忍足クンと一匹の猫 22
湯上がりの忍足クンがタオルで髪を拭いています。
「どやった? アトベ。今日の風呂は」
「にゃう」
アトベも満足そうです。アトベはお風呂が大好きな猫なのです。アトベもいい匂いになりました。毛皮もすっかり乾いています。忍足クンがいつもドライヤーでアトベの毛皮を乾かしているのです。
「ああ、せや。メールチェックせな」
忍足クンがスマホを取り出します。
「お、樺地から来とるで。なになに――」
『今日は、忍足さん達と会合できて、良かったです。動画、楽しみにしています』
「そっか。樺地は意外と動物好きそうやからな。返信しとこ」
スマホに指を走らせて、忍足クンは返信します。すぐにぶるぶるとスマホが震えました。
『メール、ありがとうございます』
忍足クンは優しい気持ちになりました。
「おおきに」
忍足クンは小声で呟きました。
――今度は跡部クンからメールが来ました。
『今日はおかげさんで楽しかったぜ。また会おうな』
「学校でも会えるやん。跡部――」
それに、跡部クンと忍足クンはLINEで繋がっています。忍足クンはLINEでもしようかと思ったのですが――。
「なーん」
アトベが何かをねだるように鳴きます。アトベは自分とカルピンの動画が観たいのです。忍足クンはアトベを膝に乗せて、跡部クンに返事のメールを打ちました。
アトベは動画を観て嬉しそうです。カルピンが出てくると、
「にゃ、にゃ」
と、勢いの良い反応を示します。カルピンが自分の友達であることがわかるようです。
「アトベとカルピン、どっちがかわええやろなぁ……」
もしリョーマくんだったら、
「どっちも!」
と答えるに違いありません。忍足クンはくすっと笑いました。もしかするとリョーマくんに、
「アトベとカルピンを比べようだなんて、ほんとの猫好きじゃないね。比較の対象にされるなんてアトベも可哀想!」
などと言われて、
「だからアトベは俺がもらう!」
と、続くかもしれません。
「なーん……」
「アトベ……越前が何と言おうと、アトベは俺の猫やで。わかったな。アトベ」
「にゃん!」
つぶらな瞳のアトベは忍足クンに体を擦り付けます。
「こら、アトベ――こんな態度、俺の他のヤツにはするんやないで。特に越前にはな」
「にゃーん……」
「わかっとんかいな。ホンマに。自分の魅力が」
それは、人間の跡部クンにも言えることです。
「ほんまやきもきさせて――」
そう言いながら丁寧に忍足クンはアトベの体を撫でます。アトベは気持ち良さそうにゴロゴロ言います。
「ほんま、かわええ猫や。アトベは。特にこの目がな」
「にゃーん……」
「謙也には――まぁええわ。コメント欄に何か書いてるやろし」
従兄弟に冷たい忍足クンです。
「何度見ても飽きんわぁ。この映像。皆と映像共有できるなんて、ええ時代になったわ」
「にゃん?」
「ああ――こっちの話や」
忍足クンの予想通り、謙也クンはコメント欄に文章を寄せていました。
「いずれ新しい動画もアップせなな。アトベ」
「にゃん」
「今撮るか。ちょっと夜遅いけど――ちょっとアトベ、どいてくれへんか?」
忍足クンがもぞもぞと動くと、アトベはすんなり飼い主の膝から降りました。
「第二弾?」
翌日のことです。忍足クンの元に一本の電話が来ました。
「そうです。アトベくんとカルピンくんが可愛いので、また動画を流すことに決定しました。あくまでも、仮に、ですが」
「ちょお待ってください! またテレビに出るんですか? アトベが」
「ええ。評判すごく良かったんですよ。それで、飼い主の方々に連絡を取ってるんですが――え? 越前君はOK? ありがと」
電話の人は誰かと話しているようです。
「どうでしょう。後は忍足さんの返事ひとつなんですが」
「――待ってください。今、アトベに訊いてみますから」
「お待ちしてます」
忍足クンはロッキングチェアで自分の体を揺らしながら、左手で丸眼鏡をかけた目を塞ぎます。
(テレビ出演、か――)
確かに、テレビに出たことでアトベの人気は上がりました。けれど、沢山の厄介な人達の相手もしなければなりませんでした。例えば、四天宝寺とか立海とか――。
(頭痛いわ――)
けれども、アトベの意見も聞いてみようと思ってます。そのアトベは今、忍足クンの足にじゃれついています。
「アトベ――またテレビに出よらんかってテレビ局の人が言うんやが――」
「にゃ?」
「アトベ、テレビに出たいか?」
「にゃん!」
アトベは乗り気のようです。アトベとカルピンとの付き合いで、忍足クンは少し、猫の言いたいことがわかってきました。特に、アトベに関しては。
「そうか、アトベはテレビに出たいか」
「にゃん」
「ほな、テレビ局の人にそう伝えとくさかい」
――忍足クンは電話に戻りました。
「アトベは準備万端のようです」
「ありがとうございます。つきましては忍足さん、えーと……忍足侑士さんでしたね」
「はい」
「忍足さんもテレビに出ませんか?」
「――は?」
今、自分は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしているだろうと忍足クンは思いました。
「いえ、忍足さんがいい男だ、イケメンだと局内でも評判でして」
「いや、俺は……」
「越前さんは快諾してくださいましたよ。いやぁ、いいですねぇ。越前さんも可愛くて」
態度は生意気やけどな――忍足クンがこっそりと思いました。
「どうです? 忍足さん」
「俺にアイドルの真似事させる気か? よぉ言わんわ」
忍足クンは関西弁に戻っています。忍足クンの生まれ持っての含羞がそうさせるのでしょう。
忍足クンは恥ずかしがり屋なので、丸眼鏡を手放せません。本当は伊達眼鏡なのです。眼鏡がないと裸で歩いているような気さえします。
けれど――アトベは期待に満ちた目で見ています。そんな気がします。
「私は忍足さんが出演してくださると嬉しいのですが」
「――わかったわ」
テニス部でもコート以外ではあまり目立つようなことを避けてきた忍足クンです。それでも、かっこいいと言われれば、嬉しいものですが――。何か気恥ずかしさの方が先に立ちます。
(ほんまに――よぉ言わんわ)
忍足クンは密かに溜息を吐いてからこう答えました。
「よっしゃ、テレビ、出たる」
「ありがとうございます」
電話の奥で喋くる相手の声を耳から素通りさせながら、忍足クンは、謙也だったらすぐさまOKするやろな、俺のこと羨ましがったりしてな――などと考えていました。
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2018.05.19
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