いつか思い出になる日が来ても 1

 猫が死んでいた。アスファルトの上で。血を流しながら。車に轢かれたんだろう。
 私は見なかったふりをして通り過ぎようとしていた。
 ――ふと、カップルの方に目が行った。二人は目を逸らした。
 私は、放っておけなくなって、猫の死体を抱えて道路の向こう側まで運んで行った。そこは林だった。
 死体から血がついても、私は気にしなかった。
 この猫のお墓を作ってあげよう。学校に遅刻しても気にしない。――流石に転校初日だから問題はあるかもしれないが。
「――あ」
 どうやって土を掘ろう。手で大丈夫かな。そんなことを考えていた時だった。
「――おい」
 低い美声が聞こえた。声の方を見遣って、私は息を飲んだ。――綺麗な人。
 男だけど、顔立ちは整っているし、金茶髪は光輝いていた。それに、青みがかった瞳は意志の強さを思わせる。
 制服からして――氷帝学園かな。
「何やってんだ?」
「あ、あの――この猫のお墓を作ろうと思ったんだけど……」
「――縞模様の猫か……」
 背の高いその人は、何となくほっとしたようだった。
「黒猫じゃなくて良かった」
「どうして?」
「ダチがな――以前黒猫助けたんだよ。だから、黒猫でなくて良かった。――猫が死んで良かったも何もないけどな」
 ああ、なるほど。
「ちょっと待ってろ」
 男の人はそこを後にした。程なく、戻って来た。
「これ使え」
 それは園芸用のスコップだった。
「え?」
「花壇の傍に置いてあったのをさっき俺が見た。ちょうどいいから貸してもらおう」
「いいのかな」
「忘れる方が悪い。それに、後で返しておくから」
「そうね……」
「そこどけ」
 男の人が穴を掘る。――猫一匹が入るくらいの穴が出来た。
 私達は猫を埋める。
「後で十字架でも作ってやっか」
 男の人は目印の木の棒を立て、そこに手を合わせた。何となく私がぽかんとしていると――。
「お前は祈らねぇのか?」
 と訊いて来た。
「あ、はい……」
 私は男の人の隣りで祈った。その人からはいい香りがする。薔薇の匂い――だろうな。
 ごめんね、猫ちゃん……。
 このお墓はこの男の人が作ったようなもんだ。私は何もしていない。
 可哀想だね。猫ちゃん。車に轢かれた時、痛かっただろうね。
「お前、優しいな」
「――え?」
「泣いてる」
「あ、これはその――」
 いけない。感極まって涙が出て来たらしい。私は目を擦った。男の人が手を取った。
「ばい菌入るぞ――お前、この猫の墓作ろうとしたんだろ」
「――うん」
 私は何となく照れくさくて俯いていると、男の人はぎゅっと手に力を入れて、それから離した。
「氷帝学園だろ? その制服」
「あ、これは……」
「血で汚れてるぜ。一旦着替えた方がいいだろ。学校に来い。着替え用意してやる」
「いえ……着替えだったらうちにもありますから――」
「そうか。その方がいいか。じゃあな。ああ、そうそう。俺は中等部三年の跡部景吾だ。お前は?」
「山本優子。三年です」
「タメか。宜しくな。同じ学校で嬉しいぜ」
 跡部さんか――中三なのにしっかりしているし、大人びているから高校生と言われたって信じただろう。
「家は近くか? 遅刻しそうなら先生には話しといてやる。クラスは?」
「あの――確かA組だって聞きましたけど」
「A組か。同じクラスだな。でも、お前みたいなヤツ、見たことねぇぜ?」
「転校してきたばかりだから……」
「どこから?」
「青春学園から」
「青春学園――か」
 跡部さんは渋い顔になった。あ、あのニュース知ってるんだな。
 私は悲しくなった。何故なら、青春学園から無理矢理に転校させられたのはあの事件があったせいなのだ。
 青春学園で虐めがあった。
 それを聞いたのはテレビからで――父も母もそんな虐めのある学校に娘はやれんと猛反発した。うちの両親はちょっと過保護なのだ。
 虐められていたのは、男子テニス部の越前リョーマ君と堀尾聡史君。
 堀尾君とは話したことなかったけど、越前君とは面識あったのよね――。
 二人とも可哀想。もう後何ヶ月かしかないんだから、私も中等部は青春学園で卒業したかったんだけどね。高校は別のところに行くにしたって――。
「何だ? また泣きそうだぞ」
「ん? 何でもないんです――」
「おい。同い年なんだから、敬語なんか使わず普通に話そうぜ」
「――うん」
 跡部さんには有無を言わせぬ何物かがある。きっと偉い人の息子かなんかなんだろうな……。
「んじゃ、俺は行くぜ。――このスコップを置きに行ってくる」
 跡部さんはスコップを携えてその場を後にした。

「優子!」
 母が血相を変えた。――まぁ、無理もないよね。
「どうしたの? そんなかっこで――もしかして! アンタ虐められたんじゃないでしょうね!」
「違うわ、お母さん。今まで猫のお墓作ってたの」
「猫の? 何でまた――」
「死んでたから、可哀想に思って……そのまま通り過ぎようかなとも思ったんだけど――」
「はぁ~」
 母はへなへなとその場にくずおれた。
「びっくりさせないでちょうだい。その優しさが優子のいいところなんだけど」
「跡部さんと言う人と一緒にお墓作ってたの」
「跡部さんて――もしかして跡部景吾さん?!」
「うん」
「優子――知らなかったの? その人はね、氷帝学園ではかなり有名らしいのよ。何でも跡部財閥の御曹司だって」
「財閥は解体されたんじゃなかったの?」
「私もその辺はよくわからないんだけど――とにかく、その人にはあまり逆らわないようにね」
「うん……」
 そんな財閥の御曹司がひょこひょこ出歩いていいもんなんだろうか。車でご送迎がデフォなんじゃない?
 でも、今日はいい天気だからね――御曹司でも散歩がてら歩いて学校へ行こうと考えても不思議じゃないかな?
 まぁ、いいや。跡部さんのことはよく知らないんだし、考えても仕様がない。
「着替えある? お母さん」
「あるわよ。今持ってくるからね」

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2017.2.8

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