俺様の美技に酔いな 68

「…………」
 足音がじゃりっと鳴る。冷たい空気すら爽やかに思える。霧も晴れて来た。
 人が少ないな。――あ、監視カメラだ。
 リョーマは物珍し気にきょろきょろ眺めている。やはり、合宿所と言うより感じは牢獄の方に近い。
(跡部さん――いるかな)
 冬の匂いの近づく外の風景。空の青が薄く見えるのは気のせいだろうか。
(跡部さんがいなくても――強い高校生がいれば……)
「あ、皆いる」
 リョーマは気配を消して近づく。幸村に真田。そして――やはり跡部もいた。
「何だろ……ボールを拾えなければ帰れ? 面白そうじゃん」
 リョーマは質の良くない笑みを浮かべながら眺めていた。
(あ、あの人一個取られた……何だ。高校生って言っても、大したことなさそうじゃん)
 リョーマが密かに落胆していると――
「……何あれ」
 跡部と真田がラケット一杯にボールを山積みにしていた。
「一個でいいんじゃなかったの?」
 ――リョーマは密かに呆れていた。
(――あ、ボールがあそこにひとつ)
 リョーマはコートに近づいた。拾えなかった高校生達も我先に飛びつこうとしていた。リョーマはひょいっとラケットでボールを拾った。そして言った。
「ちぃーっす」
「あーん? 腕はナマってないだろうな」
 ――そっちこそ。
 リョーマは跡部に対してニヤリと笑った。これでも、ストリートテニスで腕を磨いてきたのだ。それだけでなく、テニススクールに道場破りしたこともある。壁打ちは毎日欠かさなかった。
 真田が、
「たるんどる」
 と言ったようだけど、気にしない。
(跡部さん、アンタと対戦するのも楽しみだけど、まずはここにいる高校生達の実力を見ないとね)
 リョーマは残った高校生達を見遣った。――皆さん、なかなか個性的で。それは中学生達にもひけを取らない。実力はどうだろう。
「試合だ。テニスで決着をつけようや」
 高校生らしき一人が言った。見るからに小物臭のするヤツだ。
(俺達に試合で勝てると思ってんの?)
 リョーマ達中学生はあの死闘を戦い、潜り抜けた、全員一騎当千の奴らばかりだ。高校生相手でも、いい戦いをするに違いない。
(まぁ、最初に戦うのは俺だけどね)
「おまえらは運が良かっただけなんだよ!」
 さっきの高校生とは違うメンバーが言った。自分の取ったボールを賭けて戦いに来い。高校生達はそう言って笑った。
 あいつら――ボールも自分で拾えなかったくせに、試合で勝てると思ってんの?
 リョーマは少しばかり呆れた。これは、拍子抜けかな。
「おい、そこの眼鏡」
 ――眼鏡をかけた人をターゲットにするのか。なるほど。眼鏡は割れやすいからね。
 でも、こっちは用意出来てるから。乾は眼鏡を外しているようだが。眼鏡を取った乾はきらきらしたつぶらな瞳をしていて、堀尾達と一緒に笑ったことがある。
「もーいーかい」
 リョーマはアメリカで買った伊達眼鏡をかける。買っといて良かった。この眼鏡。――リョーマは視力が良いので、度の入った眼鏡は必要ないのだ。
 そして――眼鏡からちらちら視線を送る。跡部がこちらを見ているからだ。跡部もニヤリと笑っている。
(やれ、リョーマ)
 声は聞こえなかったが、跡部はそう唇を動かした。仕上げに『殺せ』とばかりに親指を下へ向ける。
(りょーかい)
 リョーマが帽子を整えた。ヘンテコセンスの帽子を被った長身の男が言った。
「俺に任せろよ」
 面白そうな男だ。まぁ、所詮雑魚だろうけれど。リョーマがチビだからと言って、油断しているに違いない。
(ほう……怪我させるって訳かい)
 高校生チームがざわついた。やはりそういう魂胆だったようだ。
 ――仕方ないね。
 高校生は野次を飛ばしていたが、リョーマが何者か知っている中学生達は黙って見ていた。
「松平ッ! 相手はガキだ! 多少手ぇ抜いてやれや!」
 松平って言うのか。ふーん。興味ないけどね。それに、全力で挑んだって――アンタ、俺には勝てないよ。
 リョーマが心の中で勝利宣言をした。
「――あいにく、手の抜き方を俺は知らない」
(――ふうん、かっこいいじゃん。でもかっこだけじゃね)
 松平のマグナムサーブが来た。リョーマの帽子が飛んだ。
(驚かせたつもりか――後悔するよ)
 リョーマの企みを読んだのか、跡部もにやにや笑っている。
 ――ま、俺は手の抜き方も散々知ってるんでね。こんなヤツ如きに体力使っても勿体ないし――いっちょ遊んでやるとしますか。
 リョーマは松平のショットを真似て遊んだ。でも、さっきのサーブは結構面白かった。面白いだけだけど。ここから先はリョーマの独擅場である。
 これはリョーマになら出来そうである。
「お前の美技に酔おうじゃねぇの」
 跡部の声が聞こえた。どこから聞こえたのか気にはなったが、今はそれどころじゃない。油断をすると怪我するからだ。――次で、決める。
「ねぇ、さっきのサーブ、面白いね」
 そして――さっきの松平のサーブの構えをした。リョーマはボールを打った。ボールは松平にヒットした。
「あーあ、怪我させるつもりが怪我しちまった」
 跡部はリョーマにも聞こえるような声で独り言を言う。リョーマはラケットで体を支えながらこう言い放った。彼の口癖だ。
「――まだまだだね」
 跡部が得意そうに、そうだな――と笑った気がした。
「高校生って、こんなものなの? ちょろいじゃん」
 リョーマも跡部に聞こえるように高らかに放言した。

