忍足クンと一匹の猫 10

 連休が終わるので、四天宝寺のメンバーは大阪へ帰って行きました。謙也クンが、
「嫌や~。もっとアトベやカルピンと遊ぶんや~」
 と駄々をこね、金太郎クンにさえ呆れられていましたが。因みに、アトベとは忍足侑士クンが飼っている猫です。

「は~、うるさいのが帰ってもうたわ。これで水入らずで遊べるなぁ、アトベ」
「にゃあん……」
 アトベがつまらなそうに鳴きます。
「何や。アトベ。あいつらおらんでつまらへんか?」
「にゃあん……」
「ほな、わかったで。俺がたっぷり遊んでやるからな」
 忍足クンがアトベの頭を撫でていると――スマホが鳴りました。シューベルトの『魔王』です。――立海の幸村精市クンからです。面倒なことになりそうだなと、忍足クンは頭を抱えました。けれど、早く出ないと後が怖いです。
「ちょっと待ってな。アトベ。はい。忍足やけど――」
『ああ、忍足? 幸村だけど――』
 やはり電話の主は幸村クンでした。
「どないした。幸村」
『忍足、君、可愛い猫を飼ってるんだってね』
「ああ。アトベは世界一可愛い猫や」
 この気持ちは猫気違い――俗に言う猫キチでないとわからないかもしれません。皆、『自分の猫が一番!』なのです。
『動画観たよ』
「そりゃおおきに」
『で、物は相談なんだけど――』
「――何や?」
『あの猫譲ってくれないかな』
 ほら来ました。リョーマくんといい、幸村クンといい、ついでに榊先生といい、どうしてアトベをこんなに欲しがるのでしょう。理由はただひとつ。アトベが可愛いからです。忍足クンはそう思っています。それも決して身びいきだけではありません。
「嫌や。断る」
『勿論、タダとは言わないよ。それなりのお礼はさせてもらう』
「切るで」
『そうかぁ。困ったな。このままでは真田も病気になってしまう』
「真田が?」
『真田はすっかりアトベに夢中なんだ。昨日、彼の家に行ってみたら、アトベグッズが部屋中に飾られていたよ』
「うわぁ……引くわぁ……」
『でも、本物には敵わないと嘆いていたよ。このままじゃテニスが出来るかどうかも危うい』
「ほっとけ。俺は敵に塩を送るほど甘い男やないで」
『そうかぁ……俺も我ながら虫のいい頼みだとは思うんだけどねぇ……』
 幸村にしてはあっさりと身を引きました。
『そうだ! こうしよう! 今度の休みに俺達が東京に行くんだ!』
「……へ?」
『アトベを一目見たら真田も満足すると思うんだ』
「はぁ……」
 四天宝寺に続いて立海のメンバーが来るのかと思うと、流石の忍足クンも憂鬱になります。
 立海も一筋縄ではいかない選手ばかりです。赤目の切原クン、詐欺師の仁王クン……。
『君のところには俺と真田だけが行くから』
「ほんまか? いや、この間四天宝寺の奴らが来てごっつうるさかったもんやから。まぁ、氷帝からも人来てたけど……」
『跡部も来てたかい?』
「人間の方やな。いや、その時は来なかった」
『跡部がね、越前のボウヤに自慢されたんだって。忍足、君の家で開いたホームパーティー楽しかったよって。氷帝の連中と一緒にいたんだって?』
「あちゃ」
 忍足クンは自分の失敗を自覚しました。人間の跡部クンは仲間外れにされるのが一番嫌いなのです。
『俺、さっき跡部に電話したけど、すごぉく怒ってたよ』
「――せやろなぁ。せやけど、四天宝寺のヤツらはホテルに帰ったで」
 けれど、跡部クンはそんな言い訳に耳を貸す人物ではありません。忍足クンは一気に後悔しました。
『君、ちょっと猫のアトベに気を取られてるんじゃないかい?』
「うっ」
 言われてみればその通りかもしれません。暑くもないのに冷や汗が出て来たので、忍足クンはハンカチで拭きました。
『猫のアトベに構いっきりだと、そのうち人間の方の跡部に見限られるよ』
「うう……」
 確かに、既にその兆候は現れているのです。跡部クンは、アトベや忍足クンに対して文句を言うようになったのです。大したことのない文句ばかりだから、聞き流していたのですが――。
「幸村の言う通りや」
『じゃあさ、真田にアトベ譲ってくれるかい?』
「それはでけん」
 アトべはもう、忍足家にすっかり馴染んでいるのです。アトベも忍足クンに懐いています。
『うん。今のはダメモトで訊いてみたんだ――君の家に行ってもいいね。その代わり、跡部のことは何とか執り成してあげるから』
「ああ、好きにせぇ……」
 覇気がなくなった忍足クンの様子を変だと思ったのか、アトベがしきりににゃあにゃあ鳴きます。ぽふっと粉雪のような感触が忍足クンの腕に舞い降りました。アトベの手です。
『今のアトベの声? 可愛いね』
「ああ……」
『じゃ、土曜に真田と一緒に来るね』
 忍足クンとは対照的に、幸村クンはうきうきしているようです。
「じゃ……」
 忍足クンが電話を切りました。アトベが必死ですりすりします。動物なりに何か起こったことがわかるのでしょう。
「わぁん、幸村にはめられてもうたわー」
「にゃあう?」
 アトベの声が切なげです。
「幸村は越前と違って口がうまいからな。こういう時厄介なんや」
「にゃう」
「あいつの口車に乗ってアトベを譲ることになってしもたらどうしよう……いやいや。起こってもいないこと心配すな、忍足侑士。幸村に敗けなきゃすむことや……」
 アトベはぶつぶつ呟く忍足クンの手をぺろりと舐めました。
「アトベ~!」
 忍足クンはアトベをぎゅっと抱き締めます。アトベは窮屈そうに鳴きました。

「こんにちは。来たよ。忍足」
「あら、幸村くん」
 忍足クンのお母さんが玄関に来ています。忍足クンのお母さんは、テニス好きの親戚の撮ったビデオで幸村クンを観たことがあるのです。
「侑士、幸村くんよ。お友達もいるわよ」
「おん……」
 忍足クンは幸村クンと真田クン、そして――跡部クンの姿を認めました。
「よぉ来たな。お前ら……」
 忍足クンにはいつもの元気がありません。
「本当はこんなとこに来たくなかったんだどな……幸村と真田に誘われてな」
 跡部クンはかなりへそを曲げています。
「俺はアトベに会いに来た」
 真田クンが言います。
「あんな駄猫に俺様の名前をつけるな」
「駄猫やて?!」
「アトベを愚弄するとは許さん! キェェェェェェ!」
 忍足クンと真田クンが一気に怒りを爆発させました。
「言い過ぎや! 謝れ跡部!」
 忍足クンが叫びました。跡部クンは一瞬たじたじとなりましたが、
「俺よりもその猫の方が好きなんだろう?」
 と、負けていません。

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2018.01.08

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