忍足クンと一匹の猫 28

「へぇ……ホンマに俺の気持ちわかるんか?」
『まぁね』
 忍足クンの言葉にリョーマくんは咳払いで答えました。
『愚問だとは思うんだけどさ――忍足さんは猫のアトベと人間の跡部さん、どっちが好きなの?」
 確かに愚問や――忍足はそう思い、
「どっちもや!」
 と言下に言い放ちました。
『俺もっス。猫のアトベも跡部さんも俺がもらうからね!』
「なっ……勝手に決めんなや」
『えへへ……』
 リョーマくんは電話の向こうで笑っているようです。
『でもさ、忍足さんのことははっきり言ってライバルだと思ってないんだ。もっと強力なライバルがいるからね』
「樺地か……」
 忍足クンも、跡部クンの本命がどうも樺地クンじゃないかと薄々気づいているようです。忍足クンだって、伊達に跡部クンを見ていないから――。
 そのことを考えると、ちょっとセンチになってしまう忍足クンです。リョーマくんはどうなんでしょうか。
「俺、負けないからね。忍足さんにも、樺地さんにも」
 そうはっきり言えてしまうのが若さの強みです。因みにリョーマくんは跡部クンや忍足クンより二つ年下です。その若さが眩しいと忍足クンは思いました。
 そして――同時に闘志を燃やしました。
「負けへんで。越前」
「うん。忍足さん」
 跡部クンのことがなかったら、リョーマくんとはいい友達になれたかもしれません。尤も、既にライバルと言う名の友であるのかもしれませんが。
『けど、アトベもせわしないなぁ。猫であってもアトベという名を関する者は忙しいように生まれついとるんやろか』
「あの可愛さは世界の宝だからね」
『カルピンと並ぶと殺人的な可愛さや』
「忍足さん、死ぬ時は一人で死んでください」
『越前かて、死ぬときは一人やぞ』
 そう言った忍足クンは、いつぞや、死と共に消ゆ、なんて考えたこともあったのです。当然アトベも。それを再確認した忍足クンは何だか泣きたくなりました。
(時間が止まったらええのに――)
 だって、今が多分、一番幸せな時なのです。永遠にこの想いに留まることが出来たなら――。忍足クンはそう考えました。
「越前、あのな――」
『何?』
「いや、何でもない」
 時に想いを馳せるには、二人ともまだ若過ぎるのです。アトベが死んでも、また新しい出会いがあるに違いありません。
 それは、まだまだアトベは子猫だから、十数年は生きるでありましょうが。
「アトベ――」
「にゃーん」
 アトベは椅子に座っている忍足クンのひざにぴょこんと乗ります。こんな可愛い猫がいるだろうか、と忍足クンは親バカ炸裂でそう思います。勿論、本当はカルピンにも負けないと思っています。
 誰でもうちの子が一番なのです。
『どうしたの? 忍足さん。また黙っちゃって』
「――内緒や」
『――ということは、結構マジな考えなんですね。さっきと違って』
 リョーマくんは勘が妙に鋭いのです。それもテニスに生かされています。忍足クンは動物並みの嗅覚やな、と考えます。
「ああ、誰も死んでいくんやな、思てな」
『アトベとカルピンは永遠に死にませんよ』
「せやな」
 リョーマくんの冗談に、忍足クンはふっと笑いました。
(それだったらどんなにええか――)
 忍足クンの目元にうっすらと涙が滲みました。
「なぁ、越前――カルピンが死んだらどうする?」
『カルピンは死にませんよ。死んだ時に初めて死ぬんです』
「――矛盾しとんな」
『カルピンより先に俺が死なないとも限らないし』
「せやなぁ……」
 しかし、忍足クンもリョーマくんもまだ中学生なのです。事故や病気でない限り、普通は死にません。
『でも、考えたことなかったよ。カルピンが死ぬなんて』
「せやな」
 忍足クンもアトベが死ぬなんて実感は本当はまだあまり湧かないのです。
『忍足さん、さっきからせやな、ばっかりじゃん」
「やって他に言うことあらへんもん」
『いいよもう――でも、忍足さん、大丈夫?』
「何が?」
『いや――何かちょっといつもと違うし』
「アトベとカルピンが死なないよう祈っとったわ」
『忍足さんて、猫には優しいんだね』
「俺は誰にでも優しいで」
『じゃあ、優しい忍足さん。アトべを俺にください』
「お前にアトベはやらん」
 そう言った後、忍足クンは吹き出した。
「何や――娘さんを僕に下さいみたいやったぞ。越前」
『じゃあ、忍足さんは娘の結婚に反対する頑固親父だね』
 二人は笑いました。
『ああ、良かった。忍足さん元気になって』
「越前――俺の心配してくれたんか?」
『はい……忍足さんが元気なくしたら張り合いがないんで』
「アンタ、ええヤツやな――」
『そんなことないよ。皆からは生意気って言われてるし』
 でも、その裏に優しさが潜んでいます。だから、リョーマくんは皆から好かれるのでしょう。彼には友達も沢山います。跡部クンもその一人です。
 まぁ、いつか跡部クンの恋人になろうという思惑がないでもないのかもしれませんが――。
『でもさぁ、アトベがうちに来たらカルピンも喜ぶと思うんだ』
「別に、また俺の家に遊びに来てもええんやで」
『じゃ、今度は忍足さんもアトベ連れて遊びに来てください。親父も母さんも菜々子さんも喜ぶから』
「いつか邪魔するで。てか、南次郎さんも猫好きなんやな」
『うちは皆猫好きだよ。あ、そうだ。車のCM、そろそろじゃん。アトベが出てくるの楽しみにしてるね』
「ああ。謙也も録画する言うとった」
『ビデオで?』
「それはあまりに時代遅れやないか? あいつに勧められてうちも買ったで。DVDレコーダー」
 まぁ、謙也が買うたようなもんやけどな――と忍足クンはひっそり謙也クンに感謝します。
『ふぅん――俺とこビデオ』
「ま、壊れたらDVDに買い替えな」
『うん。そうする』
「にゃーん」
『今の声アトべだね。声聞かせてよ』
「声ぐらいならええで」
「――にゃん、にゃん、にゃあ」
 アトベにとってみれば話しているつもりなのでしょう。アトベはとても賢い猫なのです。
『ほあら~』
 受話器から声が聴こえます。カルピンもいるようです。
「にゃんにゃん」
『ほあ、ほあら~』
 猫達の鳴き声の二重奏に、忍足クンも自分の顔が緩み切っているのがわかりました。何を話しているのだかはちっともわかりませんが。

次へ→

2018.07.17

BACK/HOME