リョーマの戦い 11

「今朝も歩きな――ほんとは早く越前も乗っけて走りてーな、走りてーよ」
 桃城がリョーマに言った。
「俺も、早く怪我直して桃先輩とチャリで学校行きたいっス」
 今日も朝練がある。リョーマは少しでも長くテニス部にいたかった。走ることぐらいはできるだろう。練習は――させてもらえるだろうか。できなくても球拾いぐらいなら――。
「越前。あの角まで競走な」
「負けないッスよ!」
「――と、すまん。お前怪我してるんだったな。海堂とのいつものノリでつい――な」
「こんなの――大したことありません」
「だめだっつの。先輩や海堂がうるせぇからな」
「海堂部長が?」
「おう。リョーマのいないところでは越前や堀尾に無理させんなだの、桃城、お前は特に気を付けろ、なんてうるせぇうるせぇ」
 リョーマが笑った。
「それ……想像つかないんスけど……」
「あいつ、ああ見えて情にあついぜ。まぁ、普段は冷血動物のマムシだけどな」
 桃城は海堂が好きなのかもしれない。リョーマは思った。喧嘩ばっかりしているようでいて、実はお互い誰より信頼し合っている。
 俺にはそんな人は――。あ、跡部さん。
 リョーマの脳裏に跡部景吾の姿が浮かんだ。けれど――向こうはどう思っているかわからない。それに、本当はリョーマだって跡部のことをそう知っている訳ではなかった。
 でも――昨日の日吉の台詞。
(噂のことを知った跡部元部長が荒れて大変でした)
(『越前がそんなことするはずねぇ』とか、怒鳴って――)
 跡部さん――。
 あなたは俺が勝手に髪を刈ったことを許してくれた。記憶喪失になった俺をヘリで連れ戻してくれた。他にも、世話になったこと、たくさん――。
 俺はいつも思ってました。跡部さんだったらどう考えるだろうって。そんなに深い付き合いではないのに、変だね。
(越前――)
 何だか安心を誘う跡部の低い声を思い出してリョーマは泣いた。
「なっ、泣くな、越前。お前が泣くと俺は皆にヤキ入れられるッ!」
 桃城がハンカチで涙を拭いてくれる。
「うん……」
「海堂にも殴られる! 三発は確実だな!」
「何? 桃先輩、海堂部長が怖いの?」
「違う! マムシなんか怖かねぇ! ――でも、堀尾にも怒られるからなぁ……あの一年トリオが泣くとこ想像すっと堪らねぇんだよ。なんつーか、とても、可哀想で――越前も可哀想だけどよぉ……」
 可哀想。こんな言葉など、少し前のリョーマには当てはまらなかった。
 友達も大勢いて、先輩にも可愛がられ――。
 それが、一人の女生徒の出現でひっくり返された。
(田代――)
 そういえば、クラスメートが自分に暴力を振るっていた時、ノブ子はどんな表情をしていただろうか。――思い出せない。この頃、よく思い出せないことが多くて苛々する。
 そんなことをつらつら考えていた時、車が側に止まった。
「越前」
 すーっと車の黒く塗りつぶされたような窓が開いた。
「不二先輩!」
「アンタ達、周助の友達?」
 運転手に座っている、化粧もばっちり決まっている美しい女の人が覗き込む。
「テニス部の後輩っス」
 桃城が答える。
「乗ってく?」
「――だとよ。越前、どうする?」
「乗って行ってよ。宜しくね、姉さん」と、不二。
「わかったわ。――私、不二由美子。周助がいつもお世話になっているようね」
「いえ。不二先輩にお世話になってるのは俺達っスから。――桃城武です」
「――越前リョーマ」
 扉がガチャっと開いて桃城とリョーマが乗り込む。
「うっ!」
「どうした? 越前!」
「――何でもないッス」
 後ろを振り返った不二がほんの僅か眉を寄せる。リョーマは怪我がまだ痛むのだ。
「越前。何かあったら僕に言うんだよ」
「――はい」
 リョーマがしおらしくなった。桃城が心配そうにこちらを見ている。やだな。また泣きそう。
「手塚や――大石もいるんだしさ。大石は勉強に打ち込んでいるけど――越前、彼も君のことを心配してたよ」
「大石先輩とは――違う学校になるんスね」
「まぁね。でも、仕様がないじゃないか。会おうと思えばまた会えるんだし」
「ウィッス」
「越前君――君、虐めに遭ってるでしょ」
 由美子が口を挟んだ。
「え……?」
 不二が喋ったのだろうか。不二はリョーマの心を読んだかのように答える。
「あのね、由美子姉さんは占い師なんだ。よく当たるって評判だよ」
「まぁ、今のは占ったうちに入らないけどね」
「不二由美子! どっかで聞いたような気がしたんだけど、あの不二由美子っスか?」
「まぁ……桃城君は私のことを知ってたの?」
「ええ、まぁ……」
「越前君、怪我大丈夫?」
 桃城を軽くかわして由美子はリョーマに訊く。
「今のところ致命的な怪我はなさそうだけど、これからどうなるかわからないわね。くれぐれも気を付けて」
 由美子の台詞にリョーマはこころもち目を見開いた。占い師という人種に会ったのは初めてだ。しかもこんなに美人な……。
 まぁ、由美子の美貌のことは不二や裕太の顔を見れば納得できるのだが……。
「それから、君の友達にも気を付けるよう言っておいて。もう一人虐められてる子がいるでしょ?」
「堀尾のこと……?」
「そう。あの子にも気を付けるよう言っておいて。まぁ、尤も、もう目をつけられたかもしれないけどね。救いは部活の皆に味方が多いってことね。テニス部でしょ? あなた達」
「はい!」
 リョーマ達は彼らが通う学校、青春学園に着いた。
「じゃあね。周助、桃城君――越前君」
「――はい!」
 日の光が眩しい。戦いはこれからだ。

 今日も今日とて、またリョーマはリンチを受けていた。堀尾はクラスメートに押さえつけられている。
「越前、越前ーーーーーッ!」
 堀尾が悲痛な叫び声を上げる。そして――堀尾は火事場の馬鹿力を発揮して呪縛を解いた。
(え……?)
 堀尾が越前に覆い被さる。
「何しやがんだよ! 堀尾!」
「こんなのは嫌だ! こんな越前見てらんねぇ!」
「堀尾、お前生意気だぞ!」
「前からうぜぇうぜぇと思ってたんだ」
「こいつもやっちまえ!」
 女子も何人かリンチに加わる。堀尾は越前を庇ったままだ。
「田代……」
 堀尾を助けて……そう言おうとしたが、上手く舌が回らない。
 ノブ子が泣いているように見えた。
 それは演技? それとも……。

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2016.7.4

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