忍足クンと一匹の猫 1

 忍足侑士クンは一匹の猫を飼っています。
 名前はアトベ。忍足クンが手縫いした氷帝ジャージを着ています。
「アトベー、散歩行こかー?」
「にゃあおん」
 アトベは散歩にうきうき。土の匂いをふんふんと嗅いでいます。
「あはは。犬みたいやな。アトベ」
 忍足クンは笑います。
 そこで、何かを思いつきました。
 ――せや、隠れたれ。
 アトベが夢中で土の匂いを嗅いでいる間、忍足クンは一本の大木に身を潜めました。

 アトベは飼い主の忍足クンを探しています。
 忍足クンは青みがかった長めの髪に丸眼鏡という人目につく姿をしているのですが、どうしても見当たらないのです。
 いない……。
 アトベが涙を一粒ほろりと流した時でした。
「ほぁら」
 狸みたいな猫が声をかけてきました。
「どうした、カルピン」
 帽子の少年もいます。
「あ、可愛い猫。――確かアトベだよね。ねぇ、子猫ちゃん。俺達と一緒に遊ばない?」
「にゃあああああん」
 アトベは帽子の少年とカルピンの元に駆け出して行きました。

 その頃忍足クンは――
「アトベのヤツ、どこ行きよったんや……」
 自業自得とはいえ途方に暮れていました。
「ほあら」
「おっ、カルピンやないか。――あ、アトベ」
「にゃんにゃん!」
 アトベはどうやら勝手に姿を消した忍足クンに怒っているようです。
「ごめんな~、アトベ。ほら、帰ったら猫缶やるから」
「にゃあん!」
 アトベは機嫌を直したようです。意外と単純です。
「ちょっと、忍足さん、こんな可愛い猫をほっぽっとくなんて、猫さらいにでも遭ったらどうするんです」
 毒舌の少年。名前は越前リョーマくん。帽子がトレードマークの少年です。カルピンの飼い主であります。
「すまんな~」
「すまんで済めば警察は要りませんよ」
「ほあら~」
 何とカルピンまで参戦して来ました。
「アトベが要らないならいいですよ。俺ん家で飼いますから」
「それは困るで。アトベは俺の猫や」
 リョーマくんは含み笑いをします。
「だったら、もうアトベを一人にしないことですね」
「一匹の間違いやないの?」
「細かいことは気にしないの」
「せやな。まぁ、アトベが無事帰って来て良かったわ。ほんま、ごめんな、アトベ」
「にゃあん」
 アトベが忍足クンの足にすりすりします。
「ねぇ、アトベ。うちの猫になる気はない?」
「リョーマ! お前何言うとるんや!」
「だって、アトベ可愛いんだもん」
 確かにアトベは可愛い――忍足クンの贔屓の引き倒しばかりでもなかったようです。
「やらん、アトベは俺のモンや」
「その台詞、跡部さんの前で言える?」
「うっ……!」
 忍足クンは絶句してしまいました。
 アトベは彼の友達跡部景吾クンから名づけられた猫なのです。
 忍足クンがアトベを可愛がるのも、ひとえに跡部クンに似ているからで――。
「まだまだだね」
 リョーマくんは容赦がありません。
「つまりヘタレと言いたいんやな」
「ま、そう捉えてもらっても構わないんだけど」
 事実上の肯定です。
「あーん。アトベ~。こんな冷血人間にやるのはいやや~」
「だったらもっと可愛がることですね。でないと盗っちゃいますよ」
「越前ー! ほんまもんの猫さらいはお前や~」
「失礼な。俺はカルピンとアトベ以外の猫に興味はありません」
「何さらっとアトベも入れとんねん! カルピンだけで満足せえ!」
「俺はカルピンを孤独の淵に追いやったりしないもんね」
「こ、孤独の淵……そないな酷いこと……ただちょっとおどかそ思って隠れただけで……」
「その最中に保健所に連れていかれたらあなたの責任だったんですよ!」
 リョーマくんがびしっと忍足クンに指を差します。
 二つ年下の少年に忍足クンは反論できません。
 困ったヤツだが言うことは合っとる――。
 本物の跡部にそっくりやな、と忍足クンは唸りながら思いました。
「ま、今回は見逃します。今度こういうことがあったら家族に連絡してアトベは俺が引き取ります」
「ええ~?!」
 無茶苦茶な意見です。忍足クンは、これからはアトベから目を離さんとこ、と思いました。
 忍足クンもアトベが嫌いな訳ではないのです。最愛の存在の名前をつけたぐらいですから。
 アトベがつぶらな瞳で忍足クンを見ています。
「アトベ~。今日は悪かったで~。さ、一緒に帰ろうな~」
「にゃあうん」
「ちぇっ」
 リョーマくんが舌打ちをしました。けれど、それを忍足クンは気のせいだと片づけました。
「ほあら~」
 カルピンも別れを惜しむように鳴きました。

「さぁ、アトベ。ゴシゴシしような~」
「にゃん」
 アトベはお風呂が好きなようです。こういうところも跡部に似ています。
 もしもこれが本物の跡部だったら――。
 忍足クンも健全な男子。つい想い人の裸を想像してしまいます。
「あ、あかん……鼻血が出てきてもうた」
「――にゃあん!」
 アトベが怒りを込めたように鳴きます。どうやら、この忍足クンは一回逮捕された方が良さそうです。
「はぁはぁ、幼女と跡部は俺にとっては鬼門や」
 新たに鼻血を出さないように忍足クンは一生懸命我慢します。
「このアトベで満足しないとなぁ……なぁ、アトベ」
 アトベは優しく毛皮を洗ってもらってゴロゴロと喉を鳴らします。
 愛してるで、アトベ――跡部本人には滅多に言えないその台詞を忍足クンは心の中で猫のアトベに向かって囁きました。

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2017.10.18

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