リョーとケイのアイドルユニット 9

『アイドルを辞めたい?』
 電話越しからはバアさん――竜崎スミレの掠れた気味の声が聴こえた。
「はい。もう充分でしょ?」
『何がかい?』
「オレ、アイドルよりテニスの方が向いてるし――アイドルなんてどうも勝手が違うし」
 ふぅ、と、スミレの溜息が伝わって来そうだった。
『じゃから、アタシから頼み込んでお前さんを榊に預けたんだがねぇ……』
「え、先生から頼んだんですか?」
『極秘にしておこうと思ったんだけど、無駄だったようじゃねぇ。ストーカー事件の時は流石にアタシも気がとがめたもんじゃが……』
「……竜﨑先生。どうしてオレをアイドルなんかに」
 竜崎スミレは青学男子テニス部の顧問なのだ。
『そうじゃな――いろいろあるが、ま、世界を見てもらおうとしたまでじゃ。お前さん、テニス以外の世界知らなかったじゃろ?』
「世界を――?」
『おう。跡部のボンボンは流石にいろんなことを知っておる。お前さんなんかより遥かにな』
 そう言われてスミレに電話をかけた少年――越前リョーマはムッとした。
『それに、榊もああ見えて信用のおけるヤツだ。お前にとって、悪い影響は与えないと判断したんじゃよ』
「だけど――」
『それとも、お前さん、跡部に負けるのが怖いのかい?』
「う……そんなことありませんよ」
『だったらもうちょっと辛抱するんじゃな。跡部に勝ちたければな』
「だって、今の状態じゃテニスも満足に出来ませんよ」
『ほう……跡部はそんな世界から全国区のプレイヤーに成長したんじゃぞ。まぁ、あやつの場合は、芸能界ではなく、社交界とかそんな舞台だったろうけれどな』
「え……?」
 リョーマは目を見開いた。あの跡部さんが、社交界というあの見かけだけ華やかだという噂の世界から? 全国区のテニスプレイヤーに? 跡部景吾という男はそんなに強い男だったのか?
(ただの口先だけの俺様男だと思ってたのに……)
 リョーマは改めて跡部を見直した。
 自分にはテニスしかなかった。その事実にリョーマは臍を噛んだ。
『跡部はいずれ世界をしょって立つ男じゃ。一緒にいて益となることも多いじゃろ。今のお前さんはまだまだ井の中の蛙じゃ』
「う……」
 リョーマは黙ってしまった。リョーマとて、跡部の外見しか見ていなかった。
 けれど、これだけは、これだけは――。
「俺、ダブルス苦手なんスよ」
『知っとるよ』
「でも、今度のドラマではダブルスをやんなくちゃいけなくなって――」
『跡部とかい』
「うん」
 跡部さんと組めるのは嬉しいけど――自分は根っからのシングルスプレイヤーだ。そうリョーマは思い込んでいた。
『いい機会じゃないか。お前さんの苦手なダブルス、克服しな。でなかったら青学のテニス部に戻って来たって使ってやらんからな。お前さんは負けず嫌いなのが自慢じゃったろ』
 そう、跡部にも、誰にも負けたくはない。確かに自分は負けず嫌いなところがあった。
『気性は親父さん似じゃな。リョーマ』
「親父と一緒にしないでください!」
『お前は親父さん似じゃよ。リョーマ。アンタは南次郎に年々似てくる。顔は南次郎の方が男らしかったけどな』
「むぅ……」
『今のお前さんじゃ南次郎に敵わんよ。そうそう。南次郎と倫子さんにもお前がドラマ出演すること、伝えておいたからな』
「知ってます。親父なんて煩いくらい俺を応援してて……」
『いい親父さんになったじゃないの。南次郎も』
「母さんも応援してくれてます。けど――」
『けどじゃない! お前さんらしくないよ! 越前リョーマ! 勝利の為には何でもやる――それがお前さんじゃなかったのかい?』
「――そうだけど……」
『そして、テレビ観てて思ったんだけど……アンタ、跡部に恋してるね』
「なっ……!」
 リョーマは見ぬちがかっと火照った。
