いつか思い出になる日が来ても 7

 トントントン。お母さんのノックの音だ。
「ごめんね。優子、さっきは……」
 いいよ、もう。
 ――お腹が空いて来た。でも、あんな啖呵切っちゃった手前、素直になれない……。
「御飯、持ってくるからね」
 お母さんは私の気持ちを汲んでくれる。いいお母さんだと思う。だけど、私、逃げるばかりじゃいけないから――。
 きぃー、と扉の軋む音がする。
「優子!」
「お母さん!」
 私達は抱き締め合っておんおん泣いた。事情を知らずにこれを見た人がいたら妙に思うかもしれないけど――。
「お母さん、私、ダイニングで食べる」
「そう? お父さんも話を聞きたがってるわ。私もお父さんに手短に話しておいたから」
「――ありがと」
 でも、あの心配性で過保護な父のことだ。何を言われるか心配なところがある。
 まぁ、また跡部さんと付き合っちゃダメって言われたらこんな家出てってやるけど。

 ダイニングにはお父さんがいつもの席に陣取っていた。老眼鏡かけて新聞読んでる。いつもの光景。
「優子か……」
「はい」
 私は何となくおずおずと言った。
「そこに座りなさい」
「はい」
 或いはお父さんの方から私に出てけって言われるかなぁ……うーん、考えも寄らなかったけど。
「済まなかった……」
 何と! お父さんが謝った!
「お前は、青春学園にいたかったんだよな」
「――出来れば」
 でも、私は転校の話に乗っかって青学から逃げてっちゃった。
「今からでも青春学園、戻る気あるか?」
「ううん。氷帝でも友達出来たし」
「わかってる。跡部君と友達になったらしいな」
 お父さんが眼鏡を直す。
「あ、あのね、お父さん。跡部さんいい人よ。どんな噂が流れてるかしらないけど――」
「そんなことはどうでもいい」
 お父さんがあっさりと遮る。
「私も跡部さんのことは知っている。あ、父親の方な。少々ぞろっぺえだが、いい人だったよ」
「跡部さんのお父さん……」
 ちょっと会ってみたいかも――と思った。
「跡部君を自慢の息子だと言ってたよ。私にとっては――お前が自慢の娘だ」
「どうしたの……?」
 話がどこに落ち着くのか全然見えないんだけど。
「まぁ、それはとにかく」
 お父さんがごほん、と咳払いをした。
「跡部君と猫のお墓作ってたんだってな」
「……うん」
 服汚して、と怒られるかな。まぁ、そんなの怖くないけど。
「それでこそ私の娘だ。それに、男を見る目もあるようだし」
 男を見る目……? 何それ、跡部さんのこと?!
「跡部さんはそういうんじゃ……!」
「うんうん。優子は奥手だからな。噂の件がちと厄介だが、それでも、初恋の記憶は消えないだろう」
 初恋……私が……?
 でも、跡部さんは男女問わずにファンが多くて――私とは釣り合わない。
「お母さんね。安心したのよ。今まであなたがあまりにも自分のこと主張しなかったものだから」
「あ、あのね……」
 私は言葉にならない。確かに跡部さんは好きだけど……恋とかそういうんじゃなくて――。
「あ、汚れた制服はクリーニングに出しておくわね」
 お母さんは一転してるんるん。
「食べないのか?」
「――いただきます」
 私は席に着く。
 それにしても――ほっとしたんだ。跡部さんとのことをお父さんとお母さんがわかってくれた。でも、あくまで友情だからね。越前君や他の皆を敵に回す度胸は、私には、ない。
 私は恋をしたことがない。恋がどんなものかもわからない。跡部さんは私には上等過ぎる。
 初恋の記憶は消えない。それは、いつか、思い出になる日が来ても――?
 私は食事を終えると宿題をして予習復習をしてお風呂に入ってパジャマに着替えて歯を磨いて寝た。いつもと同じ一日。
 だけど、いつも通りに感じないのは、跡部さんがいるからかな。跡部さん、越前君、竜崎さん、みんな――お休み。

 私は朝早く通学路を歩いていた。猫ちゃんのお墓参りである。
 あ、誰かいる。
「――山本」
 跡部さん……!
「私、先越されちゃいましたね」
 そう言って私は笑う。
「そうだな。――朝のランニングも兼ねてだけどな。俺は」
 跡部さんはジャージを着ていた。跡部さんて、私服は結構センス悪いな……。まぁ、かっこいいからいいけど。
 何着ても様になる人っているよね。神様って不公平だと思うけど。
 跡部さんはしゃがんで十字架の前で手を組んでいたのだ。私も隣で手を組む。
 天国で幸せになってね。一歩運命が違っていれば、山本家の猫になっていた猫ちゃん……。
「なぁ、妙なこと考えたんだけどよ」
「なぁに?」
「この猫さ――もしかしたら俺の家の猫になってたかもなぁ、と思ってたんだ」
「私も同じこと考えてた!」
「そうか? 気が合うな、俺達」
「でも、跡部さんだったら血統書付きの猫とか飼ってそうじゃない」
「そう決めつけたもんでもないぜ。うちの母は飼い主のいなくなった猫の世話をしているんだからな。ま、実質は使用人達が面倒見てるんだけどな」
 へぇー……その話が本当だったら、私、跡部さんのお母さん尊敬しちゃう。
「俺の叔父も猫キチだしな」
「あ、お父さんも言ってた。猫好きに悪い人はいないって」
「じゃあ、猫好きのテロリストやマフィアなんかはどうなんだよ」
「う……彼らにも猫を愛でる資格はあるだろうから……」
 跡部さんはにっと笑った。そこで私は揶揄われたことを知った。
「お前って面白いな。山本」
 こっちは全然面白くありません。
「――がいなかったら」
「え?」
「――いや、何でもねぇ。単なる戯言だ」
 そう言って跡部さんは立ち上がる。
(――がいなかったら)
 さっきの言葉が耳にこびりついて離れない。跡部さんは誰のことを言ってたんだろう。友人? 恋人? 家族親戚?
 気が合うし、話も面白い。でも、それだけ。私達はそれだけ。
 それでいいと思うんだ。私は。これもいずれいい思い出になっていくはずだもの。心が少し痛んだのは気のせいだろう。

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2017.3.24

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