俺様の美技に酔いな 9

「当たりか? どーん!」
「も……桃先輩!」
 リョーマは焦った。わたわたして掴まっていた桃城の肩から手を離しそうになった。
「あっはっは。越前も一年のくせによー」
 桃城が笑いながら言った。風のせいか、ふわっと桃城の整髪料の匂いが香ってくる。桃城はスポーツ刈りだが、ワックスで髪を整えているのだろうか。
 学校に着いたので、桃城とリョーマは自転車から降りる。ふわっと懐かしい埃っぽい風が舞った。自転車置き場にチャリを置くと、桃城が戻って来た。
「越前、一緒に行こうぜ」
「うん!」
 これから朝練が始まる。彼らは部室に向かった。陽の射す温かい部室へと――。
 準備運動をしてランニングして、筋トレ――こんな地道な努力を跡部景吾もやったのだろうか。
 テニス部部長の手塚――手塚国光はよく部員を走らせる。ランニングにはテニスの上達への効果があるらしい。それ以前に手塚本人が走っているのが好き、というのもあるのだろうが。
 手塚なら、跡部のことを知っているだろうか。
(有名人ぽかったもんな。跡部さん)
 リョーマはあの時まで知らなかったが。岬は常識として知っとけ、みたいなことを言っていた。
 氷帝学園は、東京でも屈指のお金持ち学園である。跡部は金持ちなのだろうか。少なくとも、貧乏ということはまずないであろう。
 ――跡部景吾は個人的には微妙な顔立ち。でも、オーラが凄い。見ている皆を美技に酔わせてしまう程。そのオーラは、凡百の生徒とは一線を画したものであることをうかがわせる。
(俺様の美技に酔いな――)
 リョーマはこっそり心の中で繰り返す。跡部景吾だからこそ様になる台詞だ。
(あ、いけないいけない。ぼーっとしてしまった)
 もしビリになって(仮にもそんなことはないにしても)乾汁を飲ませらられるのだけはごめんだ。乾汁というのは、飲んだ者は必ずトイレに駆け込んでいくという恐ろしい飲み物である。リョーマも飲んだことがある。何を入れたらあんなに不味くできるのだろう。
 ――あれを美味しいというのは、味覚がおかしな不二だけである。
「僕、ビリになろうかな。でも、プライドが許さないしな」
 不二はそんなことをリョーマの隣で呟いている。――恐ろしいことを聞いてしまった。見た目に反して負けず嫌いなのは知っていたが。
 ――あ、そうだ。不二に後で八百屋お七のことを教えてくれたことに関して礼を言おう。

「跡部景吾?」
 堀尾ががらがら声で訊き返す。朝練も終わって、部室の中だった。堀尾はクラスメートでもあるし、まぁまぁ仲が良かった。本人は大親友のつもりでいるみたいだが。
「うん、知らない?」
「知らない訳ねぇだろ。この堀尾様が! 跡部景吾ってのは氷帝のテニス部部長で生徒会長だよ!」
「そうだったんだ……」
 リョーマは改めて跡部を見直した。
 手塚も青学のテニス部部長で生徒会長だ。彼も何か知っているかもしれない。
(後で部長に聞き込みしておこう)
 リョーマは思った。今日は時間が押していたので、手塚に跡部のことを訊きそびれていたのだ。昨日も訊くチャンスはあったのだが。
(手塚部長なら何か知っているに違いない)
 何でも知っている手塚。頼りになる手塚。
 まぁ、部員をやたら走らせるところがあるのは玉に瑕だけど――顧問の竜崎スミレもちゃんと監督しているし。手塚とスミレ。この二人が揃えば青学は最強だ。
 それにしても、氷帝は日本でも五本の指に入る程のお金持ち学園だ。そこの生徒会長なんて、跡部はさぞかし凄い権限を持っていることだろう。――よくは知らないが。青春学園の生徒会長をしている手塚も凄いと思った。
 ――もしかして二人は似ているのかもしれない。性格は全然違うけど、ポジション的に。
「リョーマくん、堀尾くん、僕達先に行ってるね」
 加藤勝郎はそう言って水野カツオと部室を後にした。
「あは。俺達も急がなくっちゃな、越前」
「そうだね」
 着替え終わったリョーマと堀尾も、カチロー達の後に続く。
「一緒に行こうぜ、カチロー。途中までさ」
「うん!」
 堀尾、カツオ、カチローはいつでも仲が良い。テニス部の一年トリオと呼ばれている程だ。リョーマは何となく孤高の選手という目で見られている。
 それが嫌な訳じゃなかったが、カツオとカチローも同じクラスだったらもっと楽しかったかもしれないとは思うこともある。因みにカツオとカチローは同じ一年五組だ。
「じゃあねぇ、リョーマくん、堀尾くん」
「じゃあな。あ、そうだ。越前宿題やって来たか?」
「……一応ね」
「じゃ、ノート見せてくれよ、頼む!」
 堀尾がパンッ、と手を合わせてリョーマを拝んだ。
「……今からじゃ手遅れだと思うけどね。国語、一時限目だし」
「努力するから!」
 ――じゃあ、何で家で宿題する努力を怠ったんだとリョーマは言いたくなる。それに、八百屋お七のことを書いたノートを堀尾には見せたくなかった。掘尾は決して嫌いじゃないが、こういう他力本願なところは嫌だ。
「――自分で何とかすれば」
「んな殺生なー!」
 リョーマは一足先に教室へと入っていた。掘尾の絶叫だけが静かな廊下に響いた。
(どうするんだろ。掘尾……ま、俺には関係ないけど)
 リョーマは素知らぬ顔で教科書を開いた。