『図星かい。まぁ、悪いとは言わないがね。かえって応援したい気持ちになるよ。アンタら二人見ているとね――桜乃も大変な恋をしたもんじゃ」
「竜崎が……いや、桜乃が跡部さんに……?」
『何でじゃい』
 スミレが呆れたようにツッコミを入れた。
『桜乃はお前に惚れとるんじゃぞ!』
「えっ……?!」
『やれやれ。お前さんはテニス以外はからっきしじゃな。……かつての南次郎を髣髴とさせるね。尤も、成績はアンタの方がいいけど』
「親父と比べないでください!」
『――と、いう意見もお前は直に言えなくなるぞ。リョーマ、アンタは無理が通って道理引っ込む世界というものを知らない。もっと成長するまで跡部に護ってもらいな』
「跡部さんなんて――」
 ただの口だけ野郎じゃん。――などと言える程今のリョーマはあきめくらではなかった。跡部は努力して勝ち続けてきたのだ。小さい頃から。そして、今も尚。
 恐らく、世界と――。
『ん、どうしたね?』
「いえ……」
『跡部を軽視すると痛い目見るよ。リョーマ。世界に通用するテニスプレイヤーになりたくば、本当の意味で跡部に勝つしかないんじゃぞ』
「でも、テニスとアイドル活動とどういう関連があるんスか……」
『根っこは同じじゃ。お前さんの活躍を楽しみにしておるぞ。可愛い孫、桜乃とな』
「あ、先生――」
 ――電話は切れていた。
 本当の意味で跡部に勝つ。あらゆる点で、跡部に勝つ。けれど、リョーマは全国大会の試合で一度跡部に勝っている。
 それで満足しちゃいけない――そう、スミレは言いたかったような気がする。それでは、真の意味で勝ったことにはならないと――。
 確かに、今の己は跡部に敗北感を覚えている。それが、跡部への恋情とすり替えられていたのではあるまいか。リョーマ自身が思っているよりも、更に、心の奥深くで――。
(跡部さん……それに、バアさん……)
 リョーマはぎゅっと拳を握った。
 こんなのは、己らしくない。
 跡部と同じく、竜崎スミレもまた、リョーマの戦う相手だった。そして、アイドルの世界でもライバルと思える人間が何人もいる。
「世界は広いや――」
 リョーマは遠くに目を遣った。光が差し込んで来て、リョーマは目を眇めた。――リョーマはスマホを仕舞った。
(あ、跡部さんだ――)
 跡部がテニスラケットを持って練習している。
(よくやるよね、あんなハードスケジュールで……)
 しかも、ここに来たことはなかったが、跡部はこんなところで練習をしてたのか――それを今まで知らなかった己自身が歯痒い。
「リョーマぁぁぁぁ!」
(え、俺……?)
「さっさと打ち返して来い、越前リョーマぁぁぁぁぁ!」
(嘘……俺の名前を呼びながら練習してるなんて――)
 あの跡部が――リョーマが密かに気にしていた跡部がライバル心剥き出しで想像上の己に戦いを挑んでいるなんて――。
 何か、嬉しい。
「そんな壁相手に打ってたって面白くないでしょ」
 リョーマの声に跡部がこちらを見た。
「何だ、見てたのか――」
 目付きが鋭い。その視線すらもリョーマを捉えて離さない。大体、目付きの鋭さだったらリョーマも負けてはいない。
「来なよ。俺が相手になってやるから。サル山の大将さん」
「あーん? そういや、お前が俺にサル山の大将って言うの、久しぶりに聞いたな」
「俺も満足に打ち合い出来ない生活でいい加減欲求不満になってるんスよ。手加減しないからそのつもりで」
 ――跡部は全国大会の時より更に強くなっていた。リョーマも跡部の成長度に舌を巻いた。
 そう来なくっちゃ。俺も負けてはいらんないね。
 もっと強くならなければ、跡部さんに恋する資格もない――リョーマはラケットを振りながら考えていたが、いつの間にか一球一球に魂が吸い寄せられていった。

次へ→

2017.9.28

BACK/HOME