俺様の美技に酔いな 72

 リョーマが手塚と不二と食堂に向かっていると、向こう側から跡部がやって来た。
「――チィーッス。跡部さん」
「……おう」
 それだけのやり取りだけど、リョーマは心がほっこりした。
「ねぇ、跡部と何かあった?」
 不二がこっそり訊く。リョーマはそっぽを向きながら、
「別に」
 と、答えた。
「嘘。何か、越前嬉しそうだったもん」
「ふむ。不二が言うんなら間違いなかろう。だが、越前。間違いだけは起こすなよ」
 何だよ、もう。リョーマは膨れた。確かに、手塚と不二は青学での保護者代わりであるが――。
 いい匂いがする。取り敢えず、不満に思ったり不平を言ったりするのは後だ。
(あ、これ、ヒット!)
 手塚と不二に笑顔で見守られながら、リョーマはマヨネーズときゅうりで和えたマカロニサラダを食べた。
(うーん、美味しい)
 だが、昨日は傍にいなかった手塚と不二が、何故、朝食を一緒に囲んでいるのかまでは、リョーマは知らなかったし、どうでも良かった。ただ、昨日のことを思い出して、ぽやんと幸せに浸る時、食事の手が止まった。
「越前、早く食べないと」
「あっ、そっスね」
 リョーマは残ったメニューをかきこんだ。その時――こんな声が聞こえたような気がした。
(不二――越前を跡部に近づけるな)
(……わかった)
 何でそんな声が聞こえたのかわからない。ただ、リョーマは美味しい料理を食べて、トレーニングをしてテニスが出来れば、牢獄のようなこの施設も天国のようなものだ、と思った。

 鬼が十次郎が切れた二本のガットを見分していた。このたった二本のガットで、鬼は今まで桃城と戦っていたのだ。しかも、桃城より重いブラックジャックナイフを撃って。リョーマが声をかけた。
「鬼さん、おはよう」
「よぉ、小坊主――昨日、桃城と一緒にいたろう?」
「そうだけど、小坊主はないんじゃないの?」
 リョーマが鬼十次郎と談笑していると。聞き覚えのある叫び声がした。
「えちぜーん!」
「ま、待ってください! 堀尾くん早過ぎです!」
「もうちょっとゆっくり走って欲しいでやんす……」
 現れたのは青学テニス部の一年生で、仲間である堀尾聡史と、ずれたバンダナがトレードマークの壇太一と、頭に角を生やした、立海大附属の制服を着た少年――。
(あれ、誰かな)
 妙な頭をした少年を見て、リョーマは疑問に思ったが、堀尾が詰め寄って来た為、すぐに聞くことは出来なかった。
「あ、堀尾。荷物持ってきてくれたの。ありがと……」
「それどころじゃねぇよ! 越前! 鬼が、鬼が現れたんだよ!」
「鬼――って、この人?」
 鬼は今まで三人の死角になっていたらしい。三人は悲鳴を上げた。
「ぎゃーっ!」
「鬼だぁ! 鬼でヤンス~!」
「あのさぁ、失礼だよ、アンタら……」
 リョーマも流石に呆れていると――。
「いや、鬼で構わん。鬼十次郎だ。宜しく頼む」
「お……俺、青学一年の堀尾です」
「山吹中の壇太一です」
「オイラ、立海大の浦山しい太でヤンス」
 堀尾達と一緒に来た変な髪型で赤いほっぺたの少年は浦山しい太――か。よく、こんな名前つけた両親を恨む気にならなかったな――とリョーマはちょっと考えた。
「おう、宜しくな」
 鬼が――笑った。
「ひぃぃぃぃぃぃ!」
 三人とも声を揃えて怖気を震う。だから、そういう態度は鬼さんに失礼なんじゃないの――リョーマは言いかけたが、鬼は慣れているのか平然としていた。
「アンタら、残念だったね。もう少し早く来てれば、桃先輩の死闘が見れたのに」
「も、桃ちゃん先輩が……? 勝ったんだよな! 勝ったんだよな! なぁ、越前――」
 ガタガタと震えながら堀尾が訊く。リョーマが首を横に振った。
「ううん。ボロ負け。ストレートで」
「そんなぁ……桃ちゃん先輩が……」
「でも、桃先輩は青学のくせものと言われただけのことはありますよ。ねぇ――鬼さん」
 リョーマはにやあっと笑った。
「そうだな。ワシのラケットのガットを切るくらいだからな。――あいつも伸びるぜ。足元すくわれんように覚悟しとけよ。越前リョーマ」
 鬼はざっとその場を後にした。
「かっ……かっこいい~……」
 亜久津といい鬼といい、壇太一は強面の男に憧れているようだった。壇はあまり背も高くなく、可愛いと言われるような顔立ちをしている。

