リョーマの戦い 16

「樺地さんは猫を助けてトラックにはねられたんだ」
「すげぇなそれ……死ななかったのか」
「全治一週間だって」
「そっか――しかし樺地も頑丈だな。テニス部員の鑑から人間の鑑にランクアップだぜ」
 桃城は嬉しそうに言った。良きライバルの善行は嬉しいものだ。
 樺地が死ななくて良かった。彼が死んだら無二の親友の跡部はどんなに嘆くだろう。本当に、良かった。
 そして堀尾。
 堀尾が死ななくて良かった。もしかしてあのままあの世に行ってしまうんじゃないかと心配していたが。――あの小坂田朋香も泣いていた。
(堀尾……死んだら許さないんだから……リョーマ様だって堀尾が死んだら許さないでしょ?)
 朋香の言葉にリョーマは頷いた。堀尾が死んだら俺のせいだ。そんなことはないと思うが、もし堀尾の命の炎が消えてしまったらリョーマは自分自身を責めるだろう。
「俺、放課後、堀尾のところに行って来るけど」
「ああ。どうせ無理はできないだろ? 行って来いよ」
「ありがと」
 学校が近づく。――今日は何が待っているのだろう。またリンチか。
 でも、堀尾だって耐えたのだ。自分も耐えてみせる。
「おはよう」
 一応挨拶してから教室に入る。教室がしん、とした。まるで誰かVIPを迎え入れるかのように。
(――あれ?)
 些か拍子抜けした。絶対何か言ってくると思っていたのに。その代わり陰口は聞こえる。
(あいつ、こえぇな。――つか、やべぇよ)
(堀尾がいなかったら、俺、あいつ殺してたかもな)
(堀尾……)
(泣かないで。マリちゃん)
 どうやら昨日の事件がいい方向に――かどうかはわからないが動いているらしかった。
 ようやく自分達のやり過ぎに気が付いたのか。いいことだ。
「越前君」
 ノブ子がリョーマに声をかける。
「田代――」
「これ、堀尾君に……堀尾君には何も恨みはないから……」
 それは一輪のくたびれた野生のコスモス。
「堀尾君に渡して。立派な花じゃないけど、綺麗だなって思って……」
 ノブ子の言葉に嘘はない。この花は懸命に生きようとしている。
「ありがとう。堀尾も喜ぶと思うよ」
 リョーマは机の上にその花を置いた。今日は何もされなかった。教科書やノートを破られることも、靴箱にゴミを入れられることもなかった。
 事態は思わぬ方向に動いていた。

