忍足クンと一匹の猫 20

「樺地さん。ラケットの調子どう?」
 リョーマくんが樺地クンに訊いてきます。
「――ウス。異常ありません」
 リョーマくんは樺地クンのラケットを酷使してしまったのではないかと心配だったのでしょう。
「ガット、張り替えた方がいいよ」
「ウス」
 手塚クンも帰ろうとしています。忍足クンはある可能性に気付きました。
「――手塚」
「ん?」
「跡部が怒ったのは手塚に対してだけやないと思うで」
「ほう……」
 忍足クンには手塚クンの眼鏡の奥の目が見開かれたように思いました。
「相手が格下だろうが格上だろうが関係ない。きっと――ペアを組んだ者として手塚の本気を引き出せなかった己自身に対しても怒ってたんや。跡部もお前と同じ、自分にも他人にも厳しいやつやからな……」
 しばらく沈黙が降ります。やがて、手塚クンが言いました。
「跡部――」
 跡部クンがふん、と鼻を鳴らしました。
「あの試合は感心できなかったな。手塚」
「済まない……」
「あのガキども、今度いつ来るかわかんねぇぞ。手塚だってここに来るのは初めてだろ?」
「ああ――」
「もう二度とあいつらに会えないかもしれねぇんだ。本気で迎えうってやるのが礼儀と言うモンじゃねーの? あーん?」
「一期一会か……」
「俺はな……それをお前から教わったんだぜ。手塚」
 跡部クンが手を差し出します。
「しかし、本気を出して万一怪我でもさせたら――」
「ふん……お前は本当にお人好しだよなぁ……でも、だから、嫌いになれねぇんだ」
 跡部クンが笑顔を見せます。手塚クンが跡部クンの手を取りました。跡部クンが続けます。
「スポーツに怪我はつきものとはいえ――わざわざ対戦相手を傷つけることはできんと言う訳だな。あーん?」
「――そうだ」
「……俺もラフプレーは嫌いだ。派手なプレーは好きだがな」
 握手を解いて二人は離れました。
「俺とお前じゃ歩む道が違う。けれど――だからこそテニスは面白れぇ。テニスやってて良かったな。手塚」
「ああ」
「俺は不完全燃焼なんスけどね」
 リョーマくんが不満そうに言います。
「何だよ……あのダブルスだったら、勝負投げたのはそっちだろう?」
 と、跡部クンが言い返します。
「俺はダブルスは苦手なんです」
「俺もどちらかと言うとシングルスの方が好きだな。けど、ダブルスも悪くないぜ」
「……アンタと組めるならね」
 リョーマくんが跡部クンに対して呟きました。
「え――?」
「さぁ、かーえろかえろっと。もう時間も遅いし。――跡部さん、結局杏さん来なかったっスね」
「え? あ、そうだな」
「もう杏さんとは二度と会えないかもしれませんね」
「な……何だよ、てめぇ……杏はここが馴染みの場所だ。また来るに決まってるだろ」
「跡部さん、さっきの言葉と矛盾してるっス。――カルピン!」
 飼い主のリョーマくんの声でカルピンは夢から覚めました。そして、リョーマくんはカルピンと一緒に飄々と帰って行きました。――そして、そのすぐ後に手塚クンも。
「な……何だよあいつ! 俺様に向かってあんな態度……!」
 跡部クンはリョーマくんに怒っています。頭に来ているので上手く言葉になりません。
「まぁ、落ち着けや。跡部。な?」
 忍足クンの言う通りです。跡部クンは深呼吸をして、それから言いました。
「――わかった。忍足」
「なんのなんの」
「ウス……自分も……杏さんに会いたかったです……」
「おー、樺地、おめぇも橘杏が好きだったのか。杏は俺の女になる予定だが、樺地にだったら譲ってやってもいいぜ」
「……そういう意味で、言ったんじゃ……ありません……」
「本人がおらんところで何言ってんだか……」
 溜息を吐いた忍足クンの腕の中で猫のアトベが「にゃ」と鳴きました。
「あ、アトベ。今日はあんがとな。おかげで頭冷えたぜ」
 跡部クンがアトベの頭を撫でてやります。
「にゃ」
「わはは。手触りいいな。こいつの頭」
 跡部クンが笑います。
「そらそうや。俺が毎晩体洗っとるからなぁ」
「にゃ」
「海堂――羨ましそうに見てるね」
 不二クンがいつもの笑顔で海堂クンに近付きました。
「なっ……そんなこと……ある訳ないでしょう……」
 不二クンは海堂クンより一つ年上なので、海堂クンは敬語を使っています。けれど、跡部クンや忍足クンには敬語を使っていません。何故なのでしょうか。
「海堂、アトベの頭撫でてやれ」
 跡部クンがアトベの方を親指で指差します。
「にゃん」
「――どうも」
 海堂クンはアトベを優しく撫でました。
「にゃあうん」
 アトベは気持ち良さそうです。アトベは海堂クンも大好きなのでしょう。
「海堂、お前、猫飼ってなかったやんなぁ」
「――飼ってないっス」
 忍足クンの質問に海堂クンが答えます。
「自分、そんなに猫好きなのに猫飼わへんのか?」
「それは――」
「海堂はね、自分だけの猫と運命の出会いを果たしたいんだって」
 ――不二クンがクスッと笑いながら言いました。
「な……不二先輩!」
「何や。恋人みたいやなぁ」
 忍足クンはニヤニヤしています。
「おい、忍足。何わかりきったこと言ってんだ。猫は海堂の恋人じゃねぇか」
 跡部クンが話題に混ざります。
「う……」
「こいつは猫とランニングとテニスにしか興味ないんだ。そうだろ? 海堂」
「ぐっ……人を変態みてぇに……」
 因みに跡部クンには悪気はありません。
「いいじゃねぇか。猫キチ。どこが変態だよ。猫キチなんてそこら辺に一杯いるじゃねぇか。リョーマはカルピンに夢中だし」
「せや。俺だってアトベのことは愛してるで」
「忍足、お前な――その猫の名前、今すぐ改名しろ」
「何でや、ええ名前や思うで」
「そ……そうか?」
 跡部クンのことを言ったのではないのに、何故か跡部クンは照れています。
「それに、目やってそっくりやし」

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2018.04.28

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