俺様の美技に酔いな 69

 リョーマ達は合宿所の施設内に案内された。――新しい建物の匂いが立ち込めている。リョーマは筋トレ用の道具を何とはなく眺めている。
(ふぅん――なかなかじゃん)
 と、リョーマなりに感心していると。
「おい」
 ぽん、と帽子を叩く感触がした。跡部景吾だ。――リョーマは胸がときめくのを抑えながら言った。
「帽子叩かないでください」
「ははっ、わりぃわりぃ」
 と、言いながら、何度も帽子を叩いている。話聞いてんのかな、この人――リョーマはちょっとムッとした。ああ、そうだ。この人は人の話を聞かない人だったな。そんなことも思い出し。急に黙った跡部にリョーマは訝った。
「リョーマ……お前、背伸びたか?」
「うぇ……えっ? 計ってないからよくわからないけど……」
 でも、伸びてたら嬉しい。
「んだよ。得意そうな面しやがって」
「べーつーに~」
「ま、お前も成長期だもんな」
「うん。後で跡部さん、追い越すよ。――跡部さん、あんまり変わってないんだもん。……跡部さんは髪伸びた? 今でもヅラ?」
「ばーか。もうとっくに元通りだよ。元通りのハンサムな俺様だよ」
 ――この性格は何とかならないものか。でも、そんな跡部も好きなので、リョーマは何も言わずにおいた。
「跡部!」
 そう言って跡部に近づく者がいる。忍足侑士だ。
(ああ、丸眼鏡……はっきり言って邪魔だな……)
 でも、軽井沢にいた時は世話になったし――。そばでうろちょろしているだけなら見逃してやっても良いか――リョーマは自分は随分大人になったもんだと自画自賛した。
「あっちにも見たことない器具あるで!」
「面白そうだな。侑士――なぁ、越前、菊丸いる?」
 そう言ったのは赤いおかっぱの向日岳人。この人が忍足とくっつけば、ライバルが一人減って有り難いのだが。
「いるはずっスよ。どこ行ったかな――」
 リョーマが見渡していると。
「ハロー、向日~」
 菊丸英二がどこからか現れた。
「おー、菊丸。もっと跳んでミソ」
「あらよっと」
 菊丸と向日がアクロバット対決を始めた。菊丸は青春学園の体操部からスカウトを受けたこともあるらしい。さもありなん。――本人はテニスの方が好きなようで、断ったという話だが。
「――あいつら、元気だなぁ」
「宍戸さんも何かやりません?」
「ランニングマシーンで走りたいかな」
 そう言っているのは、氷帝のおしどり夫婦、宍戸亮と鳳長太郎の二人組。常識が通じそうなので、リョーマとしては彼らは嫌いではない。
「じゃあ、俺も――許可取って来ます」
 鳳は走って行ってすぐに戻って来た。
「今は駄目だそうです……」
「そうか……まぁ、落ち込むなよ。長太郎。早くあの立派な施設を使えるように頑張ろうじゃねぇか」
 宍戸は鳳を背中を叩いた。まるで慰めるかの如く。鳳は宍戸の為に許可を取りに行ったのだから。お金持ち学校の氷帝学園の生徒でも特別扱いしないのは、合宿の方針なのだろう。
(宍戸さんが三年で、鳳さんが二年だったよね。確か)
 関東大会の前に調べておいたのだ。対戦相手の学校だったから。
(で、樺地さんも二年――三年の跡部さんとは別れなければならないんだよね……俺は青学だし、跡部さんモテるけど、強敵がいなくなればやりやすいかな――)
「おーっす。何だ越前。氷帝のところにいたんか」
「桃先輩……」
 桃城武の登場である。桃城が言った。
「こんにちは、忍足さん」
「あー! 桃城やないか! 元気しとったん?」
「元気だけが取り柄の俺っスよ! ――にしても、やっぱり忍足さんU-17合宿誘われてたんスね」
「氷帝の正Rは全員よばれとる」
 ――何あれ。
「ねぇ、跡部さん……」
「桃城と忍足、俺様の軽井沢行きのヘリに乗ってから嫌に距離が近くなってな。ま、結びの神はお前だな」
「そうなんだ――」
 忍足は胡散臭い丸眼鏡だし、関西弁も胡散臭いし、実はイケメンなところも気に入らないが、そう悪い人ではない。氷帝は嫌なヤツばかりだと言う見方を変えてみようとリョーマは思った。丸眼鏡は相変わらず嫌いだが。
