俺様の美技に酔いな 71

「眠れない……」
 中学生達は集会場で雑魚寝であった。――リョーマはその日、眠れなかった。いつもだったらすぐ眠れるのに……。
 一生懸命寝ようとして頭から布団をかぶっても、跡部の唇の感触を思い出すとそれも無駄な努力に思える。
(跡部さんの唇……柔らかかったな。それに、いい匂いがした……)
 熱病に浮かされたように、リョーマは思った。「んーん」という寝言が聞こえた。あれは誰だっけ。――というか、まぁ、関係ないけど。
(ちょっと……外の空気でも吸ってくるか……)
 それとも夜這いでもするか――リョーマは一瞬真剣に考えた。だが、喉の渇きを強烈に覚えた。Pontaでも飲みに行こう。リョーマはむくりと起き上がった。
 自販機の場所はわかっている。ここを出てすぐ左――
「ん?」
(出たー!!!!)
「何してんですか! 跡部さん!」
「喉が渇いて……」
「俺もっス」
「なぁんだ。小銭あるからおごってやるよ。Pontaのグレープ味か?」
「は……はい……!」
 リョーマは自分の視界がぱあっと明るくなったような気がした。覚えててくれたんだ。――跡部さん。
「俺様はオレンジジュースだ。果汁100%のな。結構好きだから」
「何とか%って、乾先輩みたい」
 リョーマがクスッと笑った。
「オレンジジュースを飲むとな。腹の底がかっと火照るんだよ。それが好きでな――」
「ふうん」
 何とはない会話。でも、跡部が自分を大事にしてくれていることがわかる。しかし、気になることがあった。
(跡部さん――さっきのキス、どう思ってるんだろ)
 唇へのキス。――恋人への。それは、恋人ではなくてもキスはする。リョーマは帰国子女だからわかるのだ。そして、跡部もイギリスからの帰国子女だ。
 普段からキスへの抵抗はない。ただ、跡部へのキスはリョーマにとって神聖であり、特別なものだった。でも、跡部は何も感じていないだろう。それが――悔しかった。
(俺が、もっと年上だったなら――)
 もっと大人の男性だったら、雌猫は勿論、忍足からも樺地からも跡部景吾を奪ってやるのに――。けれど、跡部がテニスではリョーマを好敵手と認めてくれたら。それはそれで嬉しい。
(俺が記憶を取り戻したのは、あなたのおかげです。テニスが楽しくなったのも――あなたがいたから……あなただけじゃないけれども……)
 跡部はさっきの話を蒸し返さない。でも、それがリョーマには不満だった。
(恋愛遊戯なんて……)
「ん? どうした、リョーマ?」
「……じゃない」
「はぁ?」
「――遊びじゃない、と言ったんだ!」
 リョーマは吊り目を更に上げ、そう叫んだ。
 そう、跡部への想いは遊びではない。体中の血液がそう言って踊っている。――なかったことに、したくないから……。
 ――その時であった。
 リョーマの目の前に跡部の唇が大写しになった。そして――暖かい温もりと感触。
「なんなんだよ! てめぇは!」
「え……?」
 キスされたことと理不尽に怒鳴られたことに、リョーマの頭が白くなった。
「クソガキならクソガキらしく、いつも生意気でいろよ! くそっ! どうしちまった! 俺様は――」
 跡部は悔し気に拳で膝を叩いた。
「えーと……跡部さん?」
「うるせぇっ!」
 ぎらり、と光った目は、野生を思わせた。
「てめぇのせいだ! てめぇが俺から何もかも奪ったんだ! 男としての矜持もな!」
「跡部さん――?」
「俺がお前に恋するなんて思わなかったんだよ!」
 跡部が、がん、と壁に当たる。
「な……いつ、から……?」
 跡部の突然の告白に、リョーマも呆然とする。
「初めててめぇを見た時からだよ!」
「ああ、あのストリートテニス場――」
「もっと前だ! 氷帝学園で! あの時お前、岬と一緒にいただろう!」
 岬――岬公平……岬先輩!
(ありがと……ございます。岬先輩……)
「あの時お前、燃えるような目をしてたな。あの目に――俺様は恋した……んだろうな……」

『俺様の美技に酔いな』

 あれは、もしかしたら、自分に――自分だけに向けられた台詞だったんじゃないかと、リョーマは思い返していた。そして、リョーマは跡部の美技に酔った。
「すまん……忘れてくれ……今日の俺は変なんだ。明日になれば、いつもの俺様に戻る……」
「何で?! 戻らなくたっていいじゃありませんか!」
「いや。俺様は氷帝学園のキングとして――お前を断ち切らなければならない。キングが誰かに恋をしたら、待っているのは破滅だ――」
 構わない。リョーマはそう強く覆った。破滅しても構わない。それよりも破滅とか何とか、どうして人はそんなにそれを恐れるのだろう。自分も人のことは言えないが。
 ――リョーマは跡部の手を取った。そして、手の甲に口づけた。
 例え、この一瞬が幻でも、想いは本物だから――。
「好きです……跡部さん……」
 そして――二人は口づけ合った。

「ん……」
 眩しくて目が冴えた。
「起きろ、越前」
 青学テニス部の前部長である手塚が言った。リョーマは目を擦った。寝る前に、重大なことがあったような気がする。――えーと……。あ。
(俺、跡部さんに告白したんだ。好きって言ったんだ――)
 その後、自分達がどうなったのかまでは覚えていない。あんなに大好きだったPontaを飲んだかどうかも記憶にない。リョーマには、跡部の唇の方が甘かったから――。
(跡部さん……)
 リョーマはぎゅっと拳を握った。
 綺麗だよ、アンタ。対戦することがあったら――アンタの美技に酔わせて欲しい。
「越前、何があった」
「え?」
「いや……」
 手塚が視線を外す。どうしたというのだろう。
「おはよう、越前。――手塚。君、浮気してないだろうね」
 にこにこ顔で不二周助が言う。
「不二先輩……」
「いや、浮気というか……越前の雰囲気が変わったな、と思ってな」
「惚れた? 確かに色っぽくなったけど」
「――馬鹿を言うな」
 ……痴話喧嘩ならよそでやって欲しいなぁ。迷惑だから。そんなことを考えてしまうリョーマであった。痴話喧嘩ならリョーマ達もゆうべしたが、あの時は誰も通らなかったような気がする。ただ、防犯カメラにはその様子が映っていたかもしれないが。
(恥ずかしいなぁ……)
 やはり、自分は南次郎のように大らかな助平にはなれそうもないや。リョーマはつい口角が上がってしまった。
「わかってるよ。手塚。君は真面目だから――浮気なんてしないよね?」
「あ……ああ……」
 やっぱり不二の方に支配権があるらしい。テニスだったら手塚も負けはしないだろうに。それにしても不二先輩、虫も殺さぬような顔をしながらも――やるじゃん。
「おい! 早く布団片付けろよ! 越前!」
「ふしゅ~。お前は、無駄にうるせぇ……」
 桃城と海堂が布団を片付けながら言い合っていた。この二人も似合いそうな気がしていたが、桃城には橘杏という娘が好きだそうだし、海堂は乾に狙われている。
 リョーマは明るい朝日を浴びながら、うーん、と伸びをした。とても、晴れやかな気持ちだった。

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2021.12.12

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