俺様の美技に酔いな 70
「ここの食事、うめぇな!」
桃城がハンバーグとご飯をかっ込んでいる。デミグラスソースの香りもいい。
「そうっスね」
リョーマが一生懸命食事していると、ぷっと吹き出す音がした。――跡部だ。
「リョーマ……お前、口元にソース付いてるぞ」
「え? あ、そう?」
跡部が指でぐい、とリョーマの口元を拭く。その指についたソースを舐める。リョーマの胸がどきん、と高鳴った。
(俺の口元についたソースを跡部さんが……うわ~!)
心臓の鼓動が早くなって、食事どころではなくなる……そういう心配はリョーマにとっては皆無だった。だって、
「越前、これ食わねぇなら俺がもらうぞ!」
という桃城に、
「だめ!」
と全力で止めに入ったのだから。
「ま、これより旨い食事、俺様なら毎日食ってるけどな」
――跡部家の婿になりたい! 真剣に検討するリョーマであった。跡部は流石にテーブルマナーも優雅だ。さっきのはついやってしまったのだろう。
「跡部さん、指についたソース舐めるなんて、上流社会の貴族にあるまじきマナー違反っすね」
桃城が指摘する。
「あーん? ……気づかなかったぜ。無意識だったからな。それに旨そうだったし」
(旨そうって……俺の口元についたソースを旨そうって……)
リョーマの頭の中に指を舐める跡部の舌が再生される。エレクトしたらどうしよう――そんなことを考えてしまう程、焦っていた。それでも、食うものは食うところがリョーマである。
「跡部さんて、意外とこだわらないんスね。言葉使いもそうだけど。それに貧乏性だし」
と、桃城。
「あーん? 言葉遣いはわざとだぜ。まぁ、半分素になっちまってるけどな。――俺様は俺様の道を行く。相手が目上の人間だったらそれなりに敬うぜ」
「てかさ、何でここに桃先輩いるの?」
リョーマが今更な質問をする。
「桃城はおめーの連れじゃねーのか? リョーマ」
「うーん。確かに一緒に行動することは多いかもだけどねぇ……馴染みもあるし」
「いいじゃねーかいいじゃねーの。後輩が上手く人と付き合っていけるかどうか、見守ってやるのも人生の先輩の役目さ~」
桃城が鼻歌と共に喋る。
「……なら、海堂先輩呼んでもいいっスか?」
「構わねーぜ」
「んじゃ、おーい、海堂せんぱーい……」
その時、丸テーブルの席についていた乾の眼鏡のレンズがきらりと光った。海堂はこの喧騒でリョーマの呼び声に気づいてはいなさそうだった。乾はくいっと眼鏡の弦を直す。
「海堂に用があるなら、それなりの覚悟は出来てるんだろうなぁ? お前達――」
(ははっ、ラブラブなのは俺達ばかりではなかったのか――)
尤も、ラブラブと言われれば、跡部は照れ隠しに、
「俺とリョーマはそんな関係じゃねぇ!」
と必死で否定するだろうけれど。そんなことが容易に想像出来て。
(あーあ、ちょっと落ち込んで来ちゃった)
けれど、越前リョーマは背中を見せない。いつまでもネガティブに溺れたりしない。今のところ、跡部が自分を憎からず思っているだろうことはリョーマだって知っている。
――乾が覚悟しとけというのなら、きっといろんな変な汁が用意されていることだろう。立海大附属の柳蓮二もいることだし。柳は乾のかつての相棒だ。
「……乾先輩……邪魔は、しないっス……」
リョーマは引き下がった。ここは敢えて譲るのが得策であろう。それに、本気で海堂を晩餐の席に誘った訳でもなかった。――向こうで不二がくすっと笑った。
(スミス家のハンバーグも美味しかったなぁ……)
けれど、まずそのでかさにびっくりした。ジャイアント馬場の足のサイズはあろうかという大きさである。大食漢のリョーマは難なく平らげたが、それでも、アメリカ人にどうして体格いい人が多いかわかったような気がする。
(ま、旨さの質が違うけどね――)
青春学園の皆は今頃どうしているであろう――リョーマは夜空に想いを馳せた。
堀尾は、明日辺り、リョーマの忘れ物を持ってきてくれるであろうか。堀尾は口先だけの男に見えて、なかなか骨がある。――跡部が訊いた。
「どうした? リョーマ。ぼんやりして――」
「別にぼんやりしてた訳じゃないよ。ただ、いろいろ考えることがあってさ」
