ゲンイチローくんの逆襲 1

「喉乾いたな。――今日は暑いね」
「幸村……引退式で疲れたろう。喉乾いたならこれ飲め」
「ありがとう。優しいね。真田は」
 幸村精市は案外素直に従った。
(だが、これでもまだ俺のことを信じていられるか――)
「おやおや。俺の体、随分縮んだねぇ」
 幸村は動揺を見せない。
 何でそんなに落ち着いていられる? 幸村。俺は――。
「お前は俺のことを疑わないのか?」
「ああ――真田の仕業かい。それなら納得」
 真田弦一郎は幸村の冷静さに腹が立ってきた。因みに幸村に飲ませたのは乾汁。体が小さくなる効き目を持つ。幸村が前に真田に使用したやつだ。
(俺からの逆襲だというのに、こいつはちっとも驚かない)
 真田はもう一度幸村に訊いた。
「お前は、ちっとも堪えていないみたいだな」
 自分はあんなに取り乱したというのに――真田は忸怩たる思いを抱いた。
「だって、知ってたもの。君がこう来る可能性は」
「何だって?! ――お前、跡部のようにインサイトが使えたのか?!」
「インサイトが使える訳ではないんだけどね――実は青学の不二から連絡があってさ」
 青学の不二――青学の魔王と呼ばれる男である。中性的な外見であることも幸村に似ている。
「不二が喋ったのか?!」
「うん。――『立海の真田があの特別製の乾汁を注文したよ』と、それだけ」
「むぅ……不二のヤツ……」
「ま、いいや。俺はこの姿で楽しむことにするよ。着替えはない?」
「う……あることはあるが……」
「じゃあそれ貸して」
「俺が選んだものだぞ」
「何? 剣道着でもあるの?」
「剣道着はないが、着物ならある。女物はないがな」
「真田……俺は別段女物が好きな訳じゃないんだよ。ただ、あの時は真田に着せたら面白いかなと思って」
「早く着ろ!」
 幸村は手早く着物を着つけた。赤い羽織に紺色の袴。よく似合っている。幼児がきりきりしゃんとした格好をしているようで目に快い。
「ありがとう、真田」
「い……いや、特に礼はいい。その……」
「復讐だったんでしょ? わかってるよ」
「うむ……」
 真田は口を閉ざしてしまった。――それからしばらくして言った。
「写真――撮っていいか?」
「どうぞ」
 俺だったら嫌がったところだがな――真田には幸村の思考回路が上手く掴めない。
「お前は――悔しいとかないのか? 俺に騙されて」
「全然。騙されたとも思ってないよ」
 幸村が首を振る。どうも、幸村の方が一枚上手なようだ。
 部室に立海大テニス部のレギュラーがやって来た。三年は最後の名残りを惜しみに来たのだろう。「いつでも遊びに来てください」と後輩達に泣かれた。
「おや、今度は幸村君が小さくなって――」
 と、柳生比呂士。眼鏡を直しながら言う。
「幸村部長も可愛いっスね」
 切原赤也もいつも通りだ。
「柳生に切原――大騒ぎはしないのか? この間みたいな」
「しねぇもん。もう慣れたし」
「ピヨッ」
 続いて入って来た仁王雅治が意味不明な言葉を発する。
「今度は幸村が子供ナリか」
「ああ、仁王。聞いてくれ。真田が俺に復讐して来たんだ」
「それでその姿ナリか――副部長も案外復讐方法のレパートリーが少ないナリ。俺だったら他に十は考えつくぜよ」
「俺は、仁王だけは敵に回さないようにするよ」
 幸村がくすくすと笑った。
「――ふふ、弦一郎にしてはよくやったと言うべきか」
 柳蓮二が含み笑いをする。
「はーい。じゃ、写真撮影会をしまーす」
「赤也……」
「いいっしょ? 副部長。幸村部長は副部長のもんなんだから。俺らにも萌えのおすそ分けしてくれって」
「む……」
 確かに幸村は可愛い。真田より可愛いかもしれない。別に自分は可愛くなくてもいいと真田は思うのだが。
「幸村部長も可愛かったんスね。副部長だって可愛かったけど」
「たるんどる! 切原! 男が可愛くてどうする!」
 そして、真田は「キエェェェェェ!」と叫んだ。
「――俺、小さい頃の副部長の方が好きっス」
「まぁ、そう言うな、赤也。俺だって子供の頃の真田が好きなんだから……」
 幸村はちっともフォローする気がないらしい。
「お前ら、素振り二倍!」
「えー? 撮影会は?」
「たるんどる!」
「まぁまぁ。素振り二倍は真田の嘘だよ。俺達ももうここのテニス部じゃないし――赤也は終わったらいいよ」
「やった!」
 幸村から許可が下りたので赤也が嬉しそうに諸手を挙げる。――丸井ブン太とジャッカル桑原がやって来た。
「何だ? 今度は幸村くんが小さくなってら」
「――俺、頭痛くなってきたぜ。この部辞めたい……てか、もう引退したんだっけな……」
 のほほんとしているブン太と頭を押さえているジャッカル……対照的な二人である。
「ジャッカルさん、大丈夫ですか? 私、頭痛薬持ってます。私も常用しているもので」
 柳生が言う。そういう問題ではないのだろうが――柳生もいろいろと苦労しているのかもしれなかった。
「水ナリ」
「サンキュー、仁王。あ、もしかしてあの件の乾汁が入ってるのか?」
「バレたナリか」
「うう……俺を小さくしてどうするつもりだったんだ……」
「別に。ジャッカルを子供にしても――まぁ、それはそれで面白いナリが。それはただの水じゃ。安心して飲んでいいぜよ」
「本当か――?」
 しかし、ジャッカルは仲間を信用することにしたらしく、薬を水で飲んだ。――何も起こらなかった。
「ふむ……ジャッカルが飲んだのはただのミネラルウォーターである確率100パーセント……」
 柳が分析する。
「少しつまらんな……」
 そう続けて呟く。
「つまらなくてもいい! 俺は真面目にテニスがしたいんだ! ――高等部に期待するしかないか……」
「む、ジャッカル……俺も同じ意見だ」
 真田がジャッカルの肩を抱く。どうやら意気投合したらしい。
「うーん……萌えんナリ」
 仁王が口元を押さえながら小声で言う。
「ジャッカルがちび真田の肩を抱いているところなら萌えるのか?」
「ブンちゃん……それはナイスアイディアナリね……」
「む……俺は嫌だぞ。子供化はもう二度と」
 眉を寄せる真田に対して幸村は、「俺はこのままでもいいよ」と発言した。皆は、流石は幸村――と肝の据わりようを褒めそやした。

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2017.6.19

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