リョーマの戦い 1

 はぁっ、はぁっ、はぁっ。
 学ランを着た少年が駆けて行く。背丈からして中学一年くらいだろうか。
 その少年はテニス部の部室を開ける。
「よぉ、越前!」
 スポーツ刈りのよく似合う、逞しい先輩がまだ小柄な少年に声をかける。
「桃先輩!」
 スポーツ刈りの先輩は桃城武と言う。
「おチビ~、俺もいるよ~」
「やぁ、越前」
 頬に絆創膏を貼っているのは菊丸英二。エレガントに優しく微笑むセミロングの髪の人は不二周助。共に少年のテニス部の先輩である。もう引退したが、後輩である少年のことが気懸りのようで毎日のように来ている。
 少年の名前は越前リョーマ。テニス部のレギュラーである。
 周りからは羨ましがられたり憧れられたりしていた。――そう、数週間前までは。
 今はもう、彼を羨ましがったりする者はいないであろう。
「越前、大丈夫?」
 不二が眉をほんの少し顰め、心配そうに訊く。
「あ、はい。大丈夫っス」
 越前が微笑む。不二の微笑みも深くなる。
 ――良かった。そう言いたげに。
 越前にとって青学のテニス部は今やたったひとつの居場所である。――そして。
「越前!」
 そう叫んだのは堀尾聡史。
「悪かったね。堀尾。掃除頼んじゃって」
「えー、いいよ。そんぐらい。今のお前には教室って地獄の一種だろ?」
「確かに。Pontaおごってやるよ」
「いいって言ってるじゃねーか。お袋が言ってたぜ。友達は大切にしろって」
「堀尾は俺のこと、まだ友達だと思ってくれてんだ」
「あったりまえだよー」
「リョーマ君、堀尾君」
 カチローとカツオも入って来た。
「先輩、こんにちは――えと」
「やぁ、カツオにカチロー」
 菊丸が心安立てに声をかける。
「こんにちは、菊丸先輩」
 カチローとカツオの緊張はみるみる溶けていったらしい。ちなみにこの二人のフルネームは加藤勝郎と水野カツオ。
「こんにちは」
 不二も挨拶する。
「不二先輩、こんにちは。桃ちゃん先輩、こんにちは」
 堀尾とカツオとカチローは声を揃えて挨拶した。まだちょっと固さが取れない。
「堀尾、越前のフォローありがとな」
 と桃城。
「ああ、はい――同じクラスですから」
「……またやられたのかい?」
「はい。あ、でも、越前に比べればこんなことどうってことありませんよ」
「堀尾――ごめんよ」
「何だよ。越前……湿っぽくなるなんてお前らしくねぇぞ」
 そう言って堀尾は小突く。両親が良かったのだろう。友達思いのいい男だ。
「けどさー、みんな冷たいのな。ちょっと前まで越前君、越前君言ってたくせに。――あ、でも、小坂田と竜崎が味方か。クラスは違うけど」
 小坂田朋香に竜崎桜乃。数少ないリョーマの味方の女子である。
「リョーマ様~」
 噂をすれば。堀尾が苦笑した。
「よっ。小坂田。竜崎」
「何よ堀尾。アンタに用はないわよ」
「うん。俺も小坂田には用はないから」
 朋香がぷっと笑った。そして、顔を元に戻して――。
「良かったね。リョーマ様。堀尾みたいなヤツでも一応味方はいて」
「一応とは何だよ!」
 この二人は何だかんだ言って結構仲が良い。
「ありがとう。小坂田。堀尾もありがとね」
「なっ……」
「越前、この頃いやにしおらしいじゃねぇの。天変地異の前触れか? こりゃ」
「何よ、アンタ、失礼でしょ。リョーマ様に向かって」
 心和むじゃれ合い。リョーマも笑っている。
「じゃ、私、部活行くから」
 桜乃が言った。桜乃は女子テニス部である。
「あたしは帰る。弟のこともあるしリョーマ様元気みたいだし、ね」
「うん……」
 部活に行くと言ったくせに、桜乃は心配そうな目をリョーマに向けた。それを察して堀尾が言った。
「越前のことは任せろよ。竜崎」
「――うん!」
 朋香と桜乃は男子テニス部を後にした。
「いい友達持ってるじゃないか。越前」
 不二が笑顔で言う。尤も、この先輩は普段はいつもニコニコ顔だ。目を開けた時は凛々しくて、男女問わずファンが多い。
「はい!」
 リョーマが勢いよく答えた。テニス部の部員達だけは、信じられる。例え他の人達に虐げられても。
「越前、腕見せてくれる?」
 リョーマは無言で首を振った。
「越前!」
 不二が叫んだ。リョーマは渋々腕を捲った。
「うわぁ……ひどい……」
 そう言って息を飲んだのはカチローだった。腕には青痣があったり腫れたりしている。
 そして――リョーマと同じクラスの堀尾の体にも痣や傷がある。リョーマを庇ってできたものだ。桃城は何も言えないようである。
「これでテニスできるのかい?」
「――できます」
 不二の質問に越前はきっぱりと答えた。冗談じゃない。クラスメートに虐められ、その上テニスまで取り上げられたりしたら。
「ノブ子は――期待するだけ無駄か」
 田代ノブ子は男子テニス部のマネージャーである。そして――越前リョーマをこの地獄に陥れた張本人でもある。
「失礼します」
 入室したマネージャーは特に美人でも特別な訳でもない。その辺にいる平凡過ぎるくらい平凡な女の子。
 それなのに――彼女が来た途端、部室内はぴりぴりした空気に包まれた。その中で平凡でいられるというのも或る意味すごいことだと思う。――リョーマはぼんやりとそう考えていた。
「田代さん、越前に謝る気にはなった?」
 不二が言った。
「え? でも、私、何もしてないですし……」
「そう。君自身は何もしてないよね」
「――どういうことですか?」
「君が噂の出どころだということは皆知ってるよ」
「そ……そんな……! 私は本当に越前君に……!」
「越前はそんなことするヤツじゃないにゃ」
「菊丸の言う通りだよ。田代さん。――越前は虐めなんかする子じゃない。まぁ、確かに生意気なところはあるけど」
「不二先輩、最後の方どういう意味っスか」
「とにかく、俺達、青春学園男子テニス部は全員越前リョーマの味方だぜ!」

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2016.5.28

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