 その後、高校生達は中学生メンバーに翻弄され続けた。リーダー格のようだった佐々部も、真田にガットに穴を開けられてしまった。
(あれ? そういや佐々部って何か聞いたことあるけど――)
 昔、桜乃に因縁つけた男が佐々部と言った。後、カチローの父をバカにした男も、佐々部の父だった。――しかし、そんなことはとうに忘れてしまったリョーマである。自分に関係ないことはすぐに忘れてしまう質なのだ。
「――ま、いっか」
 そう呟いた時、また新たに高校生と思える人々がやってきた。
(あ、あの人、怖い顔……)
「わ、わかったよ、アニキ……」
 怖い顔の男と二言三言会話を交わした佐々部がすたこらと逃げて行った。どうやら、佐々部より上の存在らしい。そんな人格的な力が、この鬼みたいな男にはある。
 でも――
(アニキというより、オニキじゃん)
 でも、佐々部よりは好きになれそうだと、リョーマは直感した。
「あ、あれ? どうしたんんや。兄ちゃんら。もっとテニスやろうや」
 この遠山金太郎は、リョーマに輪をかけてテニス馬鹿である。リョーマは強い相手にしか興味を示さないが、金太郎はテニスが出来れば満足出来るのである。リョーマは、そんな無邪気な金太郎が羨ましい。
「テニスって、楽しいよね。遠山」
「え? コシマエの声がしたで? 何か言ったか? コシマエ」
「――別に」
 だが、金太郎には小動物のような可愛さがある。そういう素直なところが伸びればいい、とリョーマは思う。自分はどこかで捻くれてしまったらしいから。
「ゴメンね。勝手な試合はここでは厳禁なんだ」
 そう言ったのは、ふわふわした頭の、丸眼鏡の青年だった。優しそうだし、よく通る声は親しみが持てる。だが――
(俺、丸眼鏡嫌い)
 忍足侑士のせいで、丸眼鏡に心理的アレルギーを発症したリョーマのようである。確かに、この青年はオニキと違って捉えどころがなさそうではあるが。
「どうしたんだい、君」
 そう言って青年――3番コートの入江奏多はにっこりと笑った。
 因みに、おっかない顔をした高校生に見えない男は5番コートの地獄の番人、『鬼十次郎』と言うらしい。まんまじゃん――リョーマは吹き出しそうになった。けれど、何だかオニキは気に入った。
 それからそこで――越前リョーマは徳川カズヤと出会う。徳川はこの後、リョーマに多大な影響を与える人物となるのである――。それは今は徳川もリョーマもまだ、知らない。
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2021.08.02

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