 国語の花沢昌子に職員室に呼ばれたのは、昼休みの時間であった。
「何だろ」
 せっかく美味しい弁当を食べようと思ってたのに。尤も、早弁したので三分の一しか残ってないが。
 堀尾が頭の後ろで手を組んでニヤニヤした。
「おー、越前。花沢先生に叱られに行くのか? 俺もついてってやろうか?」
「怒られるんなら堀尾の方だと思うけどね……」
「そうだよなぁ。俺、宿題忘れたし」
「気になるんなら堀尾も来ていいけど?」
 リョーマが堀尾の顔を覗き込む。
「やめとく。どうせ藪蛇になるだけだろうし」
「藪蛇なんて言葉、良く知ってたね」
「あのね。うちのテニス部には国語・古典の天才不二周助先輩がいるの!」
「知ってる。昨日、部活始まる前に図書室で宿題見てもらったもん」
「かーっ。越前、何でそん時俺呼ばなかったんだよ!」
「不二先輩と会ったのは偶然だし……堀尾のこと忘れてたから」
「おい、もっとオブラードに包んで言えよ!」
 ――だが、堀尾は意外と国語の成績は悪くない。まぁ、帰国子女のリョーマとどっこいどっこいといったところだが。おしゃべりばっかりしてるから自然と国語力が身に着いたのだろうか。
(今度のテストでは堀尾にだけは勝ちたいなぁ……)
 苦手な国語でも疼く負けず嫌いの闘志。心の中でめらめらと燃え盛る。
「堀尾。今度は誘ってもいいの?」
「おう、勿論」
「でも、花沢先生のところへは行かないんだね」
「うーん、どうしようかな……」
「多分だけどね。八百屋お七の話になると思うよ」
「越前~。八百屋といったら八百政じゃ~ん」
 いや、それ近所の八百屋だし! 確かに世話にはなってるけれど……。リョーマが冷たい目で堀尾を見た。
「冗談だって。八百屋お七って確か昔の話だろ? 江戸時代だったかな。火つけで捕まる女の話。恋の炎に焼かれて死んだんだよ。確か」
 堀尾は妙なところで詳しい。
「じゃあ、吉三は?」
「吉三はほらあれだろ? お七の恋人!」
「何だ知ってんじゃん!」
 一気に堀尾に対して親近感を持つリョーマであった。我ながら現金だと思うが。
「もしかして、そんな古典に興味を持つなんて、お前、もしかして恋してる?」
 堀尾の揶揄いにリョーマはムッとした。
「バカなこと言うなら置いてくよ」
「うう……でも、腹減ったしな……」
「部活の時に食べればいいじゃん。仕事は球拾いしかないんだからさ」
「うう……越前の嫌味が恨めしいぜ……」

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2019.02.14

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