「アメリカ生活のことでも懐かしんでたか?」
ごくんと肉を咀嚼してから、跡部が訊く。
「うん――お餞別にテニスボールもらった」
「得難い友じゃねーの。大事にしろよ」
「うん……」
大事にするよ。沢山の仲間達。沢山の思い出。――仲間達から託されたテニスボール。
俺は――アメリカに帰って良かった。
「俺様にもな……遠くて会えないダチがいるんだよ。レオンていう奴でな……」
桃城が、カタン、と席を立った。
「どうしたの? 桃先輩」
「あ……やっぱり俺、あっちで食ってくるわ。お前らにも積もる話があるんだろ?」
「そりゃ、あるけどさぁ……」
だったら、最初から、あっちで食べて欲しかった。そしたら、跡部さんとももっとじっくり腹を割って話すことも出来ただろうに――。跡部のイギリス時代の話がひと段落ついた頃、リョーマが質問した。
「ねぇ、徳川カズヤって、何者だろうね」
「あーん?」
「あそこの選手達みんな変わってるけど――何となく気になっちゃって」
「恋か?」
「まさか」
リョーマはふふっと笑った。
「ただ、知ってる人に似てたから――」
「この世にはそっくりさんが七人いるっていうけどな」
跡部が半畳を入れた。
そう――あの人。本当の兄みたいな、ふわりとした思い出の中の人。徳川カズヤが赤の他人でも、絶対縁はある。そう、思える。
初恋は跡部さんだけど――。
(竜崎、小坂田、どうしてるかな。竜崎はドジだから、小坂田みたいなしっかり者がついててちょうどいいんだ)
しかし、小坂田朋香も、リョーマに対してはトチ狂うクセがあるので、そこは難しいな、と思う。リョーマは微笑した。
「いい顔だな。お前」
「そう?」
リョーマはうっとりとして聞く。――リョーマは跡部の方がいい顔だと思う。けれど――信じていいのだろう。愛する跡部の言葉であれば。その跡部は、今まで見たこともなかったような笑顔でこちらを向いている。
(竜崎――ごめん)
リョーマは小柄なおさげ髪の少女に謝った。自分の心に嘘はつけない。
俺は――跡部景吾を愛している。
でも、それには行動に移さなければ――。
リョーマ達が座っていたのは窓際の席だった。皆、思い思いに食事を摂っているのだろう。リョーマと跡部に関心を払う者は、いなかった。
ファンクラブの子なら狂喜するだろうが、今は、リョーマ、そして、跡部がいるのが日常となっている。彼らを構う暇人もないに違いない。リョーマは最初、物珍しさで注視を浴びていたが、今はもうノーマークだ。
やるなら、今しかない。
「あーん? どうしたリョ……」
跡部のさんご色の唇を、リョーマが奪った。前に乾が狙っていた唇である。触れるようなキス。数秒後、唇が離れた。
「柔らかいっすね。跡部さんの唇」
「――お、お前もだぞ。リョーマ」
小声で二人が囁き交わした。跡部が赤くなっているような気がした。可愛い……。
「跡部さん……ずっと前から好きでした……」
リョーマは皆に聞こえないように囁く。特にあの、ちび爆弾遠山金太郎には。
「そういうことは……テニスで俺様に勝ってから言え……」
「だって……俺、跡部さんに勝ったもん」
「馬鹿野郎! あれから俺だって進歩している! こんな拙い恋愛遊戯に巻き込みたいなら、まず今のこの俺を超えて見せろ!」
「恋愛遊戯だと?! 誰かそう言ったな! たるんどるわ! キェェェェェ!」
そう叫んだのは、立海大の真田弦一郎だ。幸村精市がなだめようとしている。真田は多分ムッツリだ。――そう、桃城から聞いたことがある。
幸村も大変だな。――いや、幸村も負けず劣らず危ない人だ。あまりあの二人には近づかないようにしよう。リョーマはそう考えながら、食堂を出て行った跡部の分の肉も平らげてしまった。
ふわり、と薔薇の残り香がした。跡部は薔薇が好きだ。リョーマはあんなに恥だと感じていたのが馬鹿らしく思えた。そして――全国大会で優勝した時のように、誇らしく思った。
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2021.12.09
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