俺様嫌われ中 14

「ええっ?! どうしてですか!」
「どうしてって訊きてぇのは俺の方だぜ、日吉。手塚はもう青学の部長じゃない」
「でも……跡部さんが参加するのに……」
「俺の方が無理を言っているんだ」
「そうですよね……まぁ、俺としては下剋上ができれば充分なんですけど」
 日吉が何故か苛々したように紅茶を飲み干す。その紅茶はそんな飲み方では勿体ないぞ。せっかく樺地が淹れてくれたのに。
「旨いお茶だ。ありがとう。樺地君」
「ウス」
 手塚の方が余程紳士だ。でも、『樺地君』て違和感バリバリじゃねーの。
「参加できず済まない。だが、その日は父とドイツ行きの打ち合わせをするんだ」
 手塚が言った。そうか……ドイツか……この男にはぴったりだろうな。俺もドイツにはしょっちゅう行ってる。手塚がこの国から離れるのだと思うとちょっと寂しくはあるが――。
「わかった。行ってこい。俺もお前に負けねぇから」
「ありがとう」
 俺はモーツァルトをBGMにかけた。
 静かな音楽の中で、俺達は優雅に茶をたしなむ。日吉は部活があるから、と出て行ってしまった。榊先生にも俺のことを相談するらしい。
 頑張れよ、手塚。お前には不可能はない。
 手塚。それに越前。青学の中では特に身近に感じられるのはこの二人だ。
「八束のことは俺が何とかする。お前は心置きなくドイツに行って来い」
「……わかった」
「それからリョーマ……越前のことだけどな」
「越前がどうかしたか?」
 俺様が今から言うことは取り越し苦労かもしれない。だけど――。
「越前は八束に気をつけた方がいいかもしれない」
「――ん」
 特に疑問に思うような顔もせず、手塚は頷いた。
「俺様がこんなこと言うの、何とも思わねぇのか?」
「別に。越前は俺のところにたまに連絡を入れるが、大半がお前のことだった」
 そうか――それはそれで嬉し……ん?
「こうなることはわかっていたさ。越前はお前に心を奪われている」
「ははは! 冗談きついぜ、手塚ー!」
 手塚にユーモアの才能があるとは知らなかった。いつも仏頂面の癖して面白いんだからな。
「何だ……知らなかったのか?」
「何が」
「越前が岬にこういうことを言ったらしい。――跡部が越前とデキている。あの噂流したの俺なんスよって」
「はぁ?」
 越前まで俺様を笑かせやがる。それにしてもわからないのは手塚がそれを本気にしているところだ。
「新手のルーマー・ポリティクスじゃねぇの? 越前がそんなことする意味がわかんねぇけどな」
「或いは越前の願望か――」
 手塚が眼鏡の奥から凝視する。
「おい、いい加減冗談やめろよ。越前は俺のことなんか何とも思ってないはずだろう?」
 ――そのはず、だよな。
 越前には彼女がいたはず。竜崎桜乃とかいう、バアさんとは似ても似つかない、三つ編みの似合う可憐な美少女が。
 おい、越前。女泣かすんじゃねぇぞ。桜乃ほったらかしにするから、そんな噂が流れるんだ。
 確かに越前は顔は可愛いが生意気だしチビだし、およそ俺の恋愛の圏内に入るようなヤツじゃない。
 でも――跳躍するあいつを見るのは楽しかった。
 あいつはテニスコートでは一番生き生きするんだ。俺の髪を刈った時も生き生きしていたと忍足が言っていたが、俺はその顔は見ていなかった。――気絶してたからな。
 越前はテニスを忘れていたこともあったが、あいつにはテニスコートがよく似合う。ラケットを持たない越前なんて越前じゃない。
「多分、あれだ。ほれ、俺様に対する嫌がらせだ」
「――越前がお前に嫌がらせをする理由がどこにある」
「俺様が男にも女にもモテモテのいい男だからだ」
「……それでは八束と同じではないか。いい加減真面目に考えないと怒るぞ。お前だって本当はわかってるんだろう? ――越前がお前を好きなことが」
