスクラブでまたテニスやろうよ」
「あ、テニス……」
 堀尾の顔に哀しそうな影が走る。だが、それは一瞬で、「そういえばあの時のカチローの父ちゃん、かっこよかったな」と言って笑った。
 だが、カチローは気が付いたみたいだった。己が失言したことに。

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2016.7.23

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