「んじゃ、俺ら自販機でジュース買ってくるから」
 桃城と忍足は肩を組んで歌い出す。同じ学校だったらもっと気が合ってたんだろうな。――桃城は海堂といい仲だと思ってたんだけど。
「ウス……」
「あ、樺地さん。こんにちは……」
「こんにちは……」
 そういえば、樺地と言葉を交わすのは初めてだったのではあるまいか。言葉というより、単なる挨拶だが。リョーマは記憶を手繰ってみたが、樺地と喋るのは、初めてだったと思う。見かけたことは何度もあるが。
(どんな人なんだろ――)
 小さな黒い豆粒のような瞳は草食恐竜のようだ。ぱっと見茫洋としているけど、その分優しそうだ。リョーマの樺地自体の印象はそんなに悪くなかった。
「おい、樺地。ジローはどうした?」と、跡部。
「は……近くのソファで寝てます……」
「また寝てんのか? 全く、あいつときたら三年寝太郎だな。樺地、起こしてやれ」
「ウス……」
 樺地が行ってしまった。後ろ姿がすごく逞しい。きっと跡部以外にも彼を頼りにしている人はいるのだろう。樺地が言った。
「あ、越前さん、すみません。少し話があったのですが――」
「ん。いつでもいいよ」
 以前は跡部のおつきだと思って反感を持ってたけど、樺地も悪い人ではない。というか、この氷帝連中の中で一番正常なのではないか。この人のすごいところはきっと、さらっと人の為に動けるところであって――。でなければ、跡部と友達付き合いすることなんか出来はしない。
(これじゃ、跡部さんも惚れるよね――手紙でも散々惚気られたけど。跡部さんは惚気ってわかってないんだろうな……)
 菜々子さんも我が従姉ながら男を見る目があるね、とリョーマは改めて思って、樺地の後について行った。
「ウス? 越前さん?」
「えへへー。ちょっと、質問あんだけど」
「何でしょう」
「樺地さん、女の人に恋されてたりしたらどうする?」
「ウ……?」
「だってさ、そんなに体格良くて面倒見が良ければさ、女の一人や二人――」
「越前さん、自分は……モテません……」
「あっ、そう? 美人で評判の俺の従姉がメロメロだったんだけど――」
「…………」
 樺地はリョーマをじっと見た。それから、日焼けで黒くなった肌が微かに赤くなった。
「う、俺は――」
「何くっちゃべってるんだ? 樺地――」
「やば、跡部さんだ。じゃ、樺地さん、今の言葉忘れないでね」
 ――これもライバル撲滅の一環だった。樺地は力強く「ウス」と答えた。リョーマは思った。――いつぞやはごめんね、菜々子さん。お詫びと言ってはなんだけど、菜々子さんの気持ち、伝えておいたよ。
(跡部さんは誰を好きなんだろう――)
 跡部と親し気な忍足か、跡部に忠実な樺地か――。他にも、ファンクラブなど作って、跡部の試合には応援に駆けつける雌猫でもいるのか――。そういえば、跡部は橘杏をナンパしたこともあるって言っていた。
 杏さんなら、まぁ、譲るか。腹黒マネージャーの寿葉には絶対渡さないけど。――ま、杏さんは競争率高いだろうね。
 跡部が樺地とジローを起こしている時、日吉若が近づいて来た。
「何だ、青学のチビ助か」
「これからでかくなんの。跡部さんや日吉さんを追い越すんだからね。身長でも」
「ふ……相変わらずいい目をしてるぜ」
「だって、俺、テニスでは誰にも負けたくないもん。――ここでラリーやったらダメなのかな」
「俺も、お前と打ち合いしたいな」
「――気が合うじゃん」
 日吉とリョーマが不敵な笑みを交わした。だけど――そういや、ここって勝手な試合やってはいけないんだっけ。あのふわふわ綿菓子頭の丸眼鏡青年が言っていた。日吉もそれを思い出したらしい。
「ここでは自由に試合も出来ないんだよな……」
 日吉は残念そうに呟いた。「早く来なさい、君達」と、案内役の男が言った。

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2021.12.06

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