「おチビ~。俺のLINE読んだ?」
 菊丸が待ち構えたように抱き着いた。
「うん。来てたよ」
「でも、返事なかったにゃ~」
「菊丸。越前はそれどころじゃなかったんだよ」
 不二がちょっと怒った様子で言う。いつもニコニコしているこの先輩にしては珍しい。
「いつものことだろ」
 桃城が言う。海堂が「フシュ~」と息を吐いた。海堂は業務連絡だけして来た。でも、この男にしては珍しい。
「今日、テレビ局の人達、来たよ」
 カツオが教えてくれた。どうやら何人かが話をしたらしい。
『青春学園で暴行事件が発生。堀尾聡史(12)がクラスメートの暴力によりただ今入院しています。このクラスには以前からも虐めが発生しておりまして他にも被害者が――』
 そんなテロップがリョーマの頭を過った。リョーマはぎゅっとコスモスを握った。
「あれ? その花……もしかして堀尾にあげるの?」
「――田代からです」
「……そっか」
 菊丸は言葉少なに返事するとニッと笑った。
「後でノブ子ちゃんにお礼言わないとね」
「そうだね」
 不二は読んでいた本を閉じてリョーマに微笑みかけた。
「なぁ、越前。俺も堀尾の見舞いに行ってもいいかい?」
 青学の母、大石秀一郎が言った。医者志望のこの少年はとても穏やかで優しい。菊丸とダブルスを組んでいて、彼ら二人は『黄金ペア』と呼ばれている。
 そして、大石は外部の高校に進学する予定なのだ。
「大石先輩……」
「手塚も来るよ。さっき連絡があった」
 不二が普段より引き締まった顔で言う。不二は不二なりに堀尾を心配しているのだ。
 手塚部長――リョーマ達に『何もできなかった』と謝った部長。例え部長は引退しても手塚は今も尚、部員の心の中で部長として君臨して続けている。現部長海堂にとってもそれは同じだ。
 だが、海堂には桃城がいる。桃城が海堂を支えてくれるだろう。喧嘩しながら。手塚が入って来た。乾も一緒だ。
「面会の許可が正式に降りたそうだ。それから越前」
「――何スか?」
「昨日は許可もなく面会へ行って、その後、氷帝の生徒の病室で倒れたそうだな」
「あ、はい……」
「――無理するな」
 手塚の眼鏡の奥の目が優しい。顔は笑っていなかったが、乾曰く表情筋の固い男だ。仕方ないのだろう。
「お前も入院するところだったのかもしれないのだぞ」
「――はい」
 リョーマが面目ない、というようにしょげていた。リョーマが落ち込んでいるのを知ったのはほんの手塚と乾だけだったが。不二は知ってか知らずかいつもの笑顔に戻っている。
「リョーマくん……堀尾君、元気だった?」
 カチローがおずおずと尋ねる。
「ああ。ちゃんと目覚めたしね。――小坂田と喧嘩してた」
「えっ。それってまずいんじゃ……堀尾君は怪我人だし」
「あまり怪我人を興奮させるのは感心せんな」
「でも、堀尾元気だったし――」
「そうそう。結果オーライ!」
 菊丸がVサインをする。
「それに、お前らは勝手に面会に行っただろう。小坂田と竜崎と共に」
 手塚は厳しい口調で続けた。その目からはさっきの優しさは消え、規律を重んじる部長時代のものに戻っていた。
「――堀尾の両親には許可を得ました。事後承諾ですが。病院側も一時間ならいいと――」
 リョーマは言い返した。
 そういえば自分は樺地の見舞いにも行った。あの人は全治一週間だったはずだ。普通なら昨日は面会謝絶とかではなかっただろうか。跡部は権力を駆使したのだろうか。樺地も元気そうだったが。
 ……しかし、一番迷惑をかけたのは俺か。それなのに自分一人幸せに浸っていたのだから。
 そういえば、跡部はどうして自分を樺地の病室に通してくれたのだろう。
 リョーマがつらつら考えていると、手塚が言った。
「行こう」
「私も連れて行っておくれ」
「竜崎先生!」
「――昨日は何もできなかったもんでね」
 俺のように迷惑をかけなかっただけマシです。リョーマは心の中で呟いた。
 これは自分自身の為の戦いなのに、堀尾を巻き込んでしまった――。
 俺が、死んでれば、良かった、のか――。
 なんて、まだまだだね。
 死んでしまって人を悲しませることのない人などそうはいない。誰かが、死者の為にそっと手向けの涙を流すのだ。いずれリョーマも一握の砂になるだろう。でも、まだその時期じゃない。戦わなければ。生き続ける為に。
 樺地の元には跡部や氷帝の連中も来ているのだろうか。樺地は面会ができるような状態に見えた。きっと皆でじゃれ合っているだろう。
 海堂が、「俺は部長としての責務があるからテニス部に残るが、お前達は堀尾を元気づけて――いや、その前にあまり無理させないようにすんだぞ」と言っていた。乾も学校に残るらしい。
 スミレの車で病院に着くと、小坂田朋香と竜﨑桜乃が先に来ていて手を振っていた。因みに桃城と菊丸と不二、カツオとカチローは別の先生の車で来た。

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2016.7.19

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