いつか思い出になる日が来ても 9
私もだんだん氷帝学園に馴染んで来た。――が、この頃、跡部さんの様子がおかしい。
「なぁんか、俺らを必死で遠ざけようとしているみたいな気がすんだよな。この頃の跡部は」
――とは宍戸君の言。
そう――彼は一人でいることが多くなった。
「クソクソ。俺らには何にも出来ないって言うのかよ!」
向日君も怒っていた。
跡部さんは悄然としていた。そんなの、彼には似合わないのに。――私は比較的跡部さんに好意的なグループと仲良くしていた。
「おい、山本。――ちょっと屋上まで来い」
「え? あ、はい……」
跡部さんは私に用があるらしい。何だろ。もしかして告白かな。だと嬉しいけど。
だが、彼は言った。
「山本。俺様から離れろ」
「――え?」
「俺様だってこんなことは言いたくない。いつも俺様の力になってくれてありがとな」
もしかして――八束君に関わること?
八束君が跡部さんを追い詰めている――水面下でそんな噂が流れていた。
「あ、私――跡部さんのこと、友達だと思ってる……ずっと思っているから」
跡部さんはすたすたと行ってしまった。私の頬からはすーっと涙の滴がこぼれた。
「跡部さん!」
私が教室に行くと、跡部さんがクラスメートに囲まれていた。
「ごめん、遅くなって。――何かあったの?」
「山本さん! ――跡部さんに襲われたってほんと?」
「――え?」
何それ!
「私、そんなこと知らない……されてないし!」
その時、女生徒達のひそひそ言う声が聞こえた。
(脅されてるんだわ。可哀想に)
(跡部さんだったらやりかねないかも――ほら、このことは誰にも言うな、とか)
「何とか言えよ! 跡部! おらぁ!」
「巌君!」
跡部さんの傍に行こうとしたらクラスメートに邪魔された。
「山本さん、放っておきなよ」
「そうそう。自業自得よ」
違う――跡部さんは無実だ……。
跡部さんが友達に暴力を振るわれてるのに――何も出来ない。
跡部さんが私を見てにこりと笑った。しかし、次の瞬間険しい顔をした。
「ほら、山本さんに謝りなさいよ」
「いや、謝るだけじゃ足んねぇな。土下座しろよ」
「誰が……んなことするかよ」
「ああ?! よほど制裁受けたいらしいな」
「ぐっ!」
巌君の一撃が腹に入ったらしい。
「跡部さーん!」
私は喉も涸れよと叫んだ。けれど――無駄だった。皆、熱狂していた。やれやれー、だの、ざまぁみろだのと言う声が飛び交う。集団の力には跡部さんも敵わないらしい。今、跡部さんに暴力を振るっている巌君だって普段は明るく面倒見の良い生徒なのだ。
「さ、山本さん、行きましょ」
「見損なったわ、跡部さん。――山本さん、保健室行こう? それとも――家に帰る?」
「……私、家に帰ります」
こんな学校に一時もいたくなかった。
「じゃ、私達が送ってく?」
「一人で帰れるから――」
……何だか熱っぽい。一刻も早く、この学校を出たかった。
「山本さん、早退するって」
「まぁ、酷い目に遭ったからねぇ」
「私、何もされてない――」
そりゃ、跡部さんに関わるな、とは言われたけど――。
私は尚も『送ってくよ』と心配そうに見つめる目を振り切って一人で外へ出た。クラスメートの心配も今は鬱陶しいだけ。
越前君……。私はあの小さい少年のことを思い出していた。
どうしよう。越前君に言うべきだろうか……。私はスマホを手に取って――やめた。
だって、越前君に余計な心配かけたくないもの。
きっと、跡部さんも同じ気持ちだったと思う。私は初めて跡部さんの気持ちを知った。
猫のお墓に差し掛かった。花が供えてある。私もそこで祈った。
猫ちゃん、どうか、跡部さんをお救いください――。
もしかしたら、と思ったの。猫ちゃんの魂が助けてくれると思ったの。
――大丈夫だよ。
そんな声が聴こえたような気がした。空耳かしら。
でも、それを信じることができたなら――私はふらふらと家へ帰って行った。
心因性発熱。俗にいう大人の知恵熱である。
私はそんな状態だと言うのだ。
お父さんもお母さんも心配してくれた。私は、跡部さんのことをお母さん達に話そうかどうか迷ったけど――結局、跡部さんの名を伏せて話した。
「そうか……大変だったな。優子の友達も」
「その友達って、もしかして跡部さん?」
うっ! お母さん、何でわかるの?
私の様子で、悟ったらしい。お母さんが言った。
「わかるわよ。何年あなたのお母さんをやって来たと思ってるの」
「う……」
私は泣いた。そして、気付いた。襲われたと噂されるより、跡部さんに『俺から離れろ』と言われた時の方が遥かにショックであったことを――。
私はまた逃げてしまった。もう逃げないって決めたのに――。だけど、もう逃げたくない。
お父さんとお母さんを部屋から出して、跡部さんに電話をした。
「もしもし、跡部さん?」
『――山本』
跡部さんは出てくれた。
『悪いな……とんだことに巻き込んじまって……電話にも出ねぇつもりでいたけど……』
跡部さんの声は掠れていた。私のことは気にしないでいいのに……。
「私は平気。跡部さんは?」
『ああ。――元テニス部のダチどもなんかが俺の面倒見てくれてる』
「そっか……良かった」
『元気か? 山本』
「うん。ちょっと熱あるけど。跡部さんの声聞いたら元気になっちゃった」
『――ありがとな。山本』
「ううん。こっちこそ――電話に出てくれてありがと」
『越前もいるぞ』
「そっか――越前君に宜しくね」
『越前と話さねぇの?』
「越前君とは――改めて話すから」
『そっか。熱があるんだったな。じゃ、養生してちゃんと治せよ。またな』
ツー、ツー、ツーと電話の切れた音がした。
跡部さん……。
これは、確かに私の初恋だったんだ。けれど――跡部さんには本命がいる。跡部さんには幸せになって欲しい。願いを込めて、私は自分のスマホに口づけした。
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2017.4.6
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