忍足クンと一匹の猫 18

「ちぃーっす。跡部さん、樺地さん」
 リョーマくんも二人に挨拶をします。
「よぉ、リョーマ。ちょっと打ってくか?」
 この場合の『打つ』は麻雀ではありません。テニスです。
「俺、道具持ってませんよ」
 リョーマくんが言いました。
「へぇ、テニス馬鹿のリョーマがねぇ……じゃあ樺地、ラケット貸してやれ」
「――ウス」
 跡部クンの命令に樺地崇弘クンが答えます。
「え? いいよ、そんな……それに、いつも使ってる物の方が操いやすいし」
 リョーマくんが珍しく遠慮して断ろうとしますと――。
「なーに言ってんだよ。お前が部室のボロラケットを上手く使いこなしたという情報はとっくの昔に氷帝にも入ってんだよ」
「――ウス」
「跡部さん……前はあんなに俺とテニスするの嫌がってたのに……」
「嫌がってた訳じゃねぇ。ただ、お前のことを見くびっていただけだ。今は反省してる。ま、下手に対戦してデータを取られるのも嫌だったっていうのもあるけどな」
「今回は跡部さん、樺地さんとテニスする予定だったんでしょう?」
「ウス……」
「まぁな。その為にラケット持って来たんだもんな。忍足に呼び出されてびっくりしたよ」
「ほんま、運命の出会いやな。跡部達はストリートテニス場で打つつもりやったそうや。そこに俺のメールが入って来たっちゅー訳や」
「俺、橘杏に会いたくて来たんだ。来ている可能性があるからな。それに、ちょうど運動もしてみたかったところだし」
 跡部クンが言います。
「橘杏?」
 リョーマくんが軽く目を見開きます。
「うん。ああいう気の強い女、俺は好きだな。偶然でも会えるかもしれないだろ?」
「そう言われても……」
「それに玉林中のダブルスペアも揶揄いたかったし」
「――碌な大人になれないよ。アンタ。それに、橘杏って確か、桃先輩の想い人でしょ?」
「知ってる。神尾と桃城って、杏を巡って一触即発なんだってな。ま、橘杏はいい女だしな」
「ふぅん」
 リョーマくんは面白くなさそうです。
「跡部さんも杏さんのこと狙ってんの?」
「まぁな。でも、桃城か神尾が杏のハートを射止めたら身を引くつもりでいるぜ」
「何故?」
「何故って――他に好きなヤツがいるからだよ」
 跡部クンの頬がほんのり上気しているように見えるのは気のせいでしょうか。――リョーマくんが帽子のつばで自分の顔を隠しました。
「ま、いいっスけどね。アンタがどこで誰と何してようと」
 いつもはポーカーフェイスのリョーマくんの語気がほんの少し荒くなります。ああ、越前のヤツ荒れとるなぁ、と忍足クンは思いました。流石、恋に敏感な十代です。
「――何怒ってんだ?」
 跡部クンがリョーマに訊きます。
「別に」
「跡部。越前が可哀想や。お前の鈍さは罪やで。――越前もやけどな」
「あーん? 俺様のどこが鈍いんだよ」
「ほあら~」
「にゃ」
 何も知らぬげにカルピンとアトベが跡部クンと樺地クンの二人を迎えます。
「おお、アトベにカルピン。元気だったか?」
 ――二匹はそれに答えるように鳴きます。跡部クンがアトベとカルピンの二匹を抱き上げます。
「はは、可愛いぜ、こいつら」
「あ……ベストショット、だね……」
 リョーマくんはスマホを構えます。跡部クンの鈍さに腹を立てていても、欲求には素直なリョーマくんです。――不二クンがくすっと笑いました。手塚クンは何を思っているのか、いつもと同じ仏頂面です。
「これ、待ち受けにしてもいい?」
「あーん? 別に構わないぜ」
 跡部クンがアトベとカルピンの二匹を抱えている写真をリョーマくんが待ち受けに登録します。フシュ~、と、海堂クンがまた独特の息を吐きます。彼もとっくに二匹を待ち受けにしているのです。
「羨ましいだろ。海堂」
「う……」
 冗談半分の跡部クンに図星を指された海堂クンが言葉に詰まります。跡部クンが手塚クンに向かってこう言いました。
「手塚、俺はお前とも打ち合いしたい」
「そうだな。油断せずに打とう」
「俺が先っス。俺が先に跡部さんに誘われたんスから」
 リョーマくんが妙な対抗意識を燃やします。

 ――忍足クンの家の近所のテニスコートでは道具の貸し出しをしていますが、このストリートテニス場にはそんなものはありません。今は跡部クンか樺地クンのラケットを貸してもらうしかありません。跡部クンがボールを持っていました。
「樺地、お前も打ちたいか?」
「自分は……見ているだけで……いいです……」
 樺地クンが訥々と喋ります。
「そんなこと言ってちゃ上手くなれねぇぜ」
「見るのも……勉強です……」
「ふぅん。樺地くんは偉いね。跡部も見習ったら?」
 不二クンが笑顔を跡部クンの方に向けます。大きなお世話だぜ……と跡部クンが呟きます。
「そうだね。俺も樺地さん見習おうっと」
 リョーマくんの中でも樺地クンの株が上がったようです。強面の海堂クンも笑顔らしきものを浮かべます。
「ふむ。油断しないところが立派だな」
 手塚クンも樺地クンを褒めます。跡部クンが嬉しそうに樺地クンの背中をどやします。樺地クンは今でも大きな体をしていますが、これからもまだまだ成長しそうです。
「良かったな。樺地。認められて。あーん?」
「……ウス」
「俺がカルピンとアトベの面倒を見てるで」
「お願いします。忍足さん」
 いつもだったらカルピンとアトベのことに関しては譲らないリョーマくんですが、余程テニスをしたいのでしょう。ラケットを構えます。
 跡部クンとリョーマくんのラリーを見ながら、忍足クンはアトベを、不二クンがカルピンをそれぞれ膝に乗せて撫でています。手塚クン、海堂クン、樺地クンもじっと二人の試合を観察しています。
 ――そのうち、カルピンがクークー眠ってしまいました。
「……カルピン、寝たよ」
 不二クンがカルピンの毛皮を堪能しながら言いました。一方のアトベは熱心にじっと見ています。カルピンとは対照的です。
「アトベは眠くないのかな」
「アトベはテニスが好きなんや」
 テレビでテニスをやっていても、アトベはテレビの真ん前に陣取って一生懸命見ています。
「そうなんだ。猫としては珍しいかもね」
「せやな。でも、いろんな猫がおるからな」
 不二クンと忍足クンはのほほんと茶のみ話を交わしています。忍足クンは、今の不二クンのことはあまり怖くありません。不二クンも怒ったら怖いのですが。
「俺様の美技に酔いな!」
 跡部クンが高らかに叫びます。綺麗なフォームです。リョーマくんも左で華麗に返します。――リョーマくんは左利きです。
「なぁ、アトベ。あいつらのテニス、美しなぁ」
「にゃう」
 忍足クンに同意するかのように、アトベは短く鳴きました。
「何だ? 誰か使ってる」
「おいおい、困るよ。シングルスなんて――ここはダブルス専門のコートだぜ」
「あーん?」
 跡部クンとリョーマくんの動きが止まりました。
「なら、ダブルスで行くか? お前らと」
「俺、やーめたっと。ダブルス苦手だから」
 リョーマくんがあっさりと引きました。リョーマくんはあくまでシングルスプレイヤーなのです。

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2018.04.08

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