リョーマの戦い 14

「樺地さん、失礼します」
 ベッドには包帯を体に巻かれた痛々しい樺地の姿が。堀尾の怪我の姿も痛々しかったが。
「ウス」
 樺地は基本、ウスしか言わない。だから、リョーマもさっき樺地も跡部にはあんなに喋るのかと驚いたのだ。
「樺地さん、猫庇ったってはねられたって?」
「――ウス」
「馬鹿だろう。こいつ」
 馬鹿だと言いながらも跡部の口調には親愛の情が点っていた。樺地さんが羨ましいな、とリョーマは少し焼きもちを妬いた。
「ウス」
「馬鹿じゃないよ」
 そう言いながら、これでは堀尾の自嘲の言葉に「アホじゃない」と力説した竜崎と一緒だなぁ、と思う。
「猫、助けたんでしょ?」
「ウス」
「それがなぁ、何でだと思う?」
 今、樺地さんと話しているんだから――リョーマは跡部を軽く睨む。例え跡部であっても会話の邪魔はして欲しくない。
「――その猫が俺に見えたんだと、よ」
「――ウス」
「どうして?」
「その猫が――跡部さんに似てたからです」
「跡部さんに似たサル、の間違いじゃない? ほら、跡部さん、サル山の大将だし」
「え~ち~ぜ~ん~?」
 跡部はポーズを決めながらも、怒りを隠そうとはしなかった。
「猫です」
 樺地がきっぱりと断言した。
「黒くて、艶があって――凛としてました」
「ふぅん……」
 きっと樺地だったらどんな猫だって助け出すだろうとリョーマは思っていたが。跡部そっくりの猫だったら自分だって助けたいと思うかもしれない。
「ふふ、俺様のように品のある猫だったんだろうな」
「ウス」
「飼い主から感謝されたんだぜ。――今朝の出来事だ」
「ラケットバッグ二つも持ってんのによくそんな芸当ができたね」
「ウス」
 樺地のラケットバッグ、ひとつは跡部が持たせている物である。
 最初、リョーマは樺地は跡部の従者だと思っていた。なるほどそうには違いない。だが、跡部は誰よりも樺地を信頼している。多分、あの忍足よりもだ。
 全く、やんなっちゃうよね。
 今朝、と言えば、リョーマは堀尾と不二姉弟に車で送られていたところだ。そんな時、樺地は事故にあったのだ。その時はリョーマも堀尾が病院に運び込まれることになるなんて知らなかった。
「越前さん、大丈夫ですか?」
 樺地が喋った。
「え? ああ、ちょっと堀尾のことを思い出して――」
「堀尾がな、怪我したんだよ。きっと、人為的なことで」
「ウス」
 樺地はそれで悟ったらしい。
「いつからですか?」
「え?」
「堀尾くんがやられた、のは、いつからですか?」
 意外と樺地は察しがいい。
「ええと……いつからだったかな」
「じゃあ、越前さんは、いつから、ですか?」
「俺?」
「ウス」
「何だ。俺もやられてたの、わかってんの」
「――ウス。顔、腫れてます」
 そこでリョーマは自分がそこまで傷つけられたことに気が付いた。桜乃と朋香も心配してくれていたが、半ば慣れてしまっていた――というか、麻痺していたのだ。「俺もいつ切り出そうか迷ってたのに樺地には敵わねぇな」と跡部は苦笑交じりに呟いた。跡部にも物事の輪郭がぼんやりとだが見えているらしい。
 ――自分も殴ったり蹴られたりされて痛かったが、堀尾はもっと痛かったはずだ。
「話せ、越前。ここには俺と樺地しかいねぇ」
「跡部さん……」
 リョーマの涙がぽろり、と零れ落ちた。緊張が溶けたとでもいうかのように。
 ――俺は、誰かに喋りたかった。この心の澱を、ずっと、ずっと――。
 けれど、堀尾も待っている。手短に済まそう。
「俺は……一人の女生徒に嵌められました。噂は次々に流れて――クラスメートからリンチを受けました。堀尾は――俺の巻き添えを食らったんです」
「そうか」
「後、テニス部も俺の味方でした。けれど、昨日医者に言われたんです。テニスをやめた方がいいんじゃないかって」
「その医者にしてみれば妥当な判断だったんだろうな」
「でも、俺、テニス、やめたくないです……」
 リョーマの手の甲に涙が二、三滴。
「俺も、お前というライバルがいなくなるのは寂しい。俺にできることはないか?」
「信じて、くれるだけで結構です」
「何でそこで遠慮するんだよてめぇは! 堀尾も傷つけられてるんだろ?」
「堀尾は……わかってくれると思います。もし、堀尾と話せたら、だけど――」
「だったら、てめぇらが傷つくのを黙って見てろって言うのか?! 死ねと言われた方がまだましだ!」
 樺地さん。アンタと跡部さん、似た者同士だね。
 逃げた猫。その猫は樺地を見て何を思っただろう。跡部も――他人が傷つくのを見てるより、己の心臓を差し出そうと言うのだ。堀尾のように――。
 全く――馬鹿だけど馬鹿じゃないヤツらばっかり。
「ふふっ、ふふふっ」
「何だよ。越前。急に笑ったりして」
「俺、自分の見る目が確かなことわかって、嬉しかったんス」
 跡部に惚れて良かった。
 まだこのことについては跡部のインサイトは発動されていないらしい。跡部に対する好意――知られても別段良かったけど、やはり小恥ずかしい。
「じゃ、俺、堀尾のところ戻ります」
「あ、越前――」
「何スか?」
「あの……本当に俺に何かできることはないか?」
 跡部の縋るような目付き。それはリョーマのハートのど真ん中を射抜いた。
「俺様は、なんての? 跡部財閥の次期当主だ。だから、跡部の力で何とか――どうした? 越前!」
 ああ、もう喋んないでよ、跡部さん! 俺もう死んじゃいそうだから!
 くらり、と眩暈がした。幸せな眩暈だ。
「おい、おい、越前! 越前が死んじまう! 越前!」
 ああ、死ぬかもね、俺、――幸せ過ぎて。

 覚醒すると我が家の自分の部屋だった。父南次郎の顔が見える。
「リョーマ、おい、父ちゃんだ。わかるか?」
「親父……」
 俺、どうやって帰ってきたんだっけ――リョーマは記憶を必死で手繰る。そして、思い出した。跡部の前でリョーマは倒れたのだ。
「目覚めたの? リョーマ」
 母の倫子と従姉の菜々子が部屋に入って来た。カルピンはのん気に「ほあら~」と鳴いている。リョーマはカルピンを抱き上げた。
 どうやら、体のダメージが思ったより大きかったらしい。それに、跡部への恋心にもやられたのだった。
「お前、この頃ちゃんと食ってなかったろ。気になってたんだ。今朝は食べた方だったけどな」
「私も気になっていたわ。リョーマ。学校で何かあったのでしょう? でも、リョーマが自分から話すまで待てって、父さんが言ってたのよ」
「親父が……?」
「お前は俺に似て強情だ。何か理由がなければ相談してこないだろうと踏んでたんだよ。自殺するまで溜め込んでたら――という危惧もあったが、お前はただ自殺するタマじゃねぇもんな。それに――」

次へ→

2016.7.15

BACK/HOME