 メンタルコーチの齋藤至という男が現れた。2Mはあろうかという長身の男だが、横はあまりないようだった。
 まず、二人組を作らされた。――跡部は日吉と組んだ。
(俺は――桃先輩以外だったら誰でもいいや。桃先輩とは、ダブルスでの相性は最悪なんだもん)
 リョーマはそう思った。だが、これはダブルスの試合ではなく、シングルスの試合であった。しかもタイブレークの。負けた方は脱落である。
 ――ここから悪夢は始まった。

 だが、それはそれとして――。
 跡部と日吉の試合も見ずに、リョーマはトイレを探していた。その途中に遠山金太郎と出会う。その後、リョーマは徳川カズヤを見かけて声をかけた。金太郎は鬼と勝負する気満々らしい。
「ねぇ、アンタの名前何てったっけ?」
「――徳川カズヤだ」
「ふぅん……」
 リョーマは体がうずうずするのを感じた。それは、跡部と戦いたかったのも本当だけど――。
「ねぇ、せっかくU-17合宿に来たんだからさぁ……アンタみたいな高校生とやりたかったんだよね」
 徳川は強い。一目見てわかった。何故なら、リョーマも戦う者だったから、相手の力量はある程度わかるのだ。
(ちゃんとまともに強い選手だっているじゃん)
 金太郎も互角に鬼と渡り合っている。
 ――やるじゃん。
 結局リョーマも金太郎も負けてしまった。けれど、その後には全力を出し切った後の清々しさだけが残った。
(面白いじゃん、ここも――)
 実は、目ぼしい選手がいないなら、ここから帰ってしまおうかとさえ思っていたリョーマだったのだ。跡部とのリターンマッチを後にしても。リョーマは一所に閉じ込められるのが大の苦手だった。
(リョーマ、お前は青学の柱になれ)
 そう言った手塚。
 あは。悪いね。手塚部長。俺は、青学なんかでのんびりしていられないんだ――。
「なにのん気に寝とんねん。コシマエ」
 リョーマは無駄だと知りながら、『エチゼン』だっつの。――そうツッコむ。だが、言っても無駄だということも知っているので、
「ここ、面白いじゃん」
 と、独り言の形で呟いた。「せやな」と、金太郎が返した。
(こいつも――油断できないからな……)
 けれど、その油断のならなさが心地良かった。おまけに、金太郎には裏表はない。楽しい試合が出来そうだ。――試合が出来る機会があれば、だけれど。
 齋藤至がやって来た。
「みぃつけた。駄目ですよ。こんなところでおいたをしては。――さぁ、行きましょう」
「あ、試合……」
「勝手な試合をしていたようですね。お二人とも。駄目ですよ」
 齋藤は二人を起こして、ついてくるよう促した。リョーマと金太郎は目を見かわした。
「一体何なんすかね」
「さぁ……あの齋藤のおっちゃんの考えることはワイにもようわからん」
 そう言いながらもリョーマと金太郎は齋藤について行った。足元はぼこぼこだった。転ぶという失態は免れているものの、リョーマにもどこへ着くのかがはっきりとわからなかった。ただ、信じてはいた。この先に、強い者が待っていることを――。

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2021.12.21

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