 俺様は紅茶を気管に詰まらせ、しばらく噎せた。
「ウス、ウス」
 と、樺地は俺様の背中をさすってくれた。
「何であいつが俺様に惚れるんだよ。まぁ、気持ちはわからなくもないが」
「いつぞやな――テニスを俺に返してくれてありがとうと跡部に伝えてくれ、と越前が言っていた。機会があったら伝えておく、と約束しておいた」
「ああ……あいつが軽井沢行った時な」
「お前のヘリでなきゃ全国大会の立海戦には間に合わなかっただろう。お前のおかげだ。跡部」
 こいつ――時々直球かましやがる。越前もそうだ。
「俺様に勝っといて立海のヤツらに負けて欲しくなかったからだよ」
「――越前も関東大会の時俺に同じことを言っていた。『俺に勝っといて負けんな』――と。お前ら実は気が合うんじゃないのか?」
「そうかねぇ……」
 しかし、関東大会の時は手塚は俺に負けた。
 それに――越前は実は俺の同類なのではないかと気にはなっていたのだ。反発ばっかしてたけどな。
 でも、俺は越前と戦いたかった。草試合でも何でもいいから。
 昔は、こんなチビ相手にする気もないと思っていたのに――いつの間にか越前と勝負することを楽しみにしている。そういう意味では、俺も越前が好きだ。
 本当の自分の心を知ることになるのは、もう少し先のことである。
 ――榊先生が来た。
「やぁ、手塚君」
「こんにちは。榊先生」
「久しぶりだね。前に病院でも会ったっけかな? ほら、君のチームメイトの掘尾君とうちの樺地が怪我をして同じ病院に運ばれて――」
「ありましたね。――堀尾は元気なようですよ。榊先生。樺地君もお元気なようで何よりです」
「ウス……自分は、もう大丈夫です」
「堀尾もリハビリは順調です。気にかけてくださってありがとうございます」
「だが、今度は跡部が大変なことになってしまって――」
「先生!」
 榊が目元を拭った。涙を拭いたのだろう。
「榊先生、俺はそんなやわじゃないです」
「だろうな。だが、跡部家には敵も多い。――今日、透から連絡があった」
「ああ、透叔父さん」
「景吾を救ってやってくれ、と。――あいつ、今でも私をタロやん呼びするんだ」
「そうみたいですね」
 実際に聞いたことのある俺様はつい笑ってしまった。手塚は何を考えているのかわからない。樺地もいつもと同じ茫洋とした顔だ。
「笑うな跡部。学校でのお前のことに関しては私に一任すると、あいつが言ってきた。お前もまさか生徒に手を出すことはないだろう、と――」
 出されかけたことはあったけどな。
 ――でも、榊先生は何もしなかった。俺を抱き締めて泣いて「好きだ」と言っただけだ。
 透叔父は俺に似ているらしい。もしかして榊先生の初恋は透叔父だったりするのかな。
 頭の中がぐるぐるして来た。榊先生にも透叔父にも青春はあったんだ。でも、中年になったおっさん同士の絡み合いなんて見たくねぇ。例え榊先生や透叔父のようなナイスミドルでもだ。
「跡部。日吉から聞いた。今度の練習試合にはお前も出るそうだな」
「はい。引退した身で我儘言ってすみません」
「いいんだ。お前の気晴らしにもなるだろうしな」
 いいんだけど……榊先生は少々俺には甘い。前は俺がテニス部部長だからとそんなに気にしていなかったが――。
 透叔父の言う通りだったらどうしよう。
 モーツァルトのレコードが終わった。
「だいぶ長居してしまいました。それでは、俺はこれで」
 手塚は帰って行った。
 ドイツは俺様にとってはそう遠いところではない。いつでも会えるさ。
「榊先生、俺、今から病院行ってきます」
「その方がいい。少しでも傷が癒えるように祈っておくよ」
 実は、昨日行くべきだったのだ。でも、俺には友人達との掛け合いの方が楽しかった。それに、ミカエルに手当てしてもらったから――。

次へ→

2016.10.27

